文化領域論

(No.196 ~ No.228)

人が進化系の文化に参加するまで

藤井聡氏は、アメリカでMMTを提唱したステファニー・ケルトン教授を招聘し、7月16日に東京で国債シンポジウムを開催するそうです。なかなか、やりますね。詳細は、「令和ピボットニュース」というサイトにて。

 

マンガの「私立Z学園の憂鬱」が、刊行されるそうです。作者の方は印税を「あしなが基金」に寄付されるそうです。やはり、世の中にはお金より大切なことがある。

 

さて、近頃、漠然と「認識せよ」、「文化に参加せよ」といったことを考えて参りましたが、一応、その考えに決着が着いたように思いますので、以下に報告させていただきます。

 

大切な何かを認識して、文化に参加するまでの概念モデルです。

 

1. 記号
  人間は、五感を通じて“記号”を認識する。

 

2. 情報
  “記号”は単独で、若しくは複数が組み合わさって、“情報”を構成する。

 

3. 知識
  “情報”が記憶されると、それは“知識”となる。

 

4. 観察
  人は日々の生活を通じて、若しくは経験を通して、自分が持っている“知識”を

  更新していく。

 

5. 疑問
  時として人は、驚くべき事実を発見する。その事実は、その人が保有し、更新

  して来た知識とは異なり、又は知識の範囲を超えるものであって、人は“疑問”を

  持つ。

 

6. 思考
  人は、疑問を解決しようとして“思考”する。

 

7. 原理の発見
  思考の結果、運が良ければ、人は新たな“原理”を発見する。“原理”とは、複数の

  事例に共通して現われる傾向のことである。

 

8. 思想
  発見した“原理”に準拠すれば、近未来を予測することが可能となる。すると、

  進むべき方向が見えてくる。そして、どちらの方向に進むべきなのか、物事

  はどうあるべきなのかという意見が生まれる。この意見が、すなわち“思想”

  である。

 

9. 表現
  思想を持った人は、これを“表現”し、誰かに伝えようとする。

 

10. 進化系の文化に参加する
  “表現”された“思想”は、時として人々の共感を呼び、文化的なムーヴメントを

  引き起こす。これは、新たな仮説や発明に基づくものであって、文化の進化に

  寄与しようとするものであり、退行や現状維持を企図する“退行系の文化”では

  ない。

 

 項目だけ、列挙してみます。

 

1. 記号
2. 情報
3. 知識
4. 観察
5. 疑問(驚くべき事実の発見)
6. 思考
7. 原理の発見
8. 思想
9. 表現
10. 進化系の文化に参加する

 

上に記した概念モデルは、ある意味、人がとても幸福になるパターンだと思います。一生懸命考えたって、原理を発見できるとは限りません。思想を表現したからと言って、誰かがそれに共感する保証もありません。

 

別の見方をしますと、学校で教えてくれるのは、3番の“知識”までではないか。疑問があれば、それに答えるのが教育でもあります。すると、そこで完結してしまうメンタリティというものを想定することができる。例えば、東大卒のエリート官僚は、その先の“疑問”に進む必要がない。むしろ、“疑問”を持つことは、自らのキャリアにとってマイナスとなる。逆に、情報弱者と呼ばれるインターネットに接続できない人たちも、そこで止まってしまうのではないか。知識があって、それを更新はする。しかし、自ら疑問を持つに至る程の情報に接していない。ネトウヨと呼ばれる人たちも、同じだと思います。彼らはネット環境に順応し、ある程度、経済的に恵まれていて、社会の現状に対し疑問を持つ必要がないのではないか。但し、文化には参加したいという強烈な欲求を持っていて、飽きもせずヤフーのコメント欄に書き込みをしている。そう考えますと、疑問を持たず現状維持を希求する人びとというのも、実は、あまり幸せではないような気がします。貧乏人のやっかみかも知れませんが・・・。

 

他方、上記のステップをフルコースで疾走中の人もいる。例えば、立憲民主党から立候補予定のおしどりマコさん。彼女にとっての「驚くべき事実」とは、福島第一原発の事故だった。そこから彼女の“思考”が始まり、彼女は“原理を発見”する。そして彼女は、被害者救済を徹底すべきだ、原発を再稼働してはならないという“思想”を持つに至り、政治の世界に参加しようとしている。大変だとは思いますが、私のロジックからすれば、マコさん、結構幸せなのではないか。

 

れいわ新選組を立ち上げた山本太郎さんも同じです。私などは、わずかばかりの寄付をさせていただき、幸せのお裾分けに預かったりしている。

 

世間では、夫婦で老後に2千万円の貯蓄が必要だと金融庁が発表し、大騒ぎになっていますが、違和感を禁じ得ません。まず、金融庁は2千万円の他に家のリフォーム費用等が必要になると言っているのであって、それらを合計すると不足額は3,660万円になります。更に、検討のモデルとされる夫婦は恵まれた経済環境にあって、夫は厚生年金に加入している。国民年金に加入されている方々は、更に不足額が膨らみます。嫌な話ばかりで恐縮ですが、年金の支給額は「マクロ経済スライド」によって、今後、減額されそうですし、経団連は「最早、終身雇用は無理」と言い出し、退職金の額も減少している。

 

最早、日本の社会、経済システムは成り立たない所まで来ている。日本という国家は、今、存亡の危機に晒されている。消費税を廃止する位では、収拾がつかない。私は、そう思いますけれども。

二重構造

前回、「開放系の中間集団」というタイトルで記事を書きましたが、この問題がどうも気になります。ここら辺に閉塞感漂う現代社会の打開策があるのではないか。

 

中高年のケースを含めて、現在、“ひきこもり”の問題が再度、クローズアップされていますが、これだけ中間集団が疲弊して来ると、引きこもりたいと思う人が増えるのは当然の帰結だと思います。要は、既存の中間集団とは関わりたくないということです。

 

しかし、人間にはいくつか本能のようなものがある。それは食欲だったり、性欲だったりする訳ですが、これらの身体的な本能とは別に、もう少しメンタルな部分での強い特性があると思うのです。一つには、何かを知りたい、認識したいという欲求。例えば、山があったら登ってみたいと思う。島が見えれば、行ってみたいと思う。そういう根源的で知的な欲求というものを人間は持っている。人は常に、自分がどういう場所にいるのか、認識しようとしている。そこは、安全な場所なのか、それとも交差点の真ん中なのか。このような事柄を認識するということは、それは生存確率にすら影響する訳で、本能の一種であると言っても過言ではない。

 

もう一つ。それは、文化に参加したいと希望するという特性です。文化とは空気のようなものではありますが、人は文化に対し、積極的に関与したいと望んでいる。太古の時代から、祭りがあればそこに参加し、何か人が作り出した物があれば、模倣して、同じようなものを作ってみる。こちらもその歴史の長さに鑑みれば、人間の持つ根源的な欲求だと言える。

 

何を隠そう、私がこのブログをやっている理由も、そこにある。何かを認識したいと思って、本を読み、YouTubeを見たりしながら、記事を書いている。そして、文化に参加することを願って、記事をブログに掲載し続けている訳です。経済活動とは、無縁です。このブログをやったからと言って、1円の収入もありません。しかし、カネ儲けが目的ではないから、それだけ純粋だとも言えるような気がします。

 

YouTubeとかツイキャスなどで、山本太郎さんの動画を拝見しておりますと、画面の右側にチャットが表示される場合があります。それはもう沢山の人が、書き込んで来る。そして、結構皆さん、必死に何かを伝えようとされている。書き込みが殺到すると、文章は順繰りに上の方へ移動し、あっと言う間に見えなくなってしまう。それでも、多くの人がそこに参加しようとしている。皆、文化に参加しようとしている。私には、そう見えます。

 

つまり、何かを認識しようとすること、文化に参加しようとすること、この二つの知的な欲求は、身体的な本能と肩を並べるほど、人間にとっては強い欲求だと言えるのではないか。他にもあるかも知れません。もう少し、考えてみます。

 

それにしても、日本の政治状況が、ここまで複雑だとは思ってもみませんでした。そこには、歴史的な経緯があり、MMTなどの新しい理論があり、心理学が絡み、嘘がある。

 

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源頼朝伝説 注)本文とは関係ありません。

 

最近、ネットで読んだ記事に驚くべきものがありました。日本の病院では、なかなかポックリとは死なせてもらえません。体のあちこちにチューブを差し込まれ、薬漬けにされるケースだってある。これにも理由があって、死にそうな老人というのは、医師と製薬会社にとっては利益の源泉だというのです。仮に医療過誤があったとしても、医師の側は「寿命です」と言えば訴訟リスクを回避できる。医療費は保険で処理できるので、取りっぱぐれもない。だから、日本の病院はなかなか死なせてくれない。そして、このシステムを維持するために、日本医師会や製薬会社は自民党に政治献金を行っている、というのです。本当かどうかは分かりませんが、Wikipediaによれば、日本医師連盟自民党を支持しています。私は、できればポックリと逝きたいのですが・・・。

 

小泉元首相が、最近は脱原発を主張している。流石に現役総理時代の悪行を反省しているのか、と思っていたのですが、別の見方もあるようです。すなわち、脱原発に舵を切った場合、廃炉ビジネスが生まれる。自然エネルギーの開発にも同様のことが言えます。その利権を狙っているのではないか、という説がネット上では囁かれています。本当のことは、本人に尋ねてみないと分かりませんが。

 

疑い始めるとキリがないのですが、憲法改正問題も浮上してくる。私の読みとしては、自民党の本音は憲法問題を重視しておらず、ただ、保守票を確保するためのポーズで憲法改正を主張しているだけだ、というものです。しかし、ネット上では、その先の徴兵制復活を目指しているという見方もあるようです。こちらも真実は分かりませんが、確かにその可能性を否定し切ることはできないように思えて来ます。

 

どうやら私は、「お人好し」に過ぎていたのではないか。

 

そこで、前回の記事で言及致しました、「連合」についてもネットで調べてみました。連合とは、経団連の“労働部”であると主張する記事もありました。むしろ、ネットの世界で連合は、経団連とほぼ同一に語られている。表向きは労働組合ですが、事実上、大企業の利益を目指している。だから、消費税の増税自民党に頼み込んだりする訳ですね。

 

私としては、旧同盟系の労組は国民民主党を支持し、旧総評系の労組が立憲民主党を支持していて、2つには違いがあると思っていたのです。しかし、主として官公庁の労組だった総評系ではありますが、国鉄は民営化されJRとなった訳だし、総評系が支持していた社会党も、今はありません。してみると、旧同盟系と旧総評系との間に、昔ほどの相違点は存在しないのではないか。だとすると、現在の国民民主党立憲民主党の間にも、大した違いはないことになります。(両党とも、連合と政策協定を結んでいます。)

 

そのような仮説を前提に、国会中継や政策を見てみますと、腑に落ちる所が少なくありません。日本の政治というのは、どうやらアメリカによる軍事と経済に関わる支配と、大企業による経済的な支配という2重構造になっているのではないか。図にしてみましょう。

 

アメリカによる支配(軍事面、経済面)
 → 自民党
 → 官僚組織

 

大企業による支配(経済面)
 → 経団連 → 自民党
 → 連合  → 立憲民主党 国民民主党
 → マスメディア → 国民

 

上記の仮説に従えば、立憲民主党や国民民主党は、自民党とは戦っても、その上にある経団連に象徴される大企業の悪口は言わない。大企業にとって都合の悪いことは、主張しない。具体的には、例えば「法人税増税せよ」とは言わない。「消費税を減税せよ」とも言わない。これらの事柄を正面切って主張しているのは、れいわ新選組共産党ではないでしょうか。そのように考えますと、共産党という政党、迫害と弾圧に耐え、よく今日まで頑張ってきたものだと感心してしまいます。私は、共産主義には反対ですが・・・。

開放系の中間集団

驚くべきニュースがありました。5月31日に時事通信社が配信した記事です。「消費増税の着実実施を=連合が自民に要請」というものです。記事によれば、同日、連合の相原事務局長が、自民党の岸田政調会長に対し、今年10月に予定されている消費税増税の着実な実施を求めた、ということです。連合が係る事項を要請した理由は、社会保障の持続可能性を重視する立場から、とのこと。

 

ちょっと待って欲しい。前回税率を上げた際は、増税分のわずか16%しか社会保障の充実には充てられなかったのではないか。残る84%の大半は、国の借金の返済に使われたのではなかったか。そもそも連合とは、労働者の権利を守るのがその使命ではないのか。そうであれば、本来、連合が主張すべき事項は、消費税の減税と法人税増税ではないのか。連合は、テーブルの下でケイ団連と手を握っているのではないか。そう疑わざるを得ません。

 

そして、立憲民主党と国民民主党は2018年11月30日に、連合と政策協定を結んでいる。ということは、両党とも、緊縮財政、増税派であるとみなさざるを得ません。私は、国民民主党には最初から期待していなかったので腹も立ちませんが、「立憲よ、お前もか!」と言いたくなってしまいます。更に、本年5月29日には市民連合が仲介する形で、野党5党派の間で政策協定が取り交わされていますが、ここには消費税増税派の野田佳彦氏も加わっている。すなわち、今年10月の増税には反対するが、少し景気が上向けば増税しても良いということなのでしょうか。

 

この点共産党の幹部は、今年10月の増税には反対で、その先は5%への減税、更には消費税廃止を目指すと述べています。

 

“れいわ新選組”が立ち上がって、一番困っているのは、立憲民主党ではないでしょうか。そもそも、同党の支持者というのは、比較的政治に関心のある層だった。しかし、山本太郎さんの街頭演説会などによって、消費税と法人税の関連など、実態が明らかになりつつある。MMTに関する論議も活発化している。一部の情報によりますと、立憲の内部からも消費税は廃止すべきであるという意見が出始めている。しかし、立憲の幹部は一向にMMTに関する論議に応じる様子がない。

 

今年の参院選に向けて、各党は政策を発表しつつある。しかし、立憲民主党は“立憲ビジョン2019”として発表するとは言っているものの、未だ、それは公表されていない。同党のホームページを見る限り、具体的な経済政策というのは、ほとんど皆無に等しい。どうしたいのか、ということは述べられていますが、どのように実現するのか、その“How”がないのです。

 

私の立憲民主党に対する最終的な評価は、同党の経済政策が発表されるまで、留保することにします。期待はせずに、それを待つことにしましょう。ただ、1億2千万人の国民を乗せた日本丸が沈没しそうだという危機的な状況にあるのに、野党第一党の主要政策が「選択的夫婦別姓制」というのはあり得ないと思いますが、いかがでしょうか。

 

さて、このブログでは、個人と国家との中間に位置する集団を“中間集団”と呼んでいます。私の記憶では、この言葉は憲法学において使用されているものです。思えば、世の中の不正や人権侵害の多くは、この“中間集団”という位相において発生している。列挙してみます。

 

・家庭・・・DV
・学校・・・イジメ
・地域別集団・・・村八分など
・職業別集団・・・新規参入障壁/カルテル
・会社・・・セクハラ、パワハラ
・労組・・・政治活動の強制
・省庁・・・省益を優先し国益を損なう
・宗教団体・・・思想的迫害、経済的収奪
・民族団体・・・ヘイトスピーチ

 

もちろん、世の中には個人の犯罪や、国家犯罪としての戦争ということもあります。しかし、上の一覧を見るといかがでしょうか。中間集団に属すると、ろくでもないことが起こる。現代社会において、中間集団が弱体化されてきた理由の1つが、ここにある。

 

更に困ったことには、個人が国家という位相の集団に参加するには、やはり中間集団の存在が欠かせないということです。例えば、テクノロジーがもっと発達すれば、国民がPCやスマホを使って瞬時に投票できるようになるかも知れません。しかし、YesかNoかを決定するだけで、政治が動く訳ではありません。やはり、そこには論議が必要になる。そして、全ての国民があらゆる論議に参加することは不可能です。すると、自分と同じような考え方をしている人間の集団を支持することによって、政治に参加するのが良かろうということになります。政党政治ですね。但し、この政党政治というものは、政治家だけで成り立つものではありません。そこには、当然、支持者の存在が不可欠となる。政治家と支持者を一つの集団として考えた場合、これを政治集団と呼ぶことにしましょう。

 

政治家 + 支持者 = 政治集団

 

この政治集団をどのように運営すべきか、どうあるべきなのか。そこにイジメやセクハラがあってはならないし、思想や良心の自由も確保されるべきです。しかし、そんな中間集団というものは、存在し得るのか。

 

アメリカには、昔、黒人教会というものがあった。これはかなり自由な集団だったと思うのですが、社会学的に言えば、これは特段の目的を持たない集団(ゲマインシャフト)だったと思います。では、目的を持つ集団(ゲゼルシャフト)でありながら、自由で平等な中間集団というものは存在したでしょうか。私は、実例を知りません。

 

しかし、今、その可能性を探っているのが、“れいわ新選組”という政治集団ではないかという気がします。“れいわ新選組”には、誰でも参加できます。寄付をすれば、それはもうりっぱな支持者ということになります。お金がなくても、ボランティアとして登録できる。もっと言えば、心の中で応援するだけでも良い。そして、脱退するのも自由です。気が変わったら、別の政党に投票すればいい。“開放系”とでも言いましょうか、出入り自由なんですね。ここら辺は、宗教政党とは、全く異なる。平等か、という問題もありますが、太郎さんの街頭演説会を見ますと、老若男女、様々な人びとが聞き入っている。時折、拍手をしたりする。手を挙げれば、誰でも発言のチャンスがある。かなり、平等だと思います。

 

ただ、私のような年代になりますと、いろいろなことを考えてしまうのも事実です。今はまだ、小さな集団です。政治家は太郎さんと蓮池透さんしかいません。しかし、徐々に人数が増えて来ると、政治家の間で序列を付ける必要が出て来るに違いありません。その時に至ってもなお、自由と平等を確保することができるのか。そこが課題ではないでしょうか。

 

いずれに致しましても、“れいわ新選組”というのは、壮大な社会実験だと思います。

新党「オリーブの木」、対米自立ということ

あまりマスメディアでは取り上げられていないと思いますが、5月21日に新党「オリーブの木」の旗揚げ会見が開催されました。これがまた、とても新しい試みなんです。

まず、主要メンバーは以下の3人です。

 

代 表   小林興起 氏 (75)
共同代表  黒川敦彦 氏 (41)
共同代表  天木直人 氏 (72)

 

70代のお二人は、自他共に認める右派です。右翼団体一水会」とも近しい関係にあるようです。そして、40代の黒川氏は今治市の出身で、加計学園の問題を追及してきた人です。一般的な言い方をしますと、典型的な左派ということになります。すなわち、「右も左も関係ないんだ!」という前代未聞の政治集団が、この「オリーブの木」ということになります。しかし私は、やはり右と左とではメンタリティに差異があると思っています。そこで、「右と左の戦いは一時休戦にして、今は日本人が一丸となってグローバリズムと戦うべきだ!」と言い換えてみますと、私としても賛成できる。

 

次に、「オリーブの木」の新しい所は、政党でありながら、緩やかな連携を目指している点かと思います。絶対に譲れない事項のみを合意し、あとは政党を構成する政策集団が裁量をもって判断できる、という構成になっているようです。

 

新党「オリーブの木
 ・政策集団A
 ・政策集団B
 ・政策集団C

 

イメージとしては、上記のような構成になっている。これも新しいですね。従来の政党は、国会における採決の際など、党議拘束と言って、党の方針に従って投票する義務が課せられてきた。

 

更に「オリーブの木」の基本政策としては、次の3点が掲げられています。

 

1. 対米自立
2. ベーシックインカムの導入
3. 消費税を5%に減税

 

消費税減税は、「れいわ新選組」と類似しますが、特にいの一番に「対米自立」を掲げた政党というのは、過去に例がないと思います。今回は、この点について考えてみます。

 

思うに、アメリカは軍事と経済の両側面から、日本を拘束してきた。しかし、そのことにどれだけの日本人が気づいているのか。半分もいないのではないでしょうか。情報は隠され、捻じ曲げられ、時には虚偽の情報さえ流布される。アメリカという権力に自発的に隷従するエリート層がいて、テレビは愚民を育て、大手の新聞は真実を報道せず、御用学者がそのようなシステムをバックアップしてきた。

 

この問題について、ちょっと変わった観点から、私の考え方を述べさせていただきます。

 

まず、このブログを通じて、私が哲学から学んだことは何か。それは「認識せよ!」ということだった。例えば、パースは記号ということを考えた。人間が五感を通じて認知するもの。それが、記号です。記号はそれが組み合わされることによって、より複雑な事柄を人間に認知させる。その代表例が、言語ということになる。言語という記号を通じて人間は何かを認知し、記憶し、そして思考する。だからパースは「人は記号である」とまで言い切った。

 

何も知らなかった私は、パースに触発された訳ですが、もう少し調べて行くと、このような考え方にはとても長い歴史のあることが分かってくる。言語や人間の認識方法については、既に古代ギリシャ人が考えていた。古代ギリシャの考え方は、トマス・ホッブズジョン・ロックの時代に復活する。それが、カントの純粋理性批判において結実し、その後のパースや分析心理学のユングなどによって、継承されていく。この一連の流れを、哲学の世界では「認識論」と呼ぶ。

 

多くの人々が、長い歴史の中で考え続けてきたこと。それは「認識せよ!」というテーゼだった。私は、この立場を支持しています。全ては、認識するところから出発する。従って、私は嘘の情報を欲しいとは思いません。Post-Truthなど、とんでもない。私が欲しているのは、真実の情報です。大切な情報が隠匿されるということにも、嫌悪を感じます。それは、私たちが認識することを妨げるからです。

 

認識の次のステップは、仮説を立ててみるということではないでしょうか。宗教も、共産主義も、仮説です。実証されれば、それは真実ということになりますが、未だに証明はされていない。その意味では、私も一つの仮説に賭けています。それは、平等ということです。未だかつて、人類が平等に暮らす社会というのは、実現されていません。しかし、平等な社会は実現可能である、という仮説を立てて、その仮説を実証すべく試みる。それが大切だと思います。平等な社会を目指せということは、日本国憲法にも書いてあるし、実際、格差を拡大する資本主義やグローバリズムが世界レベルで行き詰まっているのは、明らかです。例えばイギリスでは、今年に入ってからブレグジット党という政党ができて、支持率では過去の2大政党であった保守党と労働党を抜き、1位に躍進したそうです。ちなみにこの政党、ワンイシューだそうですね。すなわち、ブレグジットを推進するという1点を公約にしている。日本のN国党と同じですね。

 

さて、では、日本はアメリカから自立できるでしょうか。それは私にも分かりません。しかし、できるかどうかではなく、「アメリカから自立できる」という仮説を立てて、その方向で努力してみることが大切ではないかと思います。いきなり革命的な運動を起こすのが良いとは思いません。少しずつ段階を経て、やっていけばいいのです。経済面であれば、まず、消費税を廃止してみる。そして、日本の貧困化を目的に制定された財政法(4条)を改正する。希望する非正規従業員には、正社員になる道を開く。最低賃金を引き上げ、個人消費を刺激した上で、政府による財政政策と日銀による金融政策を融合して、自律的に独立国家としての経済を運営していく。それ位なら、我々国民が選挙において正しい選択をすれば、可能だと思います。政治家、官僚、ケイ団連のお偉いさんなどを含め、全ての日本国民が一丸となって取り組めば、意外と簡単に実現できるような気がします。

”れいわ”の時代の国家主義

昨日は、山本太郎事務所が主催する「財務省の前で愛を叫ぶ(肉球)」という集会があり、YouTubeで拝見致しました。最初は手作り感満載で、どうなることかと思ったのですが、次々に登壇される参加者の方々のスピーチは、とても興味深いものでした。老若男女、様々な方々が登壇(トラックの荷台)され、それぞれの思いを語る。緊張のあまり足が震え、声が上ずってしまう人もいましたが、それでも皆、勇気を奮って、自分の思いや決して楽ではなかったそれぞれの人生について、語られました。

 

集会のネーミングもさることながら、集会のあり方自体が新しい。政治の世界では決してスポットライトの当たることがなかった普通の人々が、突然マイクを握って、何かを主張する。そして、その模様がリアルタイムで全国に流れる。私などは、手を挙げる人がいないのではないか、と心配していましたが、最初から最後まで、発言を求める人が途切れることはありませんでした。日本人はカラオケによって、マイクを持つことに抵抗感がなくなってきたのか、日頃から発言する機会に恵まれないのか、それとも司会の太郎さんのパーソナリティがそうさせたのか。

 

また、皆様は「私立Z学園の憂鬱」というマンガをご存知でしょうか。「消費増税反対botちゃん(ほぼ中の人)」という方が作成されたものですが、ネット上で公開されています。これはお勧めです。是非、お時間のある時にご覧になってください。アフレコ付きの動画も公開されています。気軽に楽しめて、日本の権力構造について理解できるという優れものです。作者がどのような方なのか分かりませんが、本当によく調べている。推測ですが、この方、無報酬で制作されているのではないか。

 

では、本題に入りましょう。MMTを含めて、もう少し広い範囲で国家の経済を考えてみました。そこで、アベノミクスや、その他の主張の特徴を考えてみたいと思います。シンプル志向の私としては、再び、簡単な図を作ってみました。

 

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まず、アベノミクスから。これは銀行が保有する国債を日銀が購入する。買いオペと呼ばれる施策です。日銀が国債を購入するということは、資金は反対に日銀から銀行へ流れることになります。そこで、銀行が“国民経済”と記した領域、すなわち個人や企業に資金を貸し出せば、経済が循環して良い結果を生む。ところがいくら買いオペを実行しても、銀行から“国民経済”に資金は流れなかった。何故かと言うと、個人消費が伸びず、企業は先行きへの懸念から設備投資を渋っているからです。結局、買いオペによって銀行へ流出した資金が、死に金となっている。但し、ダブついた日本円は円安を生み、一部の輸出大企業に利益をもたらした。これが、日銀が行った金融政策だった。

 

次に、政府と“国民経済”の関係を見てみましょう。かねてより、企業が支払うべき法人税は減税を繰り返し、反面、消費税率は上昇の一途を辿っている。すると、企業の供給力は過剰となりますが、肝心な個人の購買力は下がる一方です。働き方改革だか何だか知りませんが、労働者の約4割は非正規雇用となり、また、実質賃金も低下している。そんなことで、個人消費が伸びるはずがありません。供給力が過剰なので、当然、物の値段も上がらない。だからデフレなんですね。それがもう、20年以上も続いている。これが民主党政権の時代から現在の安倍政権までが行ってきた財政政策だと思います。その意味では、旧民主党と現在の自民党とは、同罪ではないでしょうか。

 

次に、MMTを支持する立場の人は、何を主張しているのか。まず、政府と日銀の関係ですが、買いオペなどを実施した結果、政府に対する最終的な債権者は日銀となる訳ですが、この債務(借金)は返済する必要がない。仮に、帳簿上数字が残っているのが気になるというのであれば、政府紙幣を発行して、借金を返済してしまえば良い。(大西つねき氏などが、そう主張している。)また、日銀が買いオペを実施する、すなわち金融緩和を実施することに問題はない。しかし、政府の財政政策(税金と財政支出)が問題だ。そもそも、“国民経済”(個人と企業)が保有する通貨の総量、すなわちマネーストックを管理することが大切だ。マネーストックが不足すればデフレとなり、反対に過剰になればインフレとなる。従って、インフレターゲット(現在、日銀は2%にしていますが、4%位までは大丈夫だという説もある)に達するまでは、マネーストックを増やすべきだ。そのためには、減税と共に財政支出を増やす必要がある。“消費増税などとんでもない”ということになります。

 

但し、MMTを支持する立場でも、右派と左派とでは、財政支出の考え方が異なるようです。まず右派ですが、自民党西田昌司議員は、新幹線を作れと言っている。また、藤井聡氏は国土強靭化計画を提唱した。私は、これらの立場に疑問を持っています。それでは、ゼネコンが儲かり、昔の利権政治に逆戻りではないかと思うのです。

 

一方、左派でMMTを支持している太郎さんは、消費税を廃止すると共に、現在困窮している人々を救済せよ、と言っている。例えば、奨学金の返済に困っている若者たちがいるので、その返済はチャラにせよ、と言っている。この点、私なりに少し考えてみました。多分、永年に渡り苦労を重ねて、奨学金を完済したばかり、という人もおられるでしょう。そういう人たちにしてみれば、自分は恩恵を受けることができない訳で、こういう施策には反対されるかも知れません。しかし私は、こういう風に考えてみる。例えば、大きな船に沢山の人が乗っている。その船は沈没しそうだ。そこへ小さな救命ボートが駆け付ける。一度に全ての人を救うことはできない。では、誰をも救ってはいけないか。そうではないと思います。一度に救える人数は、例えば5人位かも知れません。しかし5人ずつでも、何度でも往復しながら、乗員を救出すべきだと思うのです。

 

ところで、上に示した図を見ておりますと、良くできた仕組みだなあと思いませんか? MMTに従い、政府の財政政策と日銀の金融政策を組み合わせて、“国民経済”におけるマネーストックの量を管理する。そして、健全な経済発展を遂げていく。これが本来、国が行うべき経済政策だと思います。それが、“れいわ”の時代の国家主義というものではないでしょうか。ここで私が“国家主義”という言葉を用いる理由は2つあって、1つには反グローバリズムという意味です。2つ目としては、さりはさりとて中間集団のレベルまでブレイクダウンしてしまっては、元も子もない。それは反対だ。すなわち、中間集団よりも大きく、グローバルよりは小さい、国家という規模の集団を中心に物事を進めていくべきだ、という意味です。

 

しかし、現実はそうなっていない。誰が悪いのか。この点は、前述の「私立Z学園の憂鬱」において、詳細に説明されている。ケイ団連も悪い。しかし、それは単なる中間集団に過ぎない。この問題の背後には、もっと大きな力が働いているに違いない。

 

「私立Z学園の憂鬱」にも出て来ますが、財務省にたてつくと、まず、国税庁の税務調査が入る。これは、財務省の外局に国税庁が位置付けられているからで、国税庁財務省から分離すべきだ、という意見がある。そこまでは、私も理解できます。しかし、財務省側からの反撃は、それにとどまらない。不倫や援助交際などのスキャンダルが出て来るらしい。こういうスキャンダルを暴露するには、尾行するプロの関与が欠かせないのではないか。それは、国税庁の仕事ではないと思います。日本のお役所の中には、そういうことを専門にやる組織が別にある。

 

財務省にしても、そこに働く日本人が、省益のためだけに永年に渡って国民を騙し続けるなんてことがあるでしょうか。この点も私は、はなはだ疑問に思います。やはり、そこにはアメリカからの圧力が存在すると考えた方が自然ではないでしょうか。

 

消費税の問題は、単に税率を8%から10%に上げるかどうかという問題にとどまらず、掘り下げて行くと、安倍政権のみならず、過去の民主党政権の責任問題が浮上する。更に掘り下げると、日本の対米従属という問題に行き当たるのではないか。

 

仮に安倍政権が増税を見送り、8%に据え置くという判断を下した場合、民主党政権の流れを汲む立憲民主党と国民民主党は、そこで矛を収めるに違いない。一方、減税又は廃止を訴えているれいわ新選組は、追及を継続することになる。太郎さん、パンドラの箱に手を掛けてしまったのでしょうか?

 

そして昨日、新党「オリーブの木」の設立記者会見が開催されたのです。これがまたとてもユニークな政党で、簡単に言うと「もう、右も左も関係ないんだ!」というもので、その政策の1番目に「対米自立」を掲げている。私の知る限り、過去にこんな政党はなかった。いずれに致しましても、今、とても大切なことが進行しているのではないか。

政党の立ち位置(その18) 日本政治の構造

思えば、「政党の立ち位置」と題した今回のシリーズ原稿を始めたのは、4月8日のことでした。正直に言いますと、その時点での私の支持政党は、立憲民主党でした。そして、4月10日、山本太郎さんがたった一人で記者会見を開き、「れいわ新選組」を立ち上げた。一体、これは何だろう? とても新しい感じがする。でも、流石に一人では無理では? いろいろなことを考えていると、太郎さんの街頭演説会の様子がYouTubeにアップされて来る。いつの間にか、それらの画像に引き込まれている自分がいた。

 

ネットで調べて行くと、右派の動きとして「令和ピボット運動」があり、左派からは「薔薇マークキャンペーン」が立ち上がっていた。そして、アメリカからMMTという話題が流入して来る。皆、今年に入ってからの動きなんですね。そういう意味では、私のブログも期せずして、時宜を得ていた。

 

MMTに関するご説明につきましては、私なりに太郎さんを後方支援するつもりもあって、精一杯分かり易く書いたつもりですが、もしも、経済の専門家がこのブログをご覧になっていたら、と考えますと、冷や汗が出て来ます。

 

太郎さんからは、本当に沢山のことを教えていただきました。特に、我々日本人の貧困がそこまで進んでいるとは、知りませんでした。奨学金の返済に苦しんでいる若者がいる。今日も、ネットカフェに宿泊する人たちがいる。年間で53万人もの人たちが自殺未遂をしている。年金の支給額は減少し、支給年齢は70才とか75才という話も聞こえて来る。そんな中で、太郎さんはこう言いました。

 

「今の高齢者は、ギリギリ逃げ切れる。でも、その後に残る世代はどうなるのか!」

 

確かに、私自身もギリギリ逃げ切れる世代なのです。そこで今日、銀行のATMへ行って、わずかばかりで恐縮ではありますが、れいわ新選組に寄附をしてきました。政治献金をするというのは、生まれて初めての経験です。(ちなみに、れいわ新選組への寄附は、まず、同団体のホームページへ行く。そこで、寄附というアイコンをクリックします。すると、寄附者の属性について記載するページになる。個人でないと寄附はできません。また、日本人であること、成人であること、などの条件があります。また、このページでクレジットカード決済か、銀行振り込みかを選ぶようになっています。私は、銀行振り込みを選択しました。すると、振り込み先が記されたページが現われます。このページをプリントアウトして、今日、銀行のATMへ行ったという次第です。クレジットカードでの決済の方が、簡単かも知れませんね。)

 

例えば文化人類学というのは、人間が、人間を離れた所から客観的に見る学問なんですね。古代人はどうだとか、中世にはこういう考え方があった、などと考える訳です。そう考えている“私”というのは、言わば“傍観者”なんです。離れた所から、人間の集団を見ているのですが、その集団が抱えている課題などには、関与しない。現役時代の私は、会社という中間集団に属しており、それはもう当事者として、様々な問題に関与してきた。理不尽なことばかりでした。そういうことがほとほと、嫌になったのです。そこで、引退後は、特段の中間集団には属さず、前述の文化人類学の勉強をはじめ、“傍観者”としての立場を貫いて来た訳です。やがて憲法に興味を持ち、国家というものに出会う。

 

あらゆる中間集団を否定したとしても、私は、日本という国家から逃げることはできない。この国で、生きていく以外に道はない。従って、日本という国家の前で、私は、傍観者ではいられない。一人の国民として、国家と向き合わない訳にはいかない。どうも、そういう心境になってきた。

 

さて、そんな日本という国家ですが、実情は惨憺たるものです。シンプル思考を旨とする私は、早速、図を作ってみました。矢印は、支配関係を示します。

 

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アメリカは依然として、日本を支配しようとしている。まず、毎月2回開催されると言われる秘密会議、日米合同委員会というものがある。面白いことに、この委員会の組織図が、ネット上に掲載されていました。日本側は、官僚のみがメンバーとなっていて、主な省庁は、外務省、法務省農林水産省、防衛相、そして財務省となっている。やはり、財務省にはアメリカの影響力が及んでいると考えた方が良さそうです。また、分科会レベルになりますと、国交省なども加わってくる。その他、アメリカは日本側に「年次要求書」なるものを毎年、送ってくるそうです。中身は分かりません。しかし、アメリカが日本の官僚組織に影響力を行使していることは、間違いないと思います。

 

また、外交の表舞台で、アメリカは政権党としての自民党に影響力を及ぼします。

 

自民党は、内閣人事局という組織を通じて、官僚組織の人事権を一手に握っている。よって、官僚というのは、アメリカと自民党支配下に置かれているとも言えそうです。

 

自民党は、NHKをはじめ、マスメディアに影響力を及ぼしている。不都合な放送や報道があると、文句を言う。しかし、その自民党を政治献金と組織票で支配しているのは、経済界ということになる。太郎さんの言葉を借りれば、経団連ということになります。経済界は、広告宣伝費を支払うことによって、マスメディアを支配している。

 

マスメディアは、自民党に気を使い、経済界のご機嫌を伺いながら、そうは言ってもテレビであれば視聴率、新聞であれば購読部数を確保する必要があるので、一応、国民に対しても配慮が必要となる。しかし、概してこれはポピュリズムと呼んで良いレベルにある。

 

このように考えますと、仮に太郎さんが街頭演説会で述べている事柄を国民が知らなければならない“重要な事項”だと定義しますと、まず、マスメディアが係る“重要な事項”を報道することはない。してみると、現在の日本国民というのは、マスメディアのみから情報を得ている“情報困窮者”と、ネットを通じて積極的に情報を取りに行く“情報取得者”とに分けられるような気がします。(“情報取得者”の数が、いずれ“情報困窮者”の数を上回ることを願って止みません。)

 

いずれにせよ、日本という国家の統治システムとしては、極めて脆弱であると言わざるを得ません。この国に住む全ての人々の利益を考えているのは、誰か。この図の中には、出て来ないのです。この図を貫く原理は、自発的隷従であり、既得権の保護であり、反知性主義です。そして、アメリカの方から新自由主義グローバリズムという攻撃があり、日本は破壊されてしまった。

 

だから、太郎さんがれいわ新選組を立ち上げた! そういうことなんですね。


「政党の立ち位置」と題するシリーズ原稿は、今回をもって終了と致します。

政党の立ち位置(その17) 財務省と消費税

体系的に経済学を学んだことのない私ではありますが、考えれば考える程、MMTは正しい。まず、政府が国債を発行する。この国債は、金融機関を通じて、市場に流通する。そして、国債が満期となる時点での所有者は「①日銀以外の者」若しくは「②日銀」ということになる。まず、「①日銀以外の者」が所有者となった国債について考えてみる。その国債が満期となる。仮にその時点で、政府に資金がなかった場合、政府は新たに国債を発行し、満期となった国債の償還資金に充てることができる。

 

次に、金融緩和を目的として、日銀が金融機関から国債を買い取る場合がある。これが買いオペと呼ばれる手法で、国債が満期となる時点での所有者は日銀となる。この場合も、仮に政府に資金が不足していた場合、政府は新たに国債を発行し、そこから得た資金によって、満期となった国債の償還資金に充てれば良い。単純化して考えれば、単に国債の満期日を延期するよう、政府が日銀に命令すれば良い。政府と日銀は便宜上、異なる法人格を持っている。それは、戦時中の経験から、政府が無制限に国債を発行する権限を持つと、市場に出回るマネーストック(注1)が増大しハイパーインフレを招くので、これを防止するために法律上、日銀の独立性が確保されているためだ。しかし、実質的に政府と日銀は一体である。現在、日銀の株式の55%は政府が保有している。当然、日銀総裁の任命権も政府が持っている。

 

(注1)マネーストックとは、金融部門から経済全体に供給されている通貨の総量。(日銀ホームページより)

 

従って、自国通貨建てで国債を発行している場合、その国(政府)の財政が破たんすることはない。また、日本経済がデフレ状態にあるということは、日本のマネーストックが不足していることを意味する。従って、今はマネーストックを増加させる施策が必要で、そのために最も手っ取り早い施策は、消費税の廃止、若しくは減税である。

 

以上がMMTに関する私の理解です。

 

一見、難しそうな論理ではありますが、落ち着いて考えれば、誰にでも分かる。では何故、日本政府や財務省は消費増税を主張しているのでしょうか。税金によって予算を獲得し、それを分配する権限は、財務省が持っている。従って、権限を維持、強化するために、財務省増税を主張しているのだ、という説がありましたが、それだけが理由だとは思えません。そこには、闇がある。そして日本社会の闇というのは、突き詰めていくと、アメリカの影がちらついてくる場合が多い。財務省の背後にも、アメリカの存在があるのではないか。

 

そんなことを考えていたのですが、どうやら佐藤健志氏が、その理由を突き止めたようです。これはYouTubeにアップされている「MMTを否定する本当の理由」という番組の中で、佐藤氏が説き明かしているものです。かいつまんで、記します。

 

1945年に日本は敗戦する。そして、当初のアメリカの日本に対する占領政策は、日本が2度と戦争をできない位に、軍事のみならず経済も弱体化することだった。そこで、1947年に財政法が制定される。その4条には、「原則として国債の発行を禁止」する旨が定められた。国債を発行できなければ、国家は軍事費を調達できないので、戦争はできない。従って、日本が2度と戦争をしないために、財政法4条は憲法9条とセットで考えるべきだと説明され、当時の社会党などはこの考え方に賛同した。財政法4条は、今も効力を有しており、財務省(旧大蔵省を含む)は、緊縮財政、増税路線を取り続けている。

 

驚愕の事実! 良くそこに気付いたものです。佐藤氏には、脱帽します。YouTubeの番組の中で佐藤氏は、かかる主張を裏付けるディテールを説明されており、これは信ずるに足る説だと思いました。ちなみに、佐藤氏は令和ピボット運動の呼びかけ人になっておられます。

 

佐藤氏の説明は以上で、ここから先は、他の情報源と私の推測について述べます。

 

思えば、その後の朝鮮戦争(1950)とそれに続く日本の高度成長期(1954~1973)、バブル経済(1980年代末)など、一貫して日本はインフレだった。インフレを抑制することが課題だった訳で、財政法4条は問題とならなかった。

 

やがてバブルがはじけ、日本経済はデフレの時代に突入する。そこで、1998年に財務省(当時は大蔵省)で、不幸な事件が発生する。ノーパンしゃぶしゃぶ事件です。これは、金融機関から財務官僚などが、ノーパンしゃぶしゃぶと呼ばれる店で接待を受けていたというもので、官僚7人が逮捕・起訴され、112人が処分を受け、3人が自殺した(Wikipedia)と言われる巨大な汚職事件だった訳です。

 

しかしネットで調べてみると、この事件には別の見方が存在する。当時の大蔵省には、日本の国益を最優先に考える“愛国派”と、アメリカに従属し自らの出世を望む“対米従属派”が存在していた。そして、CIAがトラップを仕掛け、大蔵省から“愛国派”が一掃されたのが、ノーパンしゃぶしゃぶ事件の真相である、とのこと。事の真偽は、分かりません。しかし、日本のデフレは20年続いていると言われています。1998年と言えば、今から21年前。この話はトンデモ情報かも知れませんが、時期的には、日本経済がデフレに向かおうとしていた時期に符号する。

 

また、別のネット情報によれば、財務省で出世しそうな若手は、皆、アメリカに留学するという話もありました。真偽は分かりませんが、ありそうなことだとは思います。ちなみに、アメリカは現在、中国からの輸入品に関税25%を掛けると言って、争っています。この国は、昔も今も、自国の脅威となりそうな経済大国は潰そうとする。それだけは確かです。

 

いずれにせよ、緊縮・増税を方針とするのは、自民党のみならず、左派の側にも存在した。現在の消費増税は、自民党公明党民主党(当時)の3党合意によるものです。してみると、民主党から分離した立憲民主党や国民民主党も、基本的には緊縮・増税路線だと言えそうです。

 

共産党はどうでしょうか。私の知る限り、共産党が与党になったことはありません。その意味では、過去の発言や主張に捕らわれる必要がない。因みに、経済学者の松尾匡氏が推進している“薔薇マークキャンペーン”の頁を見ますと、薔薇マークの認定を受けた政治家の中に、共産党の方がかなりいらっしゃる。現在、共産党野党共闘を進める観点から、他の野党に合わせて“消費税据え置き”という立場を取っていますが、成り行き次第では、消費税廃止にまで踏み込める。そういうフリーハンドを持っていると言えそうです。

 

最後に安倍政権ですが、予定通り10月に消費税率を10%に引き上げるでしょうか。そうなれば、日本経済が更に落ち込み、デフレが深刻化する。政局ではなく、是非、日本とそこに暮らす人々のために判断してもらいたいと思います。

 

続く