文化で遊ぶ

(旧タイトル:文化の誕生)

No. 146 対米従属と憲法9条(その4)

未だに護憲派改憲派か、などという不毛な報道が繰り返されていますが、言うまでもなく、憲法改正に賛成と言っても、どの条文をどう変更するのかによって、その意味は全く異なります。そして緊急性があるかという問題は別にして、憲法問題の本丸は9条にあります。今回は、各政党のスタンスなどを中心に、憲法9条について考えてみることに致します。

 

1. 非武装中立・・・・・・・・・・・・・憲法9条2項/共産、社民
2. 武装中立・・・・・・・・・・・・・・安倍改憲
3. 個別的自衛権・・・・・・・・・・・・専守防衛
4. 日本の周辺でのみ米軍を防護する・・・維新、旧民進、(立憲)
5. 世界中で米軍を防護する・・・・・・・集団的自衛権違憲/自民、公明

 

では、順に見ていきましょう。まず、1番の非武装中立ですが、これは軍隊を持たない、交戦権も放棄するという考え方で、憲法9条2項に明記されている考え方です。この条文を変更すべきではない、と主張しているのは共産党です。社民党は、若干曖昧なところもありますが、福島瑞穂氏などは「9条を守れ」と盛んに言っておりますので、一応、共産党と同じ主張であろうかと思われます。主張の根幹は、憲法9条というのは、日本が目指すべき目標であって、9条があるから戦後72年間、日本は戦争に巻き込まれることなく平和に暮らすことができた、という点にあろうかと思われます。実際、かつての日本はアメリカからの圧力に対し「お金は出せるけれども、憲法9条があるので自衛隊は派遣できない」と言って、海外派兵を拒否してきた経緯もあります。では、仮に日本が外国から軍事攻撃を受けた場合はどうするのか、という疑問が沸いて来ます。この点、共産党の志位委員長は、「攻撃を受けないように、対話によって問題を解決する」と説明しています。しかし、設問としては「対話によっては解決できず、日本が攻撃を受けた場合にどうするのか」という点にある訳で、共産党はこの問いに対して、明確には答えていないようです。現実問題としては、3番の個別的自衛権までは認めざるを得ないものと思われます。

 

次に2番の「武装中立」ですが、安倍総理が主張している改憲案がこれに当たります。9条に3項を設け、自衛隊の存在は合憲であることを明確にするという案です。「災害救助など自衛隊の人たちには、本当に頭が下がる。この程度であれば、安倍総理が言うように9条を改正してもいいかな」と思われる方も多いのではないでしょうか。しかし、この案には2つの問題があります。第1には、9条2項との関係です。9条2項には明確に非武装中立、すなわち軍隊を持たない、と書いている訳で、この条文を残したまま、自衛隊を軍隊としてどう認めることができるのか。自民党は、未だに具体的な改憲案を示していませんが、それが公開された時点で、注意深くチェックしてみる必要があります。第2の問題点は、法律上のちょっとテクニカルな問題です。これは、「後からできた法律などが優先される」という法律解釈に関する問題です。既に日本には、5番の「世界中で米軍を防護する」という法律が存在しています。これは、憲法違反の法律です。しかし、この法律が現存するまま、安倍総理が主張するような憲法改正を行いますと、5番の憲法違反の法律を追認してしまうことになる、という問題があるのです。

 

次に、3番の個別的自衛権ですが、これはあくまでも日本が武力攻撃を受けた場合に反撃できるという考え方で、政府見解、学説(長谷部恭男氏、小林節氏 他)共にこれを合憲であると認めています。前述の通り、現実問題としては、共産党社民党もこれに異論はないものと思われます。

 

4番の「日本の周辺でのみ米軍を防護する」という考え方ですが、これは個別的自衛権集団的自衛権の中間に位置するような考え方だと思われます。元来、アメリカは日米安保条約に基づき、日本が第三国から攻撃を受けた場合、日本を防護する義務を負っています。これは、アメリカにとっては集団的自衛権ですね。アメリカは、日本を守ってくれる。仮に、北朝鮮が日本を攻撃しようとする。アメリカの艦隊が日本海にやって来る。アメリカは明らかに日本を防護しようとしている。その時、自衛隊の目前でアメリカ軍が攻撃を受けたとします。自衛隊は、アメリカ軍を助けるべきか否か。こういう問題だと思います。私は、自衛隊はアメリカ軍を助けるべきだと思います。何しろ、アメリカ軍は日本のために戦っているのですから。また、結果としてアメリカ軍を助ける行為は、日本の防衛にもつながります。では、“日本の周辺”と言わずに“日本を防護しようとしている米軍”と言えば良さそうなものですが、法律的にはその米軍が何を目的にその場所にいたのか、判断するのが難しい。たまたまそこにいたのか、日本を助けようと思ってそこにいたのか、これを証明することは困難ですし、そもそも上の例で自衛隊が米軍を助けようか否か判断すべきその一瞬に、米軍の意図を確認することなど不可能です。よって、より判別のつきやすい“場所”、すなわち“日本の周辺”という条件を設定しているものと思われます。

 

日本の周辺であれば、米軍を防護する。そこまではいいだろう、そこまでなら集団的自衛権と言わずとも、日本の個別的自衛権の範囲内にあると考えることができる。このように考えている政党、政治家は少なくありません。例えば、安全保障関連法を審議した際、維新の会はこの考え方を採用し、対案を提出しました。その際、維新の会が相談した憲法学者は、日本周辺に限るのであれば違憲ではない、との意見だったようです。民進党の前原氏、希望の党の細野氏なども、実はこの考え方を採用しているようです。(但し、小池百合子氏の考え方は不明であり、希望の党としてどのような立場をとるのか、現時点で推し量ることは困難です。)

 

最後に5番の「世界中で米軍を防護する」という考え方ですが、既に日本はこの考え方を法制化してしまいました。安全保障関連法です。これは、当時、安倍総理が言っていたようにホルムズ海峡(地球の裏側)においてまで、米軍を防護するというものです。これでは、危なくって仕方がありませんが、この考え方を採用しているのは、与党の自民党公明党ということになります。

 

マスコミの報道は、4番と5番を一緒にして、一言で“集団的自衛権”と表現するケースが多いように思いますが、その内容は上記のように2つに分けて論じるべきです。

 

ところで、立憲民主党の立場はどうなっているでしょうか。まず、前述のように安倍改憲を支持してしまうと、一気に5番の地球の裏側まで行ってアメリカ軍を助けるという集団的自衛権まで認めることになってしまうので、これには反対である。また、政治を行う上で、憲法改正の優先順位は高くない。(保育士、介護士の給与改善、派遣の労働者を正規従業員に登用させるための法改正などの方が優先順位が高い、という意味かと思われます。)但し、4番の日本の周辺に限定して米軍を防護するというところまでは、これを憲法に定めるという選択肢もある。このような立ち位置にあるようです。

 

最近、“野党は共闘すべきだ”と市民団体が主張しており、それには一定の理解もできますが、あくまでも1番の非武装中立固執している共産党社民党と、現実的に4番まで考えている立憲民主党とでは、共闘は難しいものと思われます。

No. 145 対米従属と憲法9条(その3)

1つ重要な前提条件を書き洩らしていました。それは、日米安全保障条約のことです。私は、これを否定するものではありません。昨今、この条約まで否定して、日本が核武装すべきだ、というような論議もない訳ではありませんが、私は、こういった考え方には反対です。私が日本の独立と言っているのは、日本にある134もの米軍基地のうち、沖縄の1か所位は減らせ、日米地位協定は改定しろ、官僚が勝手にやっている日米合同委員会は中止しろ、密約があるのであればその内容を開示しろ、日本は核兵器禁止条約に参加しろ、ということです。

 

さて、前回の記事で重武装中立論も徴兵制も現実的ではない、ということを述べました。しかし、冷静に考えてみますと、日本の独立というのは、そう難しいことではないと思うのです。私たち日本人がそう望んで、それを選挙の投票行動で示せば、実現可能であるということを述べたいと思います。

 

まずは、漠然とした不安感を理性の力で克服する必要がある。アメリカに逆らおうものなら、とんでもない目に合わされる。多くの日本人はなんとなく、漠然と、そう思っている。原爆を投下された記憶が、日本人という集団の深層心理として、今も作用している。これは、無理もないことだと思います。元来、人間というのは、恐怖心を過剰に持つ動物なのかも知れません。例えば、中国の万里の長城は、秦の始皇帝が北方の異民族が攻めてくるのを怖れて、作らせたものだと言われています。人類史に残るあの巨大な建造物は、人間の恐怖心の大きさを示している。しかし、その恐怖心を乗り越えなければ、私たちの文化は進化の歩みを止めてしまう。

 

日本が武力攻撃を受けたとします。さて、あなたはどの国から攻められたと想像するでしょうか。可能性があるのは、せいぜい、北朝鮮、ロシア、中国の3か国ではないでしょうか。してみると、この3か国からさえ攻撃を受けないようにすれば、日本の安全は保たれることになります。まずロシアですが、これは現在北方領土で共同事業を行う計画も進んでおり、懸念対象国から除外しても良いかも知れません。ロシアが欲しがっているのは、日本からの経済援助、技術援助であって、日本の領土ではないと思います。次に北朝鮮ですが、これは日本に米軍基地があるから、巻き込まれるリスクがあるのであって、北朝鮮には日本自体を攻撃する合理的な理由がありません。日本の領土の上空をミサイルが通過したとは言え、北朝鮮は通過する日本の国土の距離を最小に留めるため、津軽海峡の辺りを狙ってミサイルを飛ばしたものと思います。もちろん、北海道や青森県の方々にとっては、まったくもって迷惑な話だとは思いますが・・・。北朝鮮問題が今後、どのように進展するのか、それは私にも分かりません。来月、トランプ大統領が習近平氏と会談する予定があるそうですが、あるいはそこで中国の了解を取り付け、その後、アメリカが先制攻撃を仕掛ける可能性も否定できない状況だと思われます。しかし、北朝鮮に対立する第一の当事者はアメリカであって、第二は韓国。日本は、巻き込まれてしまう危険性のある部外者です。その証拠に、現在も米韓合同軍事演習が行われていますが、日本はこれに参加していません。それにも関わらず、国連北朝鮮に対する圧力の強化ばかりを主張した安倍総理の態度は、アメリカのご機嫌取りとしては効果があったものと思いますが、反面、我々日本国民が抱えるリスクを高めたのではないか。

 

残るは、中国ですね。中国では、臨海部で経済発展が進んでいますが、内陸部は未だ貧困状態にあります。この格差を解消するのが、中国の課題だと思われますが、そうするためには、食料とエネルギーが足りないのではないでしょうか。何しろ、人口の多い国ですから、国民生活の底上げが図られた場合、そこで消費される資源も膨大な量となる。そこで、中国は海洋資源に注目している。ここでの権益を拡大しようと試みている。そこで、南沙諸島に人工島を作ったり、日本の尖閣諸島を脅かしたりしているように思います。このように考えますと、中国には、日本の尖閣諸島を侵略する経済的な理由がある。逆に言えば、北朝鮮の問題を除外しますと、日本は中国から尖閣諸島さえ防衛できれば、国の安全を確保できる。このように考えますと、ちょっと安心できませんか?

 

前回の原稿でちょっと引用させていただきました憲法学者長谷部恭男氏の本は、次のように締め括られています。

 

「いつまでも域内の諸民族を力ずくで抑圧する前近代的な帝国の支配が継続することはないと見た方がよいでしょう。いずれ中国もリベラル・デモクラシーへと変容するはずです。その日まで、自由で民主的な政治体制の下での私たちの暮らしをどう守っていくか。それを冷静に考える必要があります。」

 

これは、私の「文化は必ず良い方向に進化する」という“文化進化論”とでも呼ぶべき考え方に合致しています。こういう文章に出会うと、ちょっと嬉しくなってしまいます。

 

ところで、立憲民主党を立ち上げた枝野幸男氏ですが、すっかり全国区で有名になってしまいました。実は私、昔から近所の駅で演説している枝野氏を何度か見掛けたことがあるのです。大概、聴衆は誰もいませんでした。誰も聞いていないのですが、それでも一生懸命何かを訴えていた枝野氏の姿が思い出されます。それにしても、人間の運命というのは分かりません。ご案内の通り、枝野氏は前回の民進党代表戦に出馬し、善戦はしたものの前原氏に敗れてしまいました。その直後に、民進党の両院議員総会で前原氏の提案が可決され、原則的には全員が希望の党へ合流することになった訳ですが、その後、小池氏の“排除”発言があります。枝野氏にしてみれば、踏んだり蹴ったり、という状況だったはずです。ところが、10月2日に会見を開き、翌3日に立憲民主党を立ち上げると、そこから一気に流れが変わった。今、立憲民主党に風が吹いているようですが、それは天下国家を論ずることのできる枝野氏の視野の広さ、今日までの努力に負っているところが大きいのではないでしょうか。

 

そんな枝野氏ですが、立憲民主党を立ち上げた9日後(12日)には、沖縄に飛んで演説しています。そこで、こんなことを言っていました。

 

「沖縄の基地の問題は、決して簡単に解決できる課題ではない。しかし、今後、ゼロから検証したい。日米地位協定の改定にも、全力で取り組みたい。何事も、チャレンジしなければ変わらない。アメリカにも沖縄への基地の固定化にこだわらない人たちがいるのではないか。アメリカだって民主主義の国だ!」

 

日本人が漠然とした不安感を克服し、枝野氏のような政治家なり政党に投票すれば、日本は必ずアメリカから独立できると思います。

No. 144 対米従属と憲法9条(その2)

 

対米従属がもたらす問題点は、以下の3点ではないでしょうか。

 

第1に、立憲主義の破壊という問題があります。安全保障関連法が国会で決議される際、参考人として出席した憲法学者長谷部恭男氏、小林節氏などは明確に違憲である旨、証言しております。すなわち、アメリカに追従するため、憲法違反である可能性が極めて高い集団的自衛権が、立法化されてしまった。これでは、立憲主義が破壊されている。そんな法律は本来認められない訳で、最高裁判所に訴えれば良いはずだと思います。実際、最高裁違憲立法審査権という権限を持っていて、憲法違反の法律を無効にすることができるはずなんです。しかし現実問題として、日本の最高裁は高度に政治的な影響力を持つ事例については、判断を避けてきた。そこで、それでは本来の憲法判断を下す裁判所として、“憲法裁判所”を設置すべきではないか、という議論が起こっているようです。これは、是非、設置すべきだと思います。

 

さて、対米従属がもたらす第2の問題は、本当にそれで日本人の安全が守られるのか、ということです。仮に自衛隊がホルムズ海峡まで行って、米軍を助けた場合、高い確率で日本はその戦争に巻き込まれてしまいます。地球の反対側では、イスラエルパレスチナキリスト教イスラム教 など、歴史的な宗教戦争が継続している。元来、神道仏教の国である日本が、そのような戦争に参加すべきではない、というのが私の持論です。最悪、日本国内でテロが発生しないとも限りません。また、世界情勢を俯瞰してみますと、米国の衰退と中国の台頭という傾向が見て取れます。素直に考えた場合、中国が台頭して来るのであれば、今から中国と仲良くしておいた方が良いのではないか。加えて、日米地位協定という治外法権の問題があります。先日も沖縄でヘリコプターが墜落しましたが、日本側は現場検証にも立ち会うことができません。放射性物質が拡散されているのではないかという報道もあったようですが、真実は分かりません。

 

対米従属がもたらす第3の問題は、日本の文化が進化を止めて停滞しているということです。安全保障という政治上、最大の課題について、日本は自ら決定することができない。安倍総理集団的自衛権について、これを認めるようアメリカから要請を受けていたと田原総一朗氏に述べていた、との報道がありました。そんなことを今さら暴露する田原氏もどうかとは思いますが、多分、これは事実なのでしょう。安倍総理は日本の国会で審議する前に、集団的自衛権に関する法律を日本の国会で可決すると、アメリカの議会で演説をしていたのではないでしょうか。すなわち、対米従属と自民党政権というものが相まって、日本人の中には「何を言ってもダメだ」という無力感、虚無感が蔓延している。ただでさえ、帰属集団から疎外されている人たちが、政治からも疎外されている。だから、選挙の投票率も上がらないのだろうと思います。疎外された人たちというのは、「昭和の暴走族」のように反社会的な集団を作りやすい。

 

では、どうすれば日本はアメリカから独立できるのでしょうか。この問題について、いくつかの考え方をご紹介致します。

 

まず、社会学者の宮台真司氏。宮台氏の意見としては、憲法9条を改正して、集団的自衛権を正面から容認し、重武装中立を目指すというものです。日本の軍隊を強化して、米軍基地に派遣する。そして、米国と新たな地位協定を締結する。その際、治外法権である現行の地位協定の条件を提示し、これをテコにして、最終的には現行の地位協定を公平なものに変更させる、というアイディアです。実際、他国はこの方法でアメリカと折衝し、地位協定の改正に成功している、と宮台氏は説明しています。

 

沖縄の現状を考えれば、このアイディアにも一理あるような気はしますが、先に述べました通り、日本が宗教戦争に巻き込まれるリスクが発生してしまいます。よって、私としては賛成できません。

 

次に、法哲学者の井上達夫氏。井上氏は、憲法について9条削除論と呼ばれる独自の案を提示していますが、その中で、徴兵制について言及しています。徴兵制を敷けば、国民は必然的に政治に興味を持たざるを得ない。そして自らが、若しくは自分の近しい者が戦地に派遣されるリスクを負うようになれば、戦争に関して必ず慎重になる。だから、徴兵制を敷くのが良い、という意見です。

 

確かにそこまですれば、アメリカから独立できそうです。しかし、徴兵制というのは、なかなか難しい仕組みであって、国民を分断する新たな契機となりかねない。まず、年齢。徴兵される可能性の低い60代の人間が主張しても、現実のリスクを負担する若い人が納得できるのか、という問題があります。また、男女の問題もある。確かフィンランドだったように記憶しているのですが、同国の徴兵制は、女性をも対象としている。非力な女性にまで、銃を持たせるのが良いのか。そんな制度を作って、男たちの心は痛まないのか、と思います。一方、韓国の徴兵制は、男だけを対象としていますが、それでは「徴兵に応じる男の方が偉いんだ」という男尊女卑の価値観に結びつきかねない、ということで論議になっているようです。ここで、徴兵制に反対する憲法学者、長谷部氏の意見を紹介致します。(文献1)

 

「軍事技術が高度化した現代社会では、一般市民を訓練して軍事行動に参加させること自体が、非現実的ではないかとの疑問を突き付けられることになるでしょう。」

 

どうやら、重武装中立も、徴兵制も、得策ではなさそうです。

 

(参考文献)
文献1: 「この国のかたち」を考える/岩波書店長谷部恭男/2014

No. 143 対米従属と憲法9条(その1)

少し前の原稿で、民族が南北に分断されている韓国は悲惨な状況にあると書きましたが、“文化”という基軸で見れば、日本もそれ程、幸福な状況にある訳ではないと思います。戦後72年もたっていると言うのに、少なくとも軍事的な意味では、日本は未だにアメリカに支配されており、独立できていない。私がそう考える理由をまずは箇条書きで記します。

・北海道から沖縄まで、日本には134か所もの米軍基地があり、51,794人の米軍が駐留している。(2009年3月現在)日本列島は、あたかも米軍の不沈空母のようです。そして、駐留米軍には“日米地位協定”という治外法権が適用されている。
・沖縄の人々が懇願しているにも関わらず、米軍は沖縄から撤退しない。
・日米合同委員会なる組織によって、日本の官僚組織は、米軍から指示を受けている。
・米国の立場を忖度するあまり、唯一の被爆国であるにも関わらず、日本は核兵器禁止条約に参加できなかった。

他にも色々あるでしょうが、上記の4項目だけでも十分ではないでしょうか。そして、自民党政権というのは、対米従属を積極的に容認している。これは、集団的自衛権を規定した安全保障関連法を成立させたこと、北朝鮮問題などでも安倍総理が率先して、アメリカの方針を支持していることなどからも、明らかだと思います。

元来、政治が扱うべき最重要課題は国の安全保障だと思うのですが、この課題について、日本で本格的な論議は行われていないように思います。野党が食い下がっても、政権党や政府は、論理的に反駁することがない。「そんなことを言ったって、現実的に考えれば、アメリカに守ってもらうしか方法はないだろう。まったくもって、野党の連中ときたら、俺たちがどれだけ苦労してアメリカと折衝していると思っているんだ」。これが本音ではないでしょうか。しかし、建前としてそれを言うことはできない。そう言ってしまうと、日本の世論は反米に向かうでしょうし、アメリカから怒られてしまう。本音と建前が解離しているから、ロジカルな論議というものが成立しないのではないかと思うのです。

加えて、日本の右翼も親米であって、これはちょっと奇妙な現象だと思います。本当に日本と日本民族を愛しているのであれば、沖縄へ行って「米軍は出て行け!」と主張しても良さそうなものですが、そういう右翼はいません。このように考えますと、合理的な理由ではなく、相当数の日本人がある種の集団心理に陥っているのではないか、と思うのです。

第2次世界大戦があって、東京大空襲があった。沖縄戦があった。広島と長崎に原爆を投下され、日本人はさんざんな目にあった。日本人はアメリカにコテンパンにやっつけられてしまった。そこで、例えば“触らぬ神に祟りなし”ということになったのではないか。

ちょっと、やけっぱちになって、こんな想像をしてみました。そもそも日本人は、“やおろずの神”を信仰してきた訳で、キツネだって神様になれる。よって、アメリカが神様になれないはずがない。そこで、神様の祟りを怖れた日本人は、自民党という名の神社を建てた。5年程前にその神社に安倍という名の神主がやってきた。今度の神主は、どうも神様の受けが良いようだ。何しろ、あの神様と27ホールもゴルフをやってきたそうだ。神主は彼に限る。モリ・カケなんて、小さなことはどうでも良い。余計なことを言うな。神様の祟りが怖くないのか。さあ、拝め、拝め!

冗談はさておき、4割程度の日本人が、何らかの集団的心理状態に陥っている可能性は否定できないと思います。そして、3割程度が“疎外”されていて、政治に対する興味を失っている。残る3割が、いわゆるリベラルではないでしょうか。

自民党が政権党として築いてきた今日の政治システムというのは、戦後の日本という国家のシステムそのものであるかも知れません。対米従属、経済最優先、官僚支配の許認可制度とメディア統制。ただ、このシステムで、これ以上日本の民主主義が深まることはない。日本の文化が進化することもないと思うのです。日本は、本当にアメリカから独立できないのでしょうか。

No. 142 文化の構造図(Version 2)

 

前回までのシリーズで、重要なことが分かったように思います。各国は、それぞれ発展途上にある。“行きつ戻りつ”を繰り返しながらも、長い目で見れば、人間社会は集団を大きくする方向に向かっていて、その最終形は地球規模で共存を目指すルールであるはずだ。未完ではあるものの、国連憲章などは、その試みであろう。従って、多様性を許容するのが、より進化した文化の特徴である。

また、文化は特定の方向に向かって、進化を続けている。一度生まれた文化は、ある程度の規模を持つと、消え去ることがない。だから、より進化した文化というものは、過去の蓄積を含め、多くの選択肢を持つ。この点、難しいことを言っている訳ではありません。例えば、スーパーマーケットに行ってみる。日本のスーパーには、無数の食品が置いてありますね。例えば、味噌がある。醤油がある。これは、過去の歴史の産物です。そして、最新の食品まである。例えば、ビールなどもその種類は豊富で、糖質、プリン体ゼロのものまである。これは、例えば江戸時代の食生活と比べてみれば、各段にその選択肢が増えていると言えます。より進化した文化においては、人々は多くの選択肢の中からチョイスすることができるので、文化というのは必然的に、より良い方向に進化する。(いずれ、人類は核兵器の廃絶に成功するのではないか。)

ところで、このブログを40日程休む前に、私はこう述べました。シャーマニズム以降が分からない、と。しかし、今は、その答えが見つかったような気がします。かつて掲載しました文化の構造図をバージョンアップさせ、以下に記します。

<文化の構造図(Version 2)>
1. 遊び
2. 言葉
3. アニミズム
4. 物語・・・文学
5. 呪術・・・美術
6. 祭祀・・・音楽、踊り、ファッション
7. シャーマニズム
8. 文字
9. 宗教
10. 宗教国家(封建制、王権制、君主制民族主義
11. 哲学・・・科学
12. 法治国家立憲主義、民主主義)
13. 世界統一ルール

人類は、5千年程前に文字を発明しました。そこで、扱える情報量が拡大すると共に、情報の伝達、記録という機能も各段に増加したのです。そこで、聖書や法典を作ることが可能となり、宗教が生まれた。宗教は、武力と結合して、集団を統治するようになった。そして、このブログでは宗教国家と呼んでいる封建制君主制の国家が生まれる。やがて、宗教に対して異議を唱える哲学者が出てくる。実証主義のような考え方が生まれ、哲学から科学が派生する。また、哲学から法律という概念も抽出される。やがて、アメリカの独立戦争フランス革命などを経て、法治主義立憲主義、民主主義などの概念が確立されていく。2回の世界大戦を経て、人類は国際連合を作り出す。しかし、その機能は現在も限定的で、世界統一ルールの策定に向け、人類は進化の途上にある。

今は、そんな風に思っています。大分、範囲が広くなりましたが、“文化”というものを考えて来た結果、宗教の段階で終わりにする訳にはいかなかったのです。また、このブログに掲載致しました全ての原稿は、上図のいずれかの場所に関係しているはずです。

なお、一神教イデオロギーのように考えを固定するつもりはありません。Version 3なるものが、将来生まれるかも知れません。この点は、予めご了承ください。

このブログを途中からお読みいただいている方々もおられると思いますので、いずれ、上図を簡単に説明するシリーズを立ち上げたいと思っています。但し、今は衆院選の前ということもありますので、次回からは“対米従属と憲法9条”というシリーズを開始したいと思っております。ご興味ある方、是非、宜しくお願い致します。

No. 141 集団スケールと政治の現在(その14)

 

1. 個人
2. 血縁集団
3. 帰属集団
4. 組織集団・・・・・・・・・・韓国
5. 民族
6. 一神教イデオロギー・・・・中国
7. 民主国家・・・・・・・・・・アメリカ
8. グローバリズム

今回の衆院選につきましては、どの党がどれだけ議席数を獲得するか、総理が誰になるのか、という点がポイントになる訳ですが、私は別の興味も持っています。それは、民進党参議院議員の動向です。今は、選挙に向けて各地に散らばり、必死に選挙戦を戦っていますが、選挙が終われば、東京に集まって今後の方針を論議することになります。前原氏のシナリオでは、全員が希望の党へ合流するということでしょうが、果たしてそうなるでしょうか。50人近くの議員がいる訳で、中には立憲民主党へ行きたいという人もいるはずです。そもそも、踏み絵を踏ませて“排除”するような政党には行きたくない、と思っている人も少なくないでしょう。これは、楽しみですね。旧民進党のグループが希望の党を乗っ取るか、はたまた希望の党が分裂するか。今回、無所属で出馬している人たちを含め、色んな動きがありそうですね。

 

さて、本論に入りましょう。今回は、集団スケールの一覧に基づき、私たちに比較的身近な外国の状況を考えてみます。

 

まず、韓国。韓国の大統領は、任期中、若しくは任期終了後に逮捕されるという不思議な現象が続いています。中には、大統領を降りてから自殺した人までいるようです。パク・クネ氏は任期中に収監されましたが、その際の裁判などは、国民の意向を斟酌して公正な判決は下されなかったという説もあります。してみると、韓国は未だ民主国家、法治国家の域には達していない。韓国の主な宗教は、儒教だと思われますが、これは強固な主張を持っておらず、アニミズムに近いように思います。すなわち、一神教イデオロギーもない。次に小さな集団スケールは“民族”ということになりますが、朝鮮民族は南北に分断されているため、民族主義で国をまとめることはできません。強いて言えば、サムソンなどの旧財閥系の組織集団があるだけだと思うのです。経済もうまく行っていないし、北朝鮮からの挑発もひっきりなしです。これは、かなり悲惨な状況にある。こういう事情が背景にあって、韓国の国民のメンタリティを統合しているのは、“反日”しかないのではないか。日本の悪口ばかり言って腹立たしい限りではありますが、“反日”を止めたら、国のまとまりがなくなってしまう。それが、韓国だと思います。

 

次に、中国ですが、これは共産党一党独裁ということで、集団スケールとしては6番目のイデオロギーということになります。中国は多民族国家なので、民族主義によって、国家を統一することはできません。では、民主国家へ移行するというアイディアはどうでしょうか。北京や上海などの臨海部におきましては、経済水準も教育水準も高い。従って、この地域限定であれば、民主国家への移行も困難ではないように思います。しかし、中国には13億5千万人の人々が住んでいる。山間部までを含めて、一斉に民主国家へ移行するとなると、どんな政治家が選出されるのか、どんな法案が可決されるのか、はなはだ不安であると言わざるを得ません。ついこの間まで、中国では北京で発布された法律が、地方まで浸透するには相当時間が掛かると言われていました。法律を知らない退役軍人が弁護士をやっているという噂もありました。そうしてみると、中国が民主主義、法治国家へ移行するためには、まず、教育や社会システムの合理化から着手する必要がありそうです。

 

では、アメリカはどうでしょうか。アメリカは立憲主義、民主主義の国です。2大政党制も機能しています。そもそもアメリカは、移民による多民族国家だったので、とにかくルールを決めて、合意を形成していくという方法しかなかったようにも思えます。また、アメリカでは、宗教、主にキリスト教ですが、これを信仰している人の割合は、ヨーロッパよりもかなり高い。そういう統計が出ています。これは、国家としての歴史が浅いことと、関係しているような気がします。また、民族という観点から言えば、民族の数が多過ぎて、これは人々を識別する基準たり得ない。同じ白人でも、元をたどればドイツ系だ、フランス系だということになってしまう。そこで、民族ではなく、人種、すなわち肌の色で人々を差別するという悪習が残っている。最近も、白人至上主義者のデモが、リベラリストの集団と衝突したというニュースがありましたね。白人至上主義とは、なんて時代錯誤な発想なんだろうと思いますが、彼らにはこういう主張があるようです。すなわち、就職でも、社会保障でも、黒人を守る法律が沢山あって、黒人は守られている。他方、白人である自分たちは、不景気で職に就くのもままならず、差別されている。これって、日本でヘイトスピーチをしている人たちの主張と、似ているんです。日本では、在日韓国人生活保護費などを認定され易い仕組みがあって、他にも法律上優遇されている。よって、日本人である自分たちは差別されている。やはり、民族主義、人種差別を行う人たちのメンタリティとしては、背後に“疎外”の問題があるのではないか。

 

話を戻しましょう。集団スケールで考えますと、韓国には多様性がない。他方、アメリカの場合は、あらゆるスケールで集団が存在している。多様性がある、と思うのです。この点を整理してみますと、人間社会というのは、その集団スケールを拡大する方向で進化していて、かつ、スケールの小さな集団もなくなる訳ではない。すなわち、人間社会の進化というのは、集団のスケールを大きくすると共に、その多様性を増して行く方向で、進化しているのではないか。人間社会は、ある方向性を持って進化している。

 

大変な問題にぶつかってしまいました。ただ、この点について論じた先人は、少なくない。先人たちは、この問題を例えば“歴史的必然”と呼んで来たのではないかと思うのです。ある方向で人間社会が進化する。それは、歴史的な必然だったのだ、と。そして、昔の人はその方向性というのは、神が、若しくは神に類似する何者かによって、指し示されていると考えた。

 

しかし、文化について考えてきた私としては、仮説として、次のメカニズムを提示することができる。

 

例えば、ある特定の文化領域において、現在の私たちは、A、B、Cという3つの選択肢を持っている。そして、今後100年の間に、DとEという新たな選択肢が発明されたとします。100年後、ある人がどうしようかと考える。現代の私たちには、3つの選択肢しかありませんが、100年後のその人には、5つの選択肢がある訳です。やっぱり、新しい、Eにしようと考えるかも知れません。若しくは、新しいEと古いAを組み合わせて、更に新しいFという選択肢を発明するかも知れない。

 

(古い) A、B、C → D、E、新発明F (新しい)

 

このようなメカニズムによって、長い目で見れば、人間社会というのは必ず、良い方向に向かうのではないか。これは神の意志でも、歴史的必然でもない。文化のメカニズムなのだ、と思います。ちょっと、明るい話になって来ました。

No. 140 集団スケールと政治の現在(その13)

 

1. 個人
2. 血縁集団
3. 帰属集団
4. 組織集団・・・・・・・・・・公明党民進党
5. 民族・・・・・・・・・・・・自民党(?)、希望の党(?)
6. 一神教イデオロギー・・・・共産党
7. 民主国家・・・・・・・・・・該当なし
8. グローバリズム

相変わらず希望の党に関するニュースが流れ、それらを見るたびに私の血圧は上昇してしまいます。一つ言えるのは、先に書きました私の読みは、大体当たっているだろうということです。選挙後に小池一派と前原組の権力闘争が始まる、という推測です。多分、希望の党の支持率は急落しているので、選挙後には責任問題が浮上する。それを見越して、前原氏は同党の重職に就くのは嫌だ、そう思っている。思うような結果を残せなかった場合、「全ての責任は小池氏にある」と言いたい。そう言える余地を残しておきたい。ただ、旧民進党の枠の中で、前原氏の責任を追及する動きも出てきそうです。政治の世界って、本当に怖いですね。

 

さて、本論に入りましょう。冒頭の一覧で私が考えていることの結論を先に申し上げます。私は、各政党の立脚点というのは、番号が大きい程良い、という原則があると思うのです。例えば、モリカケ問題などは、安倍総理のオトモダチを優遇するので問題となった。オトモダチというのは帰属集団で、番号は3です。最終的には、8番のグローバリズムということになりますが、現在、人類はその域に達していません。そのため、7番の“民主国家”を当面の目標とするのが現実的ではないか、と思うのです。もちろん、ここで言う民主国家とは、立憲主義法治主義に基づくものです。民族主義とは全く違います。現在の日本には、いわゆる大和民族の他にアイヌ民族琉球民族の方々がおられ、そしてアイヌ民族にはカムイという神がいて、琉球民族にも独自の信仰がある。これら複数の民族に対し、「共存する意志を持て」と言っているのが、日本国憲法です。更に、日本には主に大陸からこられた移民の方々もおられる。これら全ての方々を含めて、民主国家、日本は構成されている。そういう意味で、私は、民主国家としての日本国の利益を考える政党というものが、目指すべき位相であると考えています。しかし、残念ながらこの観点から言って、100点満点の政党というものは、現在の日本に存在しない。これが結論です。

 

前回の原稿で自民党について言及しましたが、ちょっと補足致します。自民党の安全保障政策というのは、対米従属にある。一方、そのメンタリティは民族主義にある。この2つは、論理的には整合しません。本当に大和民族が重要だと思っているのであれば、外国に従属するとは何事だ、ということになるはずなんです。大和民族の独立を目指せ、という主張があって然るべきだと思うのです。しかし、自民党からそういう主張は出て来ない。してみると、自民党民族主義というのは、本物ではない。確かに、8月には靖国神社にお参りする議員もいますし、安倍政権の大半の閣僚は、極右とも言われる日本会議に参加しています。しかし、これらの事項は、単に票を集めるための行動なのではないか。このように解釈しますと、自民党という政党の本質は、特段のメンタリティを持たず、ひたすら対米従属、経済優先、そして票を集めるためのポピュリズムにある、と見る方が正確かも知れません。敗戦後の混乱の中から、日本は経済を復興させてきた。そのために自民党が果たした役割は大きい。しかし問題は、戦後72年が経過した今日においても対米従属を継続している。集団的自衛権を定めた安全保障関連法というは、自民党の対米従属という姿勢が、はからずも白日の下にさらされた事例ではないかと思うのです。この対米従属を是とするのか否か、これこそが現在の日本の政党を識別するモノサシであるべきかも知れません。

 

以下、駆け足で他の政党を見て行きましょう。まず、共産党ですが、これは6番のイデオロギーという位相に軸足を持っている。番号としては、大きい方です。宗教よりはイデオロギーの方が、科学に近い。しかし、共産主義を唱えたマルクスという人は、日本で言えば江戸時代の人なんですね。問題は、そこから時代の変化に対応する柔軟性を持っているのか、ということだと思います。イデオロギーという一つの仮説に固執するのは、良いことではありません。志位委員長の在任期間が長いことからしても、党内に民主主義が根付いているのか、疑問があります。他方、今回の民進党解体劇のようなことが起こっても、共産党はぶれない。そういう強みがあることも確かではあります。

次に公明党ですが、これは創価学会宗教法人として享受している税制上の利益などを守ろうとしていると言われています。創価学会は、組織集団という位置づけになります。これも、“民主国家”からは程遠い。但し、安倍政権による憲法9条の変更について、現在、公明党は慎重姿勢を見せており、この点は評価できます。私は、政教分離は徹底するべきだという立場を取っていますが、公明党が今後も政治活動を継続するのであれば、もっと平和主義に徹していただきたいものです。

 

民進党の支持基盤は、連合ですね。これも組織集団です。その意味で、公明党創価学会を支持基盤としているのと、位相としては同じだと思うのです。特定の支持団体を持つと、どうしても掲げる政策も支持団体の利益を優先せざるを得ない。これがしがらみです。なお、連合自体、内部矛盾を抱えている。その加盟労組の中には、共産党系もあれば、かつての御用組合のような反共産党系の組合まである。連合の内部矛盾が、そのまま民進党に持ち込まれていたとも言えます。民進党が解党しようとしている現在、連合自体も岐路に立たされています。

 

希望の党は、今のところ、数合わせの政党であって、その特徴は自民党と変わらないように思えます。

 

立憲民進党ですが、民族、宗教、イデオロギーに依存しないという意味では、最も民主国家の位相に近い政党だと思います。一つ残念なのは、連合に選挙協力を求めている点です。こんなことを言いますと、お叱りを受けそうですね。

「君のように理想論ばかり言っていては、政治は動かないんだよ。現実問題として、一体誰がポスターを張ってくれるんだ。政治には、お金だって必要なんだよ!」

ご説ごもっとも。しかし、もっとネットが普及すれば、そういう手間もお金もかからない選挙ができるようになると思います。あと、10年もたてば、状況が一変するのでは?

そう言えば、小沢一郎氏が率いる自由党を忘れていました。民進党が分裂して、現在、自由党の皆さんは苦境に立たされているようです。小沢氏としては、希望の党のように自民党との連立など、さらさら考えていないでしょうが、今は、選挙後の希望の党の内部抗争を見据えている。今は、動くべき時ではない。そう思っているものと推測します。

 

このように概観してきますと、現在の日本の政治状況というのは、“民主国家”の位相を目指してはいるが、まだ、そこに到達はしていない、と言えるのではないでしょうか。