文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

自由とは何か

 

前回の原稿で、権力を構成する3つの要素について述べた。

 

  • 暴力
  • 思想
  • 経済

 

シンプルな例で、少し、補足したい。

 

昭和の時代に、頑固親父と放蕩息子がいたとしよう。頑固親父は、戦時中に青年期を過ごし、特段、オリジナルな思想というものを持ち合わせていなかった。一方、放蕩息子は初恋に胸を焦がし、ロックバンドに夢中になっていた。学校には全く興味が湧かず、勉強なんてものはくだらないと思っていた。頑固親父は、そんな放蕩息子をしょっちゅう殴った。最初は平手打ちだったが、一向に効果がないと知ると、今度は拳固で殴った。放蕩息子の方は、しょっちゅう鼻血を出していた。

 

何せ、頑固親父は突然怒り出すので、放蕩息子の方は戦々恐々とした日々を過ごしていた。頑固親父の決まり文句は2つあった。1つ目は「親の言うことが聞けないのか!」というもので、2つ目は「学費を出してやらないぞ!」というものだった。

 

そこで私は、いや、放蕩息子は考えたのだった。何故、自分は頑固親父に勝てないのか。その理由は、圧倒的に頑固親父の方が権力を持っているからだった。では、その権力の背景には何があるのか。そして、上に記した3つの要素に行き着いたのだった。

 

まず、暴力がある。ひと度、暴力を振るい始めると、頑固親父は錯乱状態に陥る。下手に反抗すると、何をしでかすか分からない。殺されるかも知れない。従って私は、ひたすら身体的な痛みに耐える他はなかったのである。次に、思想がある。頑固親父としては、親は子よりも偉いと考えていたのである。これは統一教会などが主張している家父長制に立脚したものだ。女よりも男の方が偉い。年少者よりも年長者の方が偉い。そういうことを前提とした思想なのである。そして、3つ目は経済だ。何しろ放蕩息子は、金を持っていなかった。家を追い出されて、学費を自分で稼ぐことなど、とても考えられなかった。そこで、頑固親父の権力に屈する他はなかったのである。

 

しかし、そんな権力は長く続かない。やがて放蕩息子は成長し、頑固親父よりも立派な体格になった。すると、頑固親父は暴力を振るわなくなった。自然の成り行きである。また、放蕩息子は様々な経験を積み、本を読み、考えるようになった。そして、思想的に頑固親父を凌駕するようになったのである。最後に、放蕩息子はなんとか就職し、経済的に自立したのだった。これで、放蕩息子は頑固親父の権力から完全に脱したのである。但し、言うまでもなく社会に出た放蕩息子は、より大きな権力と向き合わなければならなかった。

 

さて、上に記した例は、言わば小さな権力である。では、もっと大きな、例えば国家権力についても3つの要素に分解して考えることはできるだろうか。私は、できると思う。国家権力について分析しようと思えば、憲法がその素材となるだろう。憲法とは、国家権力に歯止めを掛けようとするものだ。従って、憲法を分析すれば、国家権力の類型を導き出すことが可能となる。

 

暴力の本質は、身体に対して直接的な影響力を行使することにある。そして憲法は、第18条において奴隷的拘束および苦役を禁止すると共に、第36条において拷問や残虐刑を禁止している。次に思想についてだが、憲法は第19条において思想および良心の自由を保障している。経済について憲法は、第25条において文化的な最低限度の生活を保障すると共に、第29条において財産権を保障している。

 

では、権力に対抗する概念とは何か。憲法には自由、権利、人権などの用語が登場する。権利と人権とは、ほぼ、同じ意味だろう。そしてこれらが措定するのは、国家権力によって侵害されることのない事柄を意味しているに違いない。これは消極的な意味を持つ。他方、自由という言葉には、積極的な意味も含まれるだろう。権力とは離れて、自ら何かを創造しようとする積極的な意味をも包含するに違いない。ここでは、より普遍的な意味を含む自由という言葉を採用しよう。

 

では、自由とは何か。

 

権力に関する3つの区分をベースに考えてみよう。

 

まず、自由とは暴力から解放されることである。

 

次に、自由とは、あらゆる洗脳から解き放たれ、自らの思想を持つことに他ならない。

 

そして、自由とは、経済的に自立し、必要な、若しくは欲しいと思う財産を取得し、維持できるだけの経済力を保持することである。

 

自由という言葉は、広い意味を持っている。そこには、前述したような反権力としての消極的な意味があると同時に、権力を超越した脱権力としての積極的な領域が含まれているに違いない。

 

権力 - 反権力(消極的自由) - 脱権力(積極的自由)

 

ここまで考えると、個々人の生き方に関する説明も可能となる。権力を求める人もいれば、自由を求める人もいるからだ。私は、自由を求めるべきだと思う。永遠に続く権力などというものは、存在しない。完璧な正義というものも、人類史上、確認されたことはない。しかし、権力が粗暴で、醜悪であるということだけは、確かなのだ。だから、人間は自由を求めて生きるべきなのだと思う。

 

権力とは何か

 

権力は「知」を背景とするが、往々にして権力は「知」を捻じ曲げ、抑圧し、骨抜きにする。例えば、企業にとって法令を遵守すること、すなわちコンプライアンスが重要だという「知」は、もう何十年も前から一般化されている。しかしながら、近年においても企業の不祥事は絶えない。これはコンプライアンスという「知」を、企業経営者が無視している証左に他ならない。自動車業界で言えばトヨタグループの日野自動車ダイハツ豊田自動織機らの認証試験に関わる不正、日産自動車の下請法違反などが記憶に新しい。

 

モンテスキュー三権分立を説いたのは1748年のことだが、日本においてそれが機能しているとは言い難い。国会における与党から内閣総理大臣が選任され、内閣は最高裁の裁判官を任命できる。すなわち、日本においては総理大臣が立法、行政、司法の3権を掌握できる仕組みになっているのだ。自民党議員の裏金問題について、検察が及び腰だったのも無理のない話なのである。彼らの上司は、法務大臣なのだから。日本の検察は権力者の味方なのであって、彼らに正義を期待することはできないと思う。

 

権力の起源を考えると、最初に存在したのは暴力だろう。これは、動物の世界にも見られる。次に、シャーマニズムが登場し、宗教的な「知」が生まれ、これも権力を構成した。宗教上の「知」は、人々の思想を統制するものだ。やがて貨幣が登場し、経済力を背景とする権力が生まれた。権力の基本的な要素はこれら、暴力、思想(統制力)、経済の3つだと思う。

 

私はかねてより、上記のように考えてきたが、誰か同じようなことを考えていた人はいないものだろうか。そう思っていた訳だが、遂に発見した。「政治学のナビゲーター」という本(文献1)は、大学生を読者として想定して書かれたものだと思われるが、高齢の私でも興味深く読むことができた。その中に、次の記述があった。

 

- 実体説は、権力を、暴力(物理的強制力)、財力(経済的強制力)、影響力(心理的強制力)など、人間が保有する何らかの力としてとらえる。権力を目に見えるものとしてとらえる、やや古典的な権力観である。 (文献1 P.5)-

 

Bingの人口知能で調べてみると、この説は、ジョン・ロックが人間悟性論(1690年)の中で提唱したものらしい。文献1はこの説にやや批判的な立場を採っている。そして、その後で、関係説を次のように紹介している。

 

- 政治学の発達に従って登場したのが、関係説である。関係説では権力を行使する側と行使される側の相互作用から権力関係が成立すると考える。権力の行使は、権力者から相手(権力を行使される側)に対して一方的になされるのではなく、相手の反応によって権力者の強制力行使の程度は変化する、と考えるのである。 (文献1 P.5)-

 

私としては、この関係説に価値を見出すことはできない。例えば、現在ガザ地区で行われているイスラエルによるジェノサイドを見るがいい。パレスチナ人の反応など関係なく、女性や子供を含めて皆殺しにしているのだ。また、実体説における影響力(心理的強制力)を「思想統制力」と解釈すれば、これは私の説と同等なのである。

 

では、権力の3要素について、順に考えてみよう。

 

まず、暴力。昔の日本社会においては、現在よりも暴力が横行していた。実際、私は親や教師に殴られた経験が少なくない。現在の常識からすれば、ちょっと信じ難いかも知れない。昔は、どこの学校にも竹刀を持ち歩いている教師がいたのではないか。それは威嚇の意味もあったのだろうが、実際に竹刀で生徒を叩いていたのだ。

 

次に、思想。大学を卒業して私が就職した会社には、民社党系の労働組合があった。そして、この組合が洗脳教育を徹底し、選挙活動を強制してくるのだった。嫌悪感しかなかったが、上司である管理職までも結託して、思想統制を行ってくる。民社党やその系列の労組の思想とは、簡単に言うと反共思想だった。とにかく、共産党の悪口しか言わない。最近になってネットで調べてみると民社党は、CIAから資金援助を受けていたらしい。どこか、統一教会に似ている。そんな思想を会社ぐるみで強制するのだから、悪質、低レベルとしか言いようがない。幸い数年後にはその労組のトップが失脚し、思想統制は急速に緩和されていったのだが。

 

現代の日本社会において、上記のようなあからさまな思想統制は、影を潜めてきたのではないか。反面、マスコミによる洗脳が横行しているに違いない。それはそれで、悪質だと思う。テレビばかりを見ている人は、高い確率で自民党支持者になるに違いない。

 

最後に、経済。簡単に言うと、経済的に自立している人、裕福な人が自由に暮らすのは、左程、困難なことではない。労働から解放されれば、気ままな暮らしが可能となる。他方、経済的に余裕のない人は、あくせくと働かざるを得ない訳だ。これが現代日本社会における最大の権力構造だと思う。権力者は、労働者を貧困にさせることによって、つまりはお金の力によって、縛り付けているのだ。それは明らかに、意図的に行われている。非正規労働を導入し、最低賃金は低水準に抑え、更には移民を導入することによって、更なる低賃金化を目指している。

 

このように考えると、行使されている権力を分析すれば、文明や社会、若しくは国家の構造が見えてくる。日本は、未だに暴力や思想統制が横行している北朝鮮のような国よりは余程マシだとは思うが、多くの権力者たちが拝金主義に陥っている理由も見えてくるのである。

 

文献1: 政治学のナビゲーター/甲斐祥子・宮田智之 著/北樹出版/2018

 

ブルーの相棒

 

一昨日から本日に掛けて、2泊3日で房総半島(千葉県)の南端に行ってきた。

 

もうお酒を飲むことは諦めざるを得ないようだ。ブルーの相棒だけが、今の私の励みとなっている。

 

ブルーの相棒

昨日は嵐のような天候だったが、初日と今日は天候に恵まれた。

 

野島崎灯台

最近、次の本を読んだ。

 

〇 ヒトラーユダヤ人/大澤武男/講談社現代新書

 

〇 ナチスの「手口」と緊急事態条項/長谷部恭男・石田勇治/集英社新書

 

〇 政治学のナビゲーター/甲斐祥子・宮田智之/北樹出版

 

いろいろ思うこともあるので、近いうちに原稿にまとめたいと思っている。

 

夕暮れ

 

14日目の断酒生活

 

大腸ポリープを切除した関係上、私は、医者から飲酒を禁じられたのである。この禁酒は、9日間続いた。この期間については、「禁酒期間」と言おう。9日も酒を飲まずにいると、流石に体調は良くなる。胃酸の逆流による胸の痛みも発生しなかった。そこで私は、少しだけ酒を飲んでみることにした。すると残念ながら、物の見事に胸の痛みが再発したのだった。こうして、胸の痛みと飲酒との間に明確な因果関係が認められたのである。これはいけないということで、今度は自発的に酒を断ってみた。この期間は「断酒期間」と言おう。そして、断酒してから、今日で14日目なのである。

 

冷気を吸い込むと、胃酸が逆流する。寒い日、風の強い日が続いたこともあって、私は、あの強烈な胸痛を忘れずに過ごしてきたのだ。そんなこともあって、私は、14日にも及ぶ断酒生活を成し遂げることができたに違いない。但し、今日はとても暖かく、胃酸が逆流する気配を感じない。どうしよう。少しだけ、飲んでみようか。そんな気にもなる。

 

お酒を飲まない人は、それがどうしたと思うだろう。しかし私は、過去50年に渡って酒を飲み続けてきたのである。50年も続けてきた生活習慣を変えることがどれほど大変か、そのことを想像していただきたい。

 

断酒生活において、私が気をつけているのは、比較的簡単な事柄だ。

 

・腹八分目

・食後、3時間は横にならない。

・特に食後は、姿勢を正す。

・煙草の本数を減らす。

 

そんな生活を続けていると、良いことも起こる。1つには、生活費が大幅に削減されるということだ。今日まで私は、如何に酒にお金を費やしてきたのか、そのことを思い知らされた。また、ダイエット効果もあった。私は、2022年の11月に体重が69.7キロまで増加し、以後、入浴ダイエットに務めてきた。入浴ダイエットは時間さえあれば、楽にできる。とにかく、風呂に入って汗をかくという方法だ。これで私は7キロ痩せた。これ以上は無理かなと思っていたのだが、断酒生活によって、更に3キロ痩せた。合計10キロ。できないと思っていることでも、ひょんなことから、それが可能になる場合もあるのだ。一般に1キロ痩せるとウエストは1センチ縮まると言われている。これは私の実感とも合致するのであって、私のウエストは、10センチ位縮まったのである。

 

また、食後3時間は横にならないということを厳守していると、昼寝の習慣がなくなるのだ。大体、眠くなるのは食後だが、3時間もたつと眠気が失せてしまう。昼寝をしないと1日が長く感じる。することがない。本でも読むかということになり、ここのところ読書が捗っている。では、最近読んだ本を紹介しよう。

 

1.「人口ゼロ」の資本論

  - 持続不可能になった資本主義 -  大西 広 著

 

2.資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか  ナンシー・フレイザー 著

 

上記の2冊について、私は、政治学者である白井聡氏の動画によって知った。興味のある方は、是非、ご覧ください。

 

【白井聡 ニッポンの正体】社会も仕事も回らない!~人口減は、資本主義の終わり~ (youtube.com)

 

3.デモクラシーの宿命  猪木武徳 著

 

4.ザイム真理教  森永卓郎 著

 

そして今は、「ヒトラーユダヤ人」(大澤武男 著)を読んでいる。私がこれらの文献を消化するためには、今少し、時間が掛かるかも知れない。

 

最後になるが、大西恒樹氏の動画も紹介させていただこう。

 

株価上昇という悲報を解説する@大西つねきのパイレーツラジオ (youtube.com)

 

私たちが生きている現代の文明社会にはおかしなことが沢山あって、それは多分、持続可能ではない。そのことに気づいている人たちが、思想上の試みに挑戦している。私たちに残された時間は、あまり長くないのかも知れない。大きな破綻がやって来るとすれば、それは多分、アメリカから始まるのだろうと思う。

 

 

ブルーのスイフト・スポーツ

 

いくつになっても、新たにクルマを手に入れるのは嬉しいことだ。ここのところ、病気続きだった私だが、今日は久しぶりに笑みがこぼれた。

 

私自身が老いぼれてきたので、せめてクルマだけでもと思い、少し派手な色を選んだ。

 

スピーディー・ブルー・メタリック

 

 

脱権力としてのアナーキズム

 

2月8日に大腸ポリープの切除を受けた訳だが、その後、女医は私にこう言ったのだった。

 

女医・・・今後1週間、お酒は控えてください。それから、熱いお風呂もダメです。

 

煙草はどうなのだろう。そうは思ったのだが、どうせダメと言うに決まっているので、私はそのことを質問しなかった。私は、病院を出ると近くの喫煙所へと直行し、続けて3本吸ったのである。

 

何故、酒や風呂がダメなのかと言うと、切除した箇所から出血するリスクがあるからなのだ。煙草は止められないので、せめて酒だけは止めようと思い、私の禁酒生活がスタートしたのだった。それも今日で8日目となる。その間私は、グラス1杯のビールも、おちょこ1杯の日本酒さえも口にしてはいない。ポリープ切除のダメージが残っている間は、酒を飲まないことに左程の苦痛は伴わなかった。しかし、すぐに切除に関する記憶は薄れる。ましてや、何の痛みもないのである。一昨日頃から、次第にアルコールが恋しくなってきた。解禁日は、明後日である。今から、その瞬間のことを妄想している。どこの店へ行こうか、やはり最初の一口は生ビールにしようか、つまみは何にしようか。そんなことばかりを考えているのだ。

 

胸の痛みが発生する前、私は、週に3日程、近くの日帰り温泉に通っていた。午前中からたっぷり2時間はかけて、温泉につかる。その施設には適当なレストランがあって、風呂上がりの生ビールを2~3杯、堪能する。これはたまらない。帰宅すると直ちに横になり、2時間程、昼寝をする。ああ、もう他には何も望むことはない! そのような生活を送っていたのだが、あの忌まわしい胸痛(きょうつう)によって、私の暮らしは一変したのである。

 

温泉に行かず、ビールも飲まず、昼寝もしない。そのように暮らしてみると、大きな変化が生ずる。まず、あの胸痛が嘘のように消えたのだ。これで症状が改善されたのか、酒を飲むと再びあの胸痛が再発するのか、それは分からない。2つ目の変化としては、1日が長くなったということである。特に夕食など、あっと言う間に終わってしまう。ゆっくり晩酌をしていた頃は、ミステリードラマ1本を見終わるようなこともあった。しかしアルコールを抜くと、夕食なんてゆっくり食べても30分もかからない。結果として、ミステリードラマは4日に1本見る計算になるが、これだと見終わる頃にはストーリーを忘れている。一体、どのような殺人事件があって、この刑事はこのような捜査をしているのか。それが判然としなくなる。

 

いずれにせよ、長い1日をどう過ごすかという問題だが、結局、本でも読もうということになる。とりあえず、次の本を読んだ。

 

アナキズム / 栗原 康 著 / 岩波新書

 

これは大変、面白かった。なお、表記の問題だが、アナーキーと記して、何故、アナーキズムと記さないのか。実際の発音からしても、ここはアナーキズムと記すべきだと思うので、本稿はその表記を採用する。

 

さて、アナーキズムとは何か、ということを説明する必要がある。一般的には、無政府主義と訳されるが、これでは本来のアナーキズムの一部を説明したに過ぎない。アナーキズムとは、もっと広範な意味を持つ言葉なのだ。栗原氏は、次のように述べている。

 

- 「だれにもなんにも支配されないぞ」とか、「統治されないものになれ」ってのがアナーキーになる。で、それを思想信条としましょうってのが、アナキズムだ。(中略)政府ってのは、統治の一機関だからね。それで「無政府主義」とも訳されたりするのだが、まあまあ、政府だけじゃなくて、あらゆる支配はいらねえんだよってのが、アナキズムだ。 (P. 9)-

 

- 社会の支配から離脱していこうという意志 (P. 237)-

 

では、私が印象に残った本書の要旨を記そう。

 

とかくこの世には、支配者と被支配者が存在する。政府と国民。経営者と労働者。夫と妻。数え上げれば切りがない。このような支配関係の中で、多くの人々が自己を規制し、不本意な人生を送っている。そのような支配を否定し、自己を解放し、今を生きようではないか。例えば、暴力的なデモに参加して自己を解放した際、人間は曰く言い難い高揚感に包まれる。そして、そのような経験を積むことによって、自分にはできないと思っていたことが可能となったり、自己の生が拡張されたりするのだ。

 

自己の解放とは、時として違法性を帯びる。実際、今日まで多くのアナーキストが投獄されてきたのである。そこまではできない、と思う人も多いだろう。しかし、少なくともアナーキズムは、人間がその生を新たなものとして生まれ変わる、変革する力を持っているのだ。人間には、未だ知られていない可能性がある。

 

要約は以上である。いくつかの視点から考えてみたい。

 

まず、文化人類学的な視点から。人類は太古の昔から、高揚感、エクスタシーを求めてきた。例えばそれは、三日三晩踊り続けることによって、自分の身体を傷つけることによって、得られる。そして、そこから人間は啓示を受け、仮説を立ててきたのだ。これは文明の起源だとも言える。このような観点からすれば、アナーキズムは閉塞した現代に対し、太古の知恵をもって対抗しようと主張しているように思える。

 

次に、精神分析的な観点から。フロイトは、人類には物事や他者を包摂しようとするエロスが備わっており、その対極として、他者を攻撃し、排斥しようとするタナトスがあると主張した。タナトスは「破壊欲動」と訳される。全てを破壊してしまいたいと願う、その衝動のことである。そしてフロイトは、タナトスこそが人間を戦争へと駆り立てる原動力だと述べた。アナーキズムは、人間の理性を超えて、このタナトスを解放しようと主張するものではないか。

 

文学的な観点から言えば、アナーキズムは近代以降の犯罪小説と似ている。例えば、三島由紀夫の「金閣寺」においては、金閣寺に放火することによって自己を解放しようとした主人公が描かれている。もちろん、放火という行為は犯罪であって、社会的に許容される行為ではない。しかし、主人公が自らを解放するためには、それ以外に手段はなかったのである。

 

最後に私の文明論に照らして考えてみよう。私の主張はこうだ。文明は身体を中心とした文化領域から出発して、やがて、身体に対するアンチテーゼとして「知」が生まれた。「知」は必然的に権力を構成し、権力が社会秩序を作った。そして近代以降、この権力に対抗する、若しくは権力と相容れない主体というものが認識されるに至った。アナーキズムとは、この権力や秩序に対抗して主体を賛美する思想なのだ。

 

アナーキズムは、一見、反知性主義と類似するように見える。しかしその内実は、反知性主義とは、全く異なるのである。思考に思考を重ねて生み出された、人間が主体を守る、解放するための方法論なのである。

 

アナーキズムは、閉塞し切った現代社会において、何とかそれを打破しようとする1つの試みだと言えよう。但し、私はアナーキストになろうとは思わない。それは、とても過酷な選択だと思うし、第一、既に年老いた私は、自己の内面にタナトスを感じ取ることができないのである。

 

また、本書にはもう1つ重要な主張が含まれている。権力をもって、権力に対抗しようとしてはいけない、というものだ。例えば、経営者に対抗するために強固な組合を作るとする。すると、今度は組合自体が権力構造を持ち、組合員を支配しようとするのだ。これでは、何も変わらない。日本の政治で言えば、自民党に対抗する組織として、共産党が存在する。しかし、共産党員になると、今度は共産党から支配を受ける。昨年、松竹さんという党員の方が、党首の公選制を求めた。するとあろうことか、共産党は彼を除名したのである。何という非民主的な政党だろう。従って私は、労働組合共産党も大嫌いなのである。

 

アナーキズムとは、反権力ではなく、脱権力なのだと思う。

 

 

大腸ポリープの切除

 

実は私、昨日、大きな病院へ行き、大腸ポリープを切除してもらったのである。年始から始まった私の病院通いがいつ終わるのか、それはまだ分からないが、とりあえず憂鬱の種が1つ消えたことは確かだ。事の顛末をここに報告したい。

 

昨年の12月25日に突然発症した激しい胸の痛み。たまらず私は近所の内科医を訪れた。そこで胃酸が逆流しているとの指摘を受け、それと同時に胃カメラによる診療を受けるよう推奨された訳だ。何しろ、胃酸が逆流している可能性があるということは、胃に何らかの問題のある可能性がある。私は渋々、胃カメラによる診療を承諾した。その際、医師はこうも言ったのである。

 

医師・・・市が運営している健康診断を受けるということで宜しいですね。そうすれば胃カメラの費用は無料になります。市の方へは私から連絡しておきます。

 

胃カメラの費用がどの程度なのか、私は知らない。しかし、無料になるということであれば私にこれを断る理由はないと思った。但し、市の健康診断は様々な診断がパッケージになっているのだった。以後、私は胃カメラのみならず、言われるがままに様々な診断を受けさせられたのである。そしてそれらの診断の中には、検便も含まれていたのだ。

 

1月30日、私はその内科医院へ結果を聞きに行った。嫌な予感はしていた。もし検便の結果が悪ければ、その後には大腸の内視鏡検査が控えている。ご存じの方も多いと思うが、この内視鏡検査とは、肛門から管を入れて大腸の内部を見るというものだ。私はこの検査を経験した者を3人知っている。彼らからその概略は聞いていたが、そのような屈辱を受けてまで、人間は生きる必要があるのだろうか? 死んだ方がマシではないのか?

 

しかし、現実は厳しかったのである。医師は厳しい表情と口調で、私に結果を告げた。紹介状を書くから、大病院へ行ってその検査を受けろと言うのである。詳細は看護婦の方から説明するので、隣室へ行ってくれと言われた。目の前が真っ暗になった。

 

隣室へ行くなり、私は看護婦に尋ねた。

 

私・・・その検査って、もしかするとお尻の穴からチューブを入れるヤツですか?

 

看護婦は申し訳なさそうな表情をして、ゆっくりと首を縦に振った。

 

看護婦・・・実はね、私も経験したことがあるの。

 

私・・・それは痛い?

 

看護婦・・・あまり痛くはないけれど、下剤を飲むのが大変だったわね。ほぼ、1日がかりよ。こうなったら、覚悟を決めるしかないわね。

 

そして、運命の鞭が振り下ろされる日は、2月8日と決まった。

 

嫌なことは、早めに終わりにしたい。宣告(1月30日)から執行(2月8日)までの期間が比較的短かったのは、不幸中の幸いと言うべきか。

 

臨戦態勢に入るのは、検査の前日からである。まず、厳しい食事制限が課される。簡単に言うと、野菜や海藻など、食物繊維を多く含む食材は、消化に時間が掛かるので、禁止される。お酒もダメ。反対に炭水化物や卵、パンなどは食することが認められる。私はコンビニへ行き、塩むすびや卵サンドを購入すると共に、湯豆腐食べてしのいだ。この日から酒もNG。夜には、予め渡された下剤を飲まなければならない。私はこれを夜の9時頃に飲んだが、深夜の1時頃には効き始め、以後、1時間おきにトイレに駆け込んだのである。睡眠不足も甚だしい。

 

検査当日、8時半には病院に到着した。受付を済ませると、地域医療連携室という名前だったと記憶しているが、そこの前の長椅子で待たされた。30分程待っていると名前を呼ばれた。先方が言うには、売店へ行って医療パンツなるものを買えとのこと。これはパンツの後ろ側に穴が開いているもの。加えて、オムツも買った方が良いとのこと。これはショックだった。

 

但し、事前にYouTubeで予習をしていた私は、事情を理解することができた。かつては、複数の患者が大部屋に集められたらしい。そこで各人が下剤を飲む訳だが、皆が一斉にトイレに立つので、順番待ちが発生する。待っている間に耐えきれなくなって、漏らしてしまう。そんなことが現在まで続いているのか否か、私に知る術はなかった。とても情けない思いだったが、言われるままに私はそれを購入したのである。

 

次は、血液検査だった。そして、診察室へと進んだ。私が通されたのは、給湯室を改造したような個室だった。トイレの場所を確認すると、それはすぐ隣にあった。しかも、私専用と思われるトイレまであるのだった。そのトイレのドアには、「院飲み者専用」との張り紙があった。

 

ちなみに、検査当日にはモビプレップという下剤を飲む訳だが、この作業については、自宅で行う宅飲みと、病院で飲む院飲みの2パターンがある。私が訪れた病院は、院飲みを原則としているようだった。これは、その方が良い。下剤を飲み続けているうちに具合が悪くなった場合、院飲みであれば、すぐに医療従事者の力を借りることができる。また、宅飲みであった場合、自宅から病院へ移動している最中に便意が生ずるリスクもある。

 

いずれにせよ、私はオムツの着用は不要だと判断した。

 

看護婦が指し示した椅子に座ると、眼の前には既にモビプレップの準備がなされていた。モビプレップ用のコップが2つと、水用のコップが1つ並んでいる。いずれのコップにも200ccを示す線が書かれている。つまり、下剤であるモビプレップをコップで2杯飲み、その後、水を1杯飲む。これを繰り返して、最終的にはモビプレップを1.5リットル以上飲まなければならないのだ。また、モビプレップを飲む速さについては、10分乃至15分で1杯を飲むことになっている。

 

予め用意された一覧表があって、モビプレップを何杯飲んだか、トイレに何回行ったか、それを記録していく仕組みになっている。

 

パーマを掛けた看護婦が、リラックスするようにと言って、テレビのリモコンを置いて行ってくれたが、とてもそのような気分にはなれなかった。モビプレップの味は、そう悪くはなかった。強いて言うならば、それは賞味期限を過ぎたスポーツ飲料のような味だった。問題は、その量である。結局私は、200ccずつのモビプレップと水を12杯飲み、トイレには9回行った。

 

私の様子を見に来てくれたパーマ頭の看護婦に私は、麻酔を打ってもらうよう頼んだ。しかし、彼女は乗り気ではなさそうだった。YouTubeによれば、麻酔を打ってもらうと、うとうとしているうちに、いつの間にか施術が終わっているとのことで、私もそうして欲しかったのである。

 

私・・・麻酔を打つことによるデメリットは何ですか?

 

押し問答を続けた後、私は彼女にそう尋ねた。

 

看護婦・・・麻酔は安全だと言っても、リスクはゼロではないのです。あなたの場合、年令的な問題もあるし・・・。

 

そう言われてしまえば、反論の余地はないように思えた。結局、私は麻酔を受けることなく、検査に臨むことになったのである。

 

私は、更衣室へと案内され、下は医療パンツに、上は作務衣のような服に着替えた。心の準備ができていた訳ではなかったが、診察室はとても近くにあった。

 

医師・・・山川さんですね。宜しくお願いします。

 

感じの良さそうな医師が、そう話し掛けてきた。私は早速、体の左側を下にして、ベッドに寝かされた。ベッドは、多分30センチ程、リフトアップされた。間もなく、私は最初の一撃をくらったのである。思わず私は、呻いた。だから麻酔を掛けろと言ったのだ。私は、看護婦との交渉で妥協してしまったことを後悔した。

 

間髪を入れず、内視鏡が挿入された。その映像は、大きなモニター画面に映し出された。ポリープや癌は、肛門の近くに発生することが多い。私は、食い入るようにモニターを見ていた。すると、不自然に赤黒い突起物のような物が見えた。まずい。

 

医師・・・ああ、ここにポリープがありますね。後で良く観察しましょう。

 

内視鏡は、奥へ奥へと進み続ける。まず、内視鏡を一番奥まで挿入し、そこから少しずつ戻ってくるのだ。

 

私・・・そろそろ一番奥まで来ましたか?

 

医師・・・まだですよ。大腸は、1.5メートルもあるんです。痛いですか?

 

私・・・痛くはないんですが、変な感じなんです。

 

医師・・・一番奥まで到達しました。

 

そこから内視鏡はバックを始める。そして、先ほどのポリープの所で停止した。

 

医師・・・1.5センチだな。

 

そう呟いて、医師はまず、ポリープの根っこを紐で縛るような作業に着手した。作業内容は相変わらず、モニターの鮮明な画像で確認できるのだ。微妙で繊細な作業だった。

 

医師・・・さあ、ポリープの根っこを縛ることに成功しました。これで、もし切除できなかったとしても、このポリープは消滅するので問題ありません。

 

そして医師は、ポリープの切除にとりかかった。作業は難航しているようだった。電気を使う関係上、私の足がアースとして使われたようだった。「冷たくてごめんなさい」。看護婦はそう言って、私の左足に電極を張り付けたのだった。作業を始めてから、既に15分が経過していた。何もなければ、そろそろ終わる時間だった。

 

医師・・・切除に成功しました!

 

私はほっとした。一刻も早く、この気味の悪いチューブを抜き去って欲しいと思った。

 

医師・・・すいません。切除したポリープを見失ったので、これから探しに行きます。

 

そんなもの、何も回収しなくたって良さそうなものだ。

 

私・・・あった!

 

モニターに切除されたポリープを発見した私は、思わずそう叫んでいた。やがて切除後のポリープを回収し、作業は終わったのである。パーマを掛けた先ほどの看護婦がシャーレの上にポリープを乗せて、私に見せてくれた。小指の先っぽ程の大きさだった。

 

結局、作業には30分を要した。

 

私はトイレに行って、尻の回りに付着した大量のゼリー状のものを拭った。これが私の体と内視鏡の摩擦を回避する潤滑油のような働きをしていたのだと気づいた。

 

着替えを済ませ、指定されたソファに座って待っていると、女医のような人が来て、説明をしてくれるのだった。

 

女医・・・画面は見ていましたか。

 

私・・・見てましたよ。

 

女医・・・残ったポリープを縛っている黄緑色の糸があったのは分かりました。

 

私・・・ありましたね。

 

女医・・・傷口が修復されるとあの糸は、自然と排出されるので、問題はないんです。

 

私・・・そうですか。ところで、癌の心配はありませんか?

 

女医・・・これから組織検査をしてみないと分かりません。但し、仮にあのポリープが癌化していたとしても、根っこから切除したので、問題はありません。切除した部分から出血するといけないので、今後1週間は気を付けてください。お酒は飲めません。

 

私・・・今日は有難うございました。

 

こうして、私の大腸ポリープは切除されたのである。痛みに関して言えば、あまりなかったということになる。私の場合は、胃カメラの方が余程つらかった。それが証拠に、今回は、モニター画面を注視し続ける余裕があったのだ。

 

大腸のポリープは、放っておくと次第に大きくなる。そして、大きくなればなる程、それが癌になるリスクが高まる。今回切除しておいて、良かったと思う。