文化領域論

(No.196 ~ No.228)

No. 228 文化領域論 あとがき

文化領域論をお読みいただきました皆様、どうも有り難うございました。前回の原稿をもちまして、完了と致します。こんな面倒なことを何故、始めてしまったのか、途中、何度も後悔しましたが、なんとかゴールすることができました。

 

ここに記載しましたことは、永年、私が疑問に思ってきたことばかりです。しかし、その答えは、誰も教えてくれなかった。だから、自分で考えるしかなかったのです。但し、多くの人たちから、ヒントはいただいた。文化人類学のフィールド・ワーカーの方々、ユング、パース、ゴーギャンマイルス・デイビスなど、挙げれば切りがありません。

 

さて、この文化領域論は、文化と人間のメンタリティを5つの領域に区分するところから始まりました。この考え方につきましては、私は日々、確信を強くしました。その点で、少なくとも文化領域論は一つの主張として、破綻はしなかったと思います。ただ、細部におきましては、幾多のミステイクがあったものと心得ており、この点は反省しています。

 

例えば冒頭で、「認識とは、本稿の主題とは関係がない」と述べてしまいましたが、これは誤りだった。文化とは、人間が、時間と空間から成り立つこの世界と人間自身を認識しようとする試みと挫折の歴史だ。そういうことが、途中で分かってくる。

 

古代・・・自ら考えて、物を作る。

中世・・・先人から教わって、物を作る。

近代・・・大量生産による商品を購入する。

現代・・・より付加価値の高い物を求めて、情報を探す。

 

簡単に記せば、上記の経緯があって、現代は情報の時代になった。しかし、現代人が情報を求めるのも、その目的は世界を認識しようということです。ただ、表層にある情報だけを求めるという態度には、賛成できない。その背後にある原理を発見すべきではないか、というのが私の立場でもあります。そのことを、論理的思考という言葉に込めたつもりです。

 

ただ、論理的思考に至るには、様々なハードルがある。例えば、「信じろ」

と命令する宗教。「俺は社長だ、俺の言うことを聞け!」と主張する競争系の組織やメンタリティ。貧困に伴う教育の機会喪失。長時間労働。枚挙にいとまがありません。

 

それでも、より多くの方々が論理的に物事を考えるような社会を目指すべきではないか。例えば、複雑な現代社会において「考えたって、どうせ分かりやしない」と思っている人がいるかも知れません。しかし、この点、私は楽観的な立場を取っています。落ち着いて、良く考えれば、大概のことは分かるに違いない。私は、そう思っています。

 

なお、このブログの今後についてですが、文化領域論の目次を作り直そうとか、そういうアイディアはあるのですが、その後のことは白紙です。いずれにせよ、暫く休みます。充電して、石拾いにでも行って、何か思い付いたら、その時は再開することにしましょう。

 

どうも有り難うございました。

No. 227 第15章: 芸術の「その後」(その2)

小説の種類も相当ありますが、ここではまず純文学を想像系、身体系、記号系の3種類に分類して検討します。

 

(敬称略)

 

文学の世界も他の文化と同じように、基本的には神話などの「宗教的な虚構」に始まり、段階を経て「論理的現実」に向かった。その主流をなしたのが、想像系の作家たちだったと思います。時代背景としては、ニーチェ(1844 - 1900)よりも前にマルクス(1818- 1883)が、宗教に疑問を呈した。マルクスは「宗教は民衆の阿片である」と述べたそうです。その後、共産主義国においては、実際に宗教弾圧が行われた歴史がある。そんなマルクスと同時代を生きた作家にドストエフスキーがいた。例えば、彼の作品に「罪と罰」がある。罪とか罰というのは、概念であって、明らかにドストエフスキーの作品には、論理的思考に向かおうとする、その萌芽が見られます。但し、本人はキリスト教ロシア正教)を信じていた。

 

宗教と論理的思考の狭間にあって苦労した日本の作家としては、武田泰淳(1912 - 1976)がいた。彼は「赤い坊主は生きられるか」という人生の課題を背負って苦悶しました。「赤い」というのは共産主義者であることを意味し、かつ、坊主というのは武田が継いだ家業が「お坊さん」だったことを意味しています。大変、悩んだに違いない。この2つの要素は、明らかに矛盾するもので、「どっちか一つに絞ったらいかがですか」と言いたくなります。ただ、それだけ悩んだからこそ「ひかりごけ」のような傑作を書くことができたのかも知れません。

 

武田から少し遅れて、三島由紀夫(1925 - 1970)が登場する。三島は、根っからの宗教信者であった訳ではなく、論理的な作家であったように見えます。論理的に考えたその帰結として、国家神道に回帰すべきだと主張した。戦後の民主主義というものがあって、それが国民の堕落につながっていると三島は考えた。これは確かに因果関係だと思います。しかし、その結論として、何故、国家神道でなければいけないと考えたのか、そこのところの論理的説明がない。明らかに、論理が飛躍している。三島の本心としては、既に彼の文学は完成していて、それを後世に強烈なインパクトをもって残したいと考えたのではないか。そこで、日本の伝統に従って、腹を切ってみせたのではないか。だとすると彼の行動はお芝居のようなものであって、「三島は虚構に生きた」と言える。

 

そして、大江健三郎(1935 -)が出てくる。ここに至って、日本の文学は初めて宗教的な虚構を脱し、論理的な現実に到達したように思います。大江は、戦後の民主主義を肯定するところから出発した。よって、平和だとか民主主義という多様な概念を理解していた。そこから、政治的な原理を学び、近未来を予測するに至った。すなわち、私が先に述べた論理的思考をフルコースで習得したに違いない。そして、近未来を予測することができたからこそ、大江は政治的な発言を繰り返したのだと思います。

 

一瞬、それでハッピーエンドではないかと思う訳ですが、そうはいかない。論理的な思考を表現するのであれば、それは小説よりも学術論文の方が適している。少なくとも、悪文とも言われる大江の文体は、ロジックには向かない。日本の文壇において、大江のように論理的現実を志向する作家というのは、続かなかったのではないか。

 

以上が、小説の本流である想像系の作家たちということになります。しかし、小説を書いた身体系の作家もいる。身体系なので、人間やその身体に興味を抱き、共感を求めた。具体的には、恋愛とセックスがその題材となった。性愛小説と呼んで良いと思います。

 

その歴史は意外と古く、平安時代紫式部にまで遡る。江戸時代になると好色一代男とか、好色五代女というのがあったように記憶しています。この系統を受け継いだ近代の作家としては、谷崎潤一郎(1886 - 1965)がいる。彼のマゾヒズムには、何と言いますか、のけぞってしまいます。その後、川端康成(1899 - 1972)が出てくる。川端は「伊豆の踊り子」や「雪国」によって、ノーベル文学賞を受賞した叙情派の作家ですが、隠微な性愛小説も書いています。「眠れる美女」という作品があって、これは、初老の主人公だったと思いますが、会員制の秘密クラブのようなところに行くんですね。すると、クスリで眠らされたお嬢様と、添い寝ができるシステムになっている。しかし、行為に及んではいけない。そういう世界だったように記憶しています。これは、谷崎に負けず劣らず、暗くいかがわしい小説です。

 

昭和の終わり頃だったでしょうか。この性愛小説を若い女性が書く、というブームがあった。山田詠美などが、その例です。文芸雑誌の新人賞は、のきなみこのパターンで占められた。文芸雑誌には、決まって次のような宣伝文句が踊った。「若い女性が瑞々しい感性で描く赤裸々な性の世界!」。果たして、こういうものが純文学として扱われていいのか。私などは、はなはだ疑問に思ったものです。人間として、他に考えるべきことがあるのではないか。これは邪推かも知れませんが、出版社側の経済的な事情もあったように思います。その頃から、文芸雑誌の廃刊、休刊が話題になっていた。確かに、「若い女性が瑞々しい感性で・・・」と言われると、男としては、つい読んでみたくなる。

 

しかし、この性愛小説のブームというのも、そうは続かない。この手の小説というのは、一つ二つ読んでみると、飽きてしまう。それに、ここでも記号原理が働く。文字情報としての小説というのは、そもそも記号密度が低い。刺激が足りない。文字情報よりも写真、写真よりも動画へと、人々の興味は推移したに違いない。

 

上記のように、純文学というのは多難な道のりを経てきた訳ですが、最後に記号系の作家というものが現れる。いわゆるポストモダン。私の言葉で言えば、空っぽ症候群の作家ということになります。その起源は、田中康夫の「なんとなくクリスタル」だと言われているようです。その後、何かと話題の村上春樹がデビューする。村上の作品は、デビュー作の「風の歌を聴け」から「羊をめぐる冒険」あたりまでは、言い様のないノスタルジーがあって、私も読みました。しかし、その後、すなわち「世界の終りとハードボイルド、ワンダーランド」辺りから、分かる人にしか分からないという特殊な世界になってくる。

 

好意的な見方をすると、村上の作品というのは、ユングの自伝に少し似ている。一般に自伝と言えば、その人の経歴を述べるものですが、ユングの自伝は、まるで違っています。そこには、彼がこの時期にはこういう夢を見た、ということが延々と綴られているのです。現実の経歴よりも、ユングにとっては、彼が見た夢の方が大切だった。これを読むのは、ユング派を自認する私でも、ツラい。「ユングさん、そうですか。そういう夢を見たんですか。それは分かりましたけれども、どうも私には関係がないような気がするんですけれども」と言いたくなってしまう。同じことが、村上の作品にも言える。

 

想定される村上の方法論は、こうです。人間には深層心理があって、それは人々の間で共通するものである。従って、自分の深層心理、すなわち夢について記述すれば、読者の深層心理がそれに呼応するはずだ。これは、ユング集合的無意識についての考え方と似ている。

 

しかし、残念ながら村上の小説を読んでも、私の深層心理は呼応しないんですね。すなわち、私という個人と、村上の作品との間に特段の関係を見いだすことができない。記号原理で言えば、「意味がない」ということになります。意味がないので、多分、今後私が村上の作品を読むことはなさそうです。

 

以上が、純文学の現状に関する私の認識です。それにしても、純文学は、想像系で、論理的な現実を目指すべきではないのか。近未来を予測し、何かを主張する。文学者とは、そういう人間の良心を体現する存在であるべきではないのか。何があっても、身体系の性愛小説を書いている人は、何も発言しない。記号系は、言うに及ばずです。

 

何年か前に、安全保障関連法が国会で採択された時、反対するデモ隊の中に、大江健三郎の姿があった。文学者とは、かくあるべし! そう思ったのは私だけでしょうか。

 

さて、大衆小説というのもあります。SF小説は、コンピューター・グラフィックスと融合して、映画の世界で生き残った。推理小説は、テレビの2時間ドラマと融合して生き残った。ファンタジーは、漫画やアニメとして健在です。やはり、他の文化と融合できるものは強い。

 

どうやら、結論が見えて来ました。先進諸国において、宗教はほとんど終わろうとしている。それに呼応するように、芸術はエンターテインメントに変容した。

No. 226 第15章: 芸術の「その後」(その1)

歴史的な観点から、文化を考えますと、総合的な文化としての宗教がありますが、宗教と密接な関係を持ちつつ発展してきた芸術、すなわち音楽(身体系)、美術(物質系)、文学(想像系)があります。その経緯につきましては既に述べましたので、その後、すなわち今日現在において、それぞれの芸術がどのような状況にあるのか、まとめてみたいと思います。

 

1.音楽

 

アフリカ音楽やブルースなど主要なルーツ音楽は、1980年代までに伝播し、融合されたというのが私の認識です。従って、その後は誰もがびっくりするような前衛的な音楽は、生まれにくくなった。

 

しかし、例えば先日引退されました安室奈美恵さんの一連のコンサートは、大盛況だったようです。歌って、踊って、着飾る。典型的な身体系の文化だと思います。私は、彼女の音楽が芸術的だとか、前衛的だとは思いません。大衆に支持されるポピュラー音楽だと思います。しかし、大衆に支持された文化のみが生き残るという大前提に照らし、ポピュラー音楽のどこが悪い、とも思います。大昔、アフリカ大陸のどこかで、誰かがリズムを刻み始めた。多くの人がその音に共感して、踊り始めた。音楽というのは、その起源からして、ポピュラーだったと思うのです。

 

人間というのは、思春期の頃から、共感を求め始める。そういう若い人がいる限り、音楽は不滅だと思います。

 

2.美術

 

古代人は、飲料水を求めて、なるべく水源の近くにいた。なんとか、小川の水を身近に置いておきたいと思う。そこで、水瓶のような物を作る。ただ、彼らは機能だけを求めたのではない。原始宗教や彼らの美意識も影響して、様々な形の土器を作った。それらは、全て芸術作品と呼ぶに相応しいものだったに違いない。古代には、そこらじゅうに芸術家がいたのだろうと思います。

 

中世になると、手工業という技術が確立された。だから、自ら考えて何かを作り出す必要がなくなった。何かを作る際には、先人から教えてもらうという習慣が発生する。例えば着物だって、昔は、自分達の手で縫っていたに違いない。

 

近代になると、大量生産が始まる。分業が進み、人々は日用品を自分の手で作る必要がなくなった。加えて、写真という技術が誕生する。最早、宮廷の奥さまの肖像画を描くという商売は、成り立たなくなった。これに対するアンチテーゼとして、近代の芸術家が誕生したのではないか。彼らは、大量生産品にはない価値を追求し、写真とは異なる絵画を描き始めた。絵画の世界で言えば、初期の印象派から、後期印象派へと展開していく。ゴッホが登場し、ゴーギャンと出会う。「想像で描け」と言ったゴーギャンの思想は、やがて抽象絵画へとつながっていく。そして、絵画のみならず陶芸の世界を含め、天才ピカソが一世を風靡する。「最早、何をしようとしても、それは既にピカソがやってしまっていた。」そう言ったのは、アクションペインティングのジャクソン・ポロックだった。多分、美術の世界における最後の前衛が、ポロックだったのではないか。(その後、アンディ・ウォーホルが登場し、現代アートの幕開けとなりますが、私はこれらの作品に感動したことがありません。)

 

陶芸や彫刻の試みは、その後、家具や調度品、工業デザインなどに受け継がれて行く。それでいい、と私は思います。元来、陶芸、彫刻の起源は、日用品にあった。身の回りに置いて、触ったり、使ったりする。そうすることによって、人と物との親和的な関係が構築されるのだと思うのです。本当は、陶芸や彫刻というのは、美術館のガラスケースの中に飾っておくものではない。

 

絵画とは、3次元の世界を2次元で表現するところに面白さがある。そういう文化は、現在、写真が担っている。写真というのは、既に、何かの記念や記録のためにだけ、撮影されるのではない。私は見たことがないのですが、世間では、インスタグラムなるものが流行っているそうです。中には、ふざけたものがあるに違いない。芸術とはほど遠いのでしょう。それでもいい、と私は思います。全ての文化は遊び(本稿では「関与的経験」と呼んでいます)から始まるに違いありません。

 

ただ、美術の世界には、かつて命がけで取り組んだ芸術家が沢山いた。そのことだけは、忘れないで欲しいと思います。少なくとも、ポロックの作品と壁紙の違いが分からないような美術評論家には「顔を洗って出直して来い!」と申し上げたい。

 

3.文学

 

前回の原稿で、私なりに「論理的思考」(思想)が生まれるまでのプロセスを検討しました。簡単に、まとめてみます。

 

1)事実、現象を観察する。

2)時間の流れに従って、因果関係を想定する。

3)複数の事例から共通項を抽出し、概念を導き出す。

4)仮説を立て、原理を発見する。

5)原理に従い、近未来を予測し、どうあるべきか主張する。

 

上記のプロセスが正しいとすると、文学、小説というのは 2) の役割を担っていることが分かります。

 

この章、続く

No. 225 第14章: 原理の発見(その2)

3.概念

 

まず、現象なり事実を発見する。そして、想像力を働かせ、時間の流れに沿って因果関係を考える。そして、多くの事例を見ていると、いくつか共通する事項が発見され、概念が生まれる。チェックポイントと言って良いかも知れません。

 

例えば、私たちの身近な例として、交通事故という現象がある。複数の事例を見ていくと、加害者側の行為の態様が見えてきます。うっかり道路標識を見落としたという場合もあるでしょう。喧嘩がエスカレートして、意図的に轢き殺してしまうような場合だってあります。すると、故意、過失という区分を思いつく。更に細かく見ていくと、過失にも程度があるとか、故意とまでは言えないものの、行為の外形から判断すると、これはほとんど故意と同じと言って良いと思われるようなケースもある。例えば、時速60キロで、歩行者天国に侵入するような場合です。すると、これは未必の故意ということにしよう、と考える。こうして、概念が生まれる。軽い方から列挙すると、軽過失、重過失、未必の故意、故意、ということになります。これが体系というものではないでしょうか。

 

概念というものを最初に思いついたのは、哲学者かも知れません。とにかく、彼らは抽象的な概念について考えるのが好きな人種です。純粋理性とは何か、などとひたすら考える。余談ですが、私は、「カントという人は、随分面倒なことを考えたものだなあ」と思っていたのですが、カントよりも前のデカルトも、似たようなことを考えていたようです。

 

物語的思考の段階においては、この概念というものが登場しない。

 

4.原理の発見

 

概念まで手に入れることができれば、それらの概念を使って、原理を発見することができる。交通事故の事例で、例えば未必の故意は故意と同じ扱いにしようと考える。これは、原理だと思います。

 

我が国の民法709条には、こう書かれています。

 

故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。

 

上記の文章には、「よって」という言葉が2回出てきますね。これは、それぞれ因果関係を示すと言われています。最初の「よって」は、故意・過失と権利侵害との因果関係。2つ目の「よって」は、権利侵害と損害との因果関係を意味している。この条文は明らかに概念を用いて、事実を見て、因果関係を特定して、損害賠償に関する原理を創出している。

 

私などは、民法709条を読みますと、ちょっと感動しますが、多分、そういう人は少ない。そこに、すなわち人を感動させるという点において、物語や小説の存在意義があるのだろうと思います。

 

経済学においては「需要と供給の関係で、商品の価格が決まる」ということが言われています。これも原理ですね。

 

ただ、概念を持てば、直ちに原理を発見できるというものではありません。原理を発見するには、仮説を立てる必要があります。上の例をパースのアブダクションに当てはめて考えてみます。

 

市場において、毎日、野菜の価格が変動している。これは何故だろうと疑問に思う。これがアブダクションにおける「驚くべき事実」です。

 

次に、仮説を立てる。需要と供給の関係で価格が決まるのではないか。

 

そして、仮に需要と供給の関係で価格が決まるという仮説が正しければ、野菜の値段が変動するのは当然のことである。そう考えられるので、この仮説は正しい、と証明できる。

 

このような経過を経て、原理は発見されるのだと思います。

 

5.思想

 

原理が発見されても、そこで終わる訳ではない。科学の世界であれば、それが特許となり、新商品の開発などにつながっていく。では、文化の世界ではどうでしょうか。

 

原理が分かれば、近未来を予測することが可能となる。例えば、こういう金融政策を取るとデフレになるとか、こういう政策を取れば、貧富の格差が拡大する、ということが分かってくる。

 

ここまで来て、初めて「かくあるべきだ」という主張が生まれる。この主張のことを「思想」と呼んでもいいのではないでしょうか。

 

この章、終り

No. 224 第14章: 原理の発見(その1)

この「文化領域論」も、いよいよ最終的な段階に入りました。本章におきましては、未だ検討が不十分であると感じておりました「想像系」について、記載することに致します。

 

さて、記号学のパースは、科学的な発見には2種類あると述べています。1つ目は「○○であることの発見」です。これは、「自然界はこうなっている」ということの発見だそうです。例えば、地動説。回っているのは、地球の方だ、という事実、現象に関する発見です。便宜上、ここでは「現象の発見」と呼ぶことにしましょう。

 

2番目の類型は、「何故、そうなっているのか」という発見です。例えば、万有引力の法則があります。ニュートンは、何故、リンゴは地球の中心を目掛けて落下するのか、その理由、原理を発見した訳です。ここでは、「原理の発見」と呼ぶことにしましょう。

 

地動説も万有引力の法則も、科学上は、大変重要で画期的な発見です。しかし、この2つの間には、大きな違いがある。現象の発見というのは、観測によって成し遂げられる。一方、原理の発見は、もっと複雑な思考のステップを必要とするに違いない。加えて、原理が分かれば、その原理は他の事例にも当てはまるので、汎用性がある。実際、ニュートンは地球が引力を持っていることのみならず、太陽や月など、あらゆる星が引力を持っていることを発見した。

 

このような観点から、文化論の立場で、現象の発見から原理の発見に至る4つのステップと、それが思想として成立する過程について、検討を進めてみます。

 

1.現象の発見

 

文化的な現象を調査してきたのは、民俗学文化人類学です。この分野の学者たちは、フィールドワーク(現地調査)を旨とし、ひたすら現象の発見に努めてきた。その努力には、脱帽します。衣食住の全てにおいて不便な環境にあって、時には現地の伝染病に罹患しながら、彼らは無文字社会の人々と生活を共にしてきた。しかし、元来、文化人類学にはもっと大きな可能性なり役割があるはずなのに、彼らは研究の成果を体系化できていない。

 

理由は2つあります。まず、言語学者のソシュールが、通時態と共時態ということを言い出した。

 

通時態・・・時間の流れに従って、歴史的な観点から検討すること。

共時態・・・時間の流れを無視して、現在、どうなっているのか、検討すること。

 

そして、ソシュールは、例えばある地方の言葉が別の地方に伝播して発音がどう変わったとか、そういう通時態の検討には意味がないので、共時態のみで考えるべきだと主張し、言語の恣意性と線状性という原理を見いだした。

 

これにヒントを得たレヴィ=ストロースが、同じ手法を文化人類学に持ち込んだのです。この時から、文化人類学は、通時態による検討を止めてしまった。これでは、因果関係が分からない。文化というものを体系的に理解することができない。私は、放送大学における「文化人類学」の講座を視聴しましたが、未だに通時態は否定されているように思います。同講座は、「人類にはいろいろな文化があることを学びましょう」と言って始まります。そして、いろいろな文化が紹介されるのですが、体系的な説明はほとんどないのです。

 

もうひとつ。それは、文化人類学の学者が、フィールドワークに固執し過ぎたこと。前述の通り、そこには大変なご苦労がある。そして、フィールドワークで成果を挙げた学者には「俺は、こんなに苦労したんだ。苦労していない人間は黙ってろ」というやっかみ半分の意識があるのではないか。彼らは、フィールドワークを経験していない者を「安楽椅子の哲学者」と呼び、揶揄しています。しかし、フィールドワークで知ることができるのは、「現象」であって、それを体系的に理解するには、それこそ「安楽椅子に腰かけて、ひたすら黙考する哲学者」が必要ではないか。例えば、パースのように!

 

私は、共時態で現象を観察するのが悪い、と言っている訳ではありません。共時態と通時態の双方で観察すべきだと思うのです。ひたすらフィールドワークを積んで、英語で論文を書き、学会で発表する。それが世界的な現状なのだろうと思いますが、そろそろレヴィ=ストロースの呪縛から、身を解き放つべきだと思います。

 

2.想像

 

現象を発見した後、人間はどうするか。それは、言葉を用いて想像するのだと思います。サスペンス・ドラマを例に考えてみましょう。まず、遺体が発見される。これが現象です。そして、主人公の想像、推理が始まる。大体、推理される事項というのは、犯人は誰か、犯行動機は何か、凶器は何か、この3点ではないでしょうか。ただ、ここで重要なのは、時系列に事実を並べるということではないでしょうか。まず、犯行動機がある。そして、犯行に関する準備行為があって、犯行に至る。この順番を正しく推理しなければ、真犯人を特定することができません。すなわち、サスペンスというのは、因果関係の世界なんです。それは、時間の経過と共に解明される。因果関係というのは、通時態で物事を見ないと、理解できない。この想像する、時間の流れに従って因果関係を考えるという作用は、神話や小説でも同じですね。

 

「かつて、人は火を持っていなかった。それは、トキイロコンドルのものだった。それを人が盗んだのだ。そして、今、我々は火を持っている。」

 

こういう神話におきましても、時間の流れと因果関係というものが説明されています。私が、物語的思考と呼んできた思考方法が、これです。

 

神話は、やがて宗教の経典となり、その他の物語や小説の原型となった。神話を原型とする点に鑑みれば、宗教と小説というのは、相性がいい。かつての文学者の中に宗教を信仰している人が多かったのには、そういう理由があると思います。

 

神話や小説の利点は、人間の無意識に触れることができる点にあります。人間が、その認識の及ぶ世界、すなわち環世界を構築するのにも役に立ちます。すなわち、神話や小説には、人を癒す効果がある。ただ、神話や小説によって、人間は原理を発見するには至らない。そのためには、もう少し段階を経る必要がある。

 

この章、続く

No. 223 第13章: ポピュラー音楽の潮流(その3)

 

5.プリンス

 

考えれば考える程、前回の原稿に記しました“黒人教会”というのは、優れた社会システムだと思うのです。男でも女でも、大人も子供も、参加できる。学歴だとか会社における役職など、そこでは何の意味も持たない。おまけに、悪魔や魔術に関する楽しい話まで聞ける。現在の日本にそのような、あたかもセイフティー・ネットとして機能している共同体というものは、存在しないように思います。

 

さて、1980年にレッド・ツェッペリンが解散した訳ですが、遡ること2年、1978年にプリンス(1958-2016)という黒人のミュージシャンがデビューしています。プリンスは、大変才能に恵まれたミュージシャンで、自ら作詞、作曲を行い、歌い、踊り、加えてギター、ベース、ピアノ、ドラムを演奏できた。それもただ演奏できるというレベルではなく、いずれの楽器も超一流のレベルで、操ることができたのです。天才と言って良いかも知れません。しかし、ステージアクションは、どことなくミック・ジャガーに似ていた。踊りは、マイケル・ジャクソンに似ている。そして、ギターワークは、ジミ・ヘンドリックスにそっくりでした。(本人はジミ・ヘンドリックスよりもサンタナの影響を受けたと述べたそうです。)

 

聴衆としては、彼が一体何者なのか、なかなか理解できない。ちょっと、薄気味悪い感じすらしたのだと思います。彼がどのような音楽を目指しているのか、そのバックグラウンドは何か、そういうことが分からない。そのため、デビューはしたものの、すぐには売れなかった。デビュー直後、プリンスはストーンズの前座を務めたのですが、聴衆からのブーイングが酷かった。プリンスが演奏していると、キャベツなど、様々なゴミのような物がステージに投げ込まれたそうです。見かねたミック・ジャガーがステージに上がり、「お前たちには、プリンスの新しさが分からないのか!」と言ったそうです。そしてミックは、プリンスの肩を抱いて、バックステージに連れて行ったとか。デビッド・ボウイは、プリンスが楽屋のトイレで一人泣いているのを見たそうです。アメリカの聴衆というのは、気に入らないミュージシャンには厳しい。

 

そんなプリンスですが、デビューから2年程すると、徐々に売れ始めた。そして、1984年に発表したパープル・レインでブレイクした。これはCDと映画の双方が発売されました。1987年の年末に開かれたプリンスのコンサートには、マイルス・デイビスが特別参加しています。この画像をYouTubeで発見した時は、本当に驚きでした。かつてジミ・ヘンドリックスとの共演を夢見ていたマイルスは、プリンスの背後にジミの面影を見ていたのではないか。またマイルスは、常にポピュラリティということを重視していた。若者に受け入れられる音楽を目指していた。それは、彼の遺作がラップ系ミュージシャンとの共作だったことからしても明らかです。

 

当時、プリンスはPrince & The Revolutionと名乗って活動していましたが、この頃のライブ映像を見ますと、ロックが飽きられてしまった理由が分かる。記号密度のレベルが全然違うんです。ツェッペリンと比較してみましょう。

 

ツェッペリンのライブにおいて、ステージに上がるのは白人のメンバー4人だけです。彼らの服装は、あまり派手ではない。彼らは踊らない。長い曲だと、ジミ―・ペイジのギターソロが延々20分位続く。

 

一方、Prince & The Revolutionのライブでは、20人位がステージ上に上がる。ダンサーまでいる。プリンスも踊るし、楽器の演奏者までステップを踏む。メンバーには白人や黒人、その他の人種が含まれている。全員が個性的で派手なファッションに身を包んでいる。プリンスのギターソロは短い。短時間にカッコいいフレーズをキメるんですね。そして、踊りを挟むと、今度はピアノやベースを演奏する。そしてまた、踊る。視覚的な刺激が強い。こういうのが流行ってしまうと、ツェッペリンのステージが地味に思えてくる。より強い刺激を求める聴衆から、ツェッペリンは飽きられてしまった。それが自然の成り行きだったのではないか。

 

そして、プリンスの音楽を良く聞いてみると、あらゆる要素が含まれていることが分かります。例えば、彼のギターはロック系だし、ホーンセクション(サックスやトランペット)はジャズ系だし、コーラスや踊りはゴスペル系。そしてパーカッションは、ラテン系です。

 

すなわち、プリンスの音楽において、それまでのポピュラー音楽のあらゆる要素が融合した。別の見方をすれば、以後、ジャンルを融合させることによって、新たな音楽を生み出すことが困難となった。事、ここにおいて極まってしまったのではないか。

 

プリンスが子供の頃、黒人教会に行っていたかどうかは分かりません。ただ彼は、“エホバの証人”の信者だったと言われています。輸血を拒否するので有名な、新興宗教です。

 

6.音楽進化の原理

 

まず、ルーツとなる音楽がある。それは、アフリカ音楽だったり、そのリズムだったり、ブルースだったりする訳です。このルーツ・ミュージックには長い歴史がある。そして、その起源を遡って行くと、音楽を演奏せずにはいられない、踊らずにはいられない、強い衝動があるのだろうと思います。そういうメンタリティというのは、高度な教育を受け、科学的な知識を持つ人には、理解しにくいものではないでしょうか。悪魔や魔術の存在を信じ、ドラッグによって混沌とした意識状態になる。そういうメンタリティだけが、音楽へと向かう強い衝動を持ち得るのではないか。

 

ひょんなことから、ルーツ音楽が伝播する。それは人や物の移動によって、引き起こされる。そして、優れたミュージシャンによって、他のジャンルとの融合が図られる。こういうステップを踏んで、ポピュラー音楽は進化してきたのだと思います。そして、融合に至るプロセスは、プリンスにおいて完結した。それが言い過ぎだとするならば、1980年代において完結した、と言ってもいい。

 

では、現在は、どういう状況にあるのか。一つには、アマチュアのテクニックが格段に向上した。例えば、ベースを例にとってみますと、かつては神業で誰にも真似できないと思われていたベーシストがいます。ジャコ・パストリアスとかマーカス・ミラーなどがそうですね。しかし、現在、YouTubeを見ますと、彼らの演奏をコピーしている若者の画像が沢山アップされています。女の子がやおらベースを持って、ジャコのフレーズを披露している。その理由は、テクノロジーの進歩にある。プロの演奏を一定範囲に区切って、繰り返し聞くことができる。自分の楽器の音も合わせて聞くことができる。しかも、演奏スピードを半分にして再生することだってできる。こういう文明の利器が、例えば“ギター・トレーナー”として、比較的安価で購入できる。だから、難しいプロのフレーズを、素人がコピーできるようになったんです。こういう時代になりますと、プロの神業というのも、ちょっとありがたみが薄れてきます。

 

音楽というのは、比較的純粋な記号の世界ですから、これはコンピューターと相性がいい。例えば、コンピューターのプログラミングによって、容易にドラム演奏を再現することができます。既に、作曲用のソフトというものもある。もう少し進歩すると、誰でも作曲できるようになる。想像するに、こんな具合ではないでしょうか。

 

PC・・・ジャンルは、どうしますか?
人間・・・ロックがいいな。
PC・・・分かりました。8ビートですね。こんな感じでいかがですか。(デモ演奏が流れる)
人間・・・いいね。
PC・・・次はコード進行ですね。最初の和音は、どうしますか。
人間・・・Cでいいよ。
PC・・・分かりました。では、次に使える和音は、Am、F、Gなどがありますが、いかがしましょうか。
人間・・・ちょっと分からないな。
PC・・・では、ビートルズ風はいかがですか。
人間・・・いいね。
PC・・・(データーベースに直結し、ビートルズのパターンを確認する。)お勧めは、Amです。

 

こんな風に、新たな曲が生まれる日がやって来るに違いない。作詞の方も、人口知能が担当するでしょう。既に、人口知能は小説を書くレベルに達しています。

 

そのうち、ダンスロボットなるものが、誕生するに違いありません。人間の代わりに、ロボットがダンスをして、それを人間が見て楽しむ。冗談のようですが、既に“初音ミク”というバーチャルのアイドルが生まれています。

No. 222 第13章: ポピュラー音楽の潮流(その2)

 

3.ジャズ

 

1900年代に、ジャズはニューオーリンズで生まれた。白人の楽団が、壊れた楽器を廃棄したところ、黒人たちがこれを拾って遊び始めた。やがて、見かねた白人が、黒人たちに楽譜の読み方を教えたとも言われています。

 

ニューオーリンズのジャズは、例えば「聖者の行進」のように、明るく楽しい音楽だった。ニューオーリンズには、巨大な売春街があって、多くの人々が集まっていた。当時、売春宿のことをjassと言っていたようで、これが後のjazzの語源になったと言われています。

 

西洋のクラッシックと呼ばれる音楽には、ほとんどリズムがないので、音楽の進行を統率するために、指揮者が必要だった。何故、このような音楽が生まれたのか、私には不思議でなりません。ただ、使用する楽器には特徴がある。クラッシック音楽において、頻繁に使用されるバイオリンやチェロなどは、弓で弾きます。すると、音の立ち上がりが、曖昧になる。これらの楽器は、明らかにリズムを主体とする音楽には適しません。リズムに合わせて、いきなりバンと音を出すには、何かを叩く、弾く、そういう楽器が適しています。

 

当初、黒人たちは白人がやっていた音楽を真似したのだろうと思います。そして、自分たちが得意とするリズムをそこに融合させた。この瞬間、ヨーロッパの和音に関する文化と、アフリカのリズムが、アメリカ大陸で出会ったことになります。

 

黒人たちは、急速に楽譜や和音に関する知識を身に付けていった。ところが、売春禁止法なるものが、ニューオーリンズで施行された。売春宿は廃業し、それを目当てにしていた人々は、街を訪れなくなった。困ったジャズ・ミュージシャンたちは、楽器を持って、アメリカの各地に散って行ったそうです。結果としてこの出来事が、全米にジャズという音楽を流行させるきっかけになったと言われています。

 

1940年代になると、トップクラスのジャズ・ミュージシャンたちは、和音の進行に合わせて、管楽器を猛スピードで吹きまくるという技術を確立していました。それはもう、神業と言える。このようなスタイルで演奏する音楽はビバップと呼ばれ、モダンジャズの基礎をなしたのです。サックスのチャーリー・パーカーと、トランペットのディジー・ガレスピーが有名です。

 

そこへ、後年、ジャズ史を築くマイルス・デイビス(1926-1991)が絡んでくる。イリノイ州生まれのマイルスは、歯科医の息子で、経済的には大変恵まれた環境で育ったそうです。そして、プロのミュージシャンを目指したマイルスは、ニューヨークにある名門ジュリアード音楽院に入学します。しかし、マイルスはビバップに惹かれていた。昼間は、ジュリアードで講義を受け、夜はジャズ・クラブへチャーリー・パーカーの音楽を聞きに行った。すぐにマイルスはチャーリー・パーカーの弟子となり、ジュリアード音楽院は中退してしまいます。

 

チャーリー・パーカーがマイルスを弟子として認めたのには、2つの理由がありそうです。一つには、以前共演していたディジー・ガレスピーのテクニックは既に完成しており、同じバンドで演奏すると自分が目立たない。一方、未熟なマイルスと共演すると、自分のテクニックが輝いて見える。二つ目の理由は、マイルスの元へ実家から送られてくる仕送りだった、と言われています。ドラッグ漬けになり、女好きだったチャーリーには、お金がいくらあっても足りなかった。そして、チャーリーの影響で、マイルスまでドラッグ漬けになってしまったのでした。

 

マイルスは、結局、ビバップの技術を完全には習得できなかった。また、チャーリーの元にいてはドラッグで死んでしまう。そこで傷心のマイルスは、チャーリーの元を去るのですが、彼には逆転の発想があった。熱狂的なビバップとは反対に、クールな音楽を目指したのでした。そして、“クールの誕生”というアルバムを発表するのですが、これが当たった。ビバップに飽きていた聴衆は、一気にマイルスを支持する側に回ったものと思われます。やがてマイルスは、“’Round About Midnight”というアルバムを制作します。これもビバップとは正反対の発想だったのです。すなわち、ビバップのように楽器を吹きまくっていると、一つの音を伸ばすことができない。ビバップには、ロングトーンというものが存在しなかった。そこでマイルスは、音楽にロングトーンを持ち込んだのです。ロングトーンは単純なようであって、実はそうではない。そこには、音の深さや味わいがある。かすれた音がひっそりと消えていく。マイルスがこの作品を発表した時から、ジャズには、都会で、孤独な男が、夜に聞く音楽、というイメージが定着したと言われています。

 

その後もマイルスは幾多の困難を乗り越え、快進撃を続けますが、1960年代の後半に、最大の危機を迎えます。ライバルは、ロックだった。大して演奏もうまくない白人の子供たちが、音楽シーンを席巻した。当然、ジャズのレコードは売れなくなった。

 

当時のジャズは、客が酒を飲みながら、又は食事をしながら聞く音楽だった。しかし、ロックのコンサートでは、大勢の観客がミュージシャンに注目し、真剣に聞き入っていた。後年マイルスは、それが羨ましかった、と述べています。また、ロックを聞きながらマイルスは、「俺ならもっとうまくやれる」と思ったそうです。

 

そしてマイルスは、ロックを批判するどころか、ジャズとロックの融合を目指し始めた。電気楽器を採用し、ロックのようにリズムを強調し始めた。そして、BGMだったジャズを芸術の域に高めたのでした。

 

ただ、昔からのファンからは、批判の声も上がった。マイルスが何をしているのか、それを理解できる人は少なかった。一方、ロック世代の若者は、マイルスの新しい音楽を無条件に受け入れたのでした。誰もがマイルスに注目し、マイルスの動向について、人々は意見を戦わせるようになった。マイルスの動向が、すなわち次の音楽シーンの動向となる。誰もが、そう思うようになった。

 

1972年、マイルスは“On The Corner”という作品を発表する。これは、リズムが強調された、と言うよりは、ほとんどリズムだけの作品でした。誰もがとまどった。「マイルスは一体、何処へ行ってしまったんだろう? 俺たちの音楽は、一体どうなってしまうのか?」そういう不安にかられたファンが多かったものと思います。私も、その一人でした。しかし、最近、YouTubeでアフリカ音楽を聞いていてふと思ったのでした。「この音楽、いつか聞いたことがある!」 そう、リズムだらけのアフリカ音楽、それはマイルスの“On The Corner”に似ていたのです。当時のマイルスは、アフリカ音楽への回帰を目指していたのかも知れません。

 

1991年にマイルスが死ぬと、ジャズは進化の歩みを止めてしまった。

 

4.ゴスペル

 

ポピュラー音楽を語るためには欠かせないもう一つの系譜が、ゴスペルです。

 

多少、想像も含めて記載します。奴隷制が廃止された後も、白人の黒人に対する弾圧は続いた。経済的な弾圧もあれば、社会制度的な弾圧もあった。黒人は、白人と同じバスには乗れない。同じプールには入れない。だから、未だにアメリカ黒人の水泳選手というのは、ほとんどいない。こういう有形無形の弾圧の中に、宗教的な弾圧というものがあった。キリスト教徒である白人は、黒人にもキリスト教を信仰するように圧力を掛けた。しかし、自分たちと同じ教会に黒人を入れることは嫌がった。そこで、黒人教会なるものが誕生する。

 

黒人教会の建物にも十字架が掛けられている。白人から詰問された場合、黒人は「ここはキリスト教の教会です。真面目にキリスト教の布教に努めています」と答える。白人としては、それ以上、踏み込めない。

 

極度の貧困で、聖書を買う金がない。場合によっては、教育を受けていないため、字を読めない者だっている。牧師にしたって、その教育レベルは怪しい。黒人教会とは、そういう環境下にあったのではないか。では、黒人教会でどういうことが行われていたのか。牧師が説教をする。聖書の一節などを読み上げる。その調子は徐々に高揚する。すると、頃合いを見計らって、楽器が合いの手を入れる。次第に、信者たちも興奮してくる。そこで、歌い出す。あたかも牧師がリードシンガーで、信者たちはコーラス隊と化す。この歌が、ゴスペルの起源となる。

 

しかし現実は、もっと多様だったと思います。1年程前でしょうか。地上波のテレビで見たのですが、黒人教会に超能力を持つ少女が登場する。彼女が手をかざすと、歩けなかった人が、突然、歩き出す。すなわち、黒人教会においては、過去、様々な原始宗教的な儀式が行われてきたのではないか。そこには、預言者や呪術師が登場し、悪魔祓いの儀式が執り行われ、白人が邪教と蔑視するような原始宗教的な信仰が、根を張っていたのではないか。そして、そういう信仰が、黒人の音楽に対する情熱なり、原動力となってきたのではないか。

 

そう言えば、ブルースの歌詞にも悪魔は、頻繁に登場するし(Me And The Devil Blues / Robert Johnsonなど)、ジミ・ヘンドリックスは魔術やヴ―ドゥ教に興味を持っていた。やはり、原始宗教なり古代のメンタリティが、芸術を生み出すのではないか。

 

そもそもキリスト教は、熱狂することを禁じてきました。熱狂すると幻覚などを見て、それが神だと錯覚され、新たな宗教が生まれてしまうからです。しかし、黒人が生み出す文化は、熱狂するとこから始まる。黒人教会においても、牧師の説教から始まり、楽器が加わり、コーラスへとつながる。コーラスによって感情が高揚すると、自然発生的に、彼らは踊り始めたのではないか。

 

労働歌は、あくまでも働きながら歌うもので、踊ることはできない。ジャズは、楽器を演奏するものなので、これも踊りとは結び付きにくい。ところが、コーラスをしている人というのは、特段の制約がない。歌いながら踊ったとしても、不思議はありません。

 

ゴスペルは、1960年代のモータウンサウンドにつながり、その後のソウルだとか、ファンクになる。1970年代になると、ディスコブームをけん引した。(ディスコとは、黒人教会の現代版ではないでしょうか。)ダイアナ・ロスティナ・ターナー、最近ではホイットニー・ヒューストンなど、優れた歌唱力を持つ女性歌手は、この系統のミュージシャンだと思います。子供の頃から黒人教会で、喉を鍛えていたのではないでしょうか。

 

ところで、ゴスペル系の踊りながら歌うミュージシャンや彼らの音楽には、知性というものが感じられません。例えば、ジェームス・ブラウンのヒット曲に“セックスマシーン”というのがありますが、あきれてしまいます。「お前、何も考えてないだろう。少しは本でも読め!」と言いたくなってしまいます。(当時、ディスコで踊っていた日本の若者たちも、同じレベルだと思いますが。)

 

ただ、知性を要求することのできない黒人教会がその起源にあると考えれば、腹も立ちません。黒人教会とは、あらゆる面で社会から疎外されていた黒人たちが作り出した、共同体だった。そこには、様々な人間がやって来た。読み書きのできない人だって沢山いたに違いない。そういう人たちを含め、全ての人々を受け入れることによって、黒人教会という場所が成立していたのではないでしょうか。