文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

No. 82 プレモダンのメンタリティ

人間の心のあり様、これはメンタリティと言っていいと思うのですが、これを3つの時代区分で考えるというアイディアは、河合俊雄氏の文献にヒントを得たものです。これが、なかなか興味深い。

<3つの時代区分>
プレモダン・・・・前近代
モダン・・・・・・近代
ポストモダン・・・近代後、現代

但し、メンタリティも文化と同じで、旧来のものが簡単になくなる訳ではありません。現在がポストモダンの時代だとしても、未だにプレモダンとモダンも生きている訳で、これはあたかも積み木を重ねていくような仕組みになっていると思います。従って、上記の区分は、それぞれのメンタリティが発生した時期の区分、ということになります。

人類の歴史が10万年だとすると、大半がプレモダンの期間ということになります。まず、人類が文字を持つ前の時代についてですが、これは、このブログの冒頭の記事に詳述していますので、ここではそのポイントのみを振り返ってみます。

人類はまず、言葉を獲得しました。すると、様々な自然現象などについて、疑問を持つようになります。そして、仮説を立て、それらの不思議な現象を理解しようとします。その仮説が、神話や民話などの“物語”として、語り継がれていきます。次に、現実世界に対し、能動的に働き掛けようと考えます。例えば、病気を治したいとか、恨みを晴らしたいと思う。そこで、人類は“呪術”を発明します。まじないの言葉、特定の植物や動物の骨などを使って、何かを可能にしようとする。呪術は1人で、または少人数で行われます。やがて、人類はトランス状態になることを覚えます。その方法は、大別すると2つあって、1つには長時間踊り続けるなどの方法があります。2つ目は、麻薬を利用する方法です。それが“祭祀”の起源だと思われます。呪術と違って、祭祀は大人数で行われます。すると、メンバーの中から、トランス状態になり易い人、トランス状態をコントロールできる人が現われます。その人が、やがて“シャーマン”となる。グループを代表してトランス状態になり、精霊などと意思疎通を図り、“お告げ”のようなものを得る。

上述の“言葉”から“シャーマニズム”に至る期間は、例えば“無文字社会の時代”と呼べるかも知れません。この時代のメンタリティの特徴としては、まず、“融即律”というものがある。これは、対立する2つの概念があったとして、一方を肯定することは、他方を否定することにならない、というものです。また、“類化性能”ということもあります。これは、合理的に考えれば特段の関係がない複数の物事に対し、その類似性なり関係性を認める、というものです。いずれにせよ、現代に生きる我々からしてみれば、非合理な考え方、と言えます。(但し、現代においても、天才的な芸術家などはこれらのメンタリティを“直観”として維持している、というのが私の意見です。)

ところで、上記の無文字社会の時代においては、人間の個性というものはどのように考えられていたのでしょうか。もしかすると一人ひとりの人間が特徴を持っているという発想がなかったのかも知れません。そうではなくて、当時の人々は、人間の集団に特徴を持たせることに腐心していたように思えます。例えば、トーテミズム。これは、特定の動物などと、特定の人間集団を結びつけるものです。日本にトーテミズムはなかったと言われていますが、日本には家紋があり、屋号があり、暖簾があり、各地域を象徴するような神社があります。従って日本も例外ではなく、人間の個性は注目されず、各人が所属している共同体と、その内部における結束力が重要だった。

伝統文化が、人間の個性というものに注目していない理由がここにあると思うのです。以前、盆踊りの行列に出くわしたことがありますが、全員が同じ浴衣を着て、リズムに合わせて同じように踊り、笠を被って顔が見えないようにしている。そこに、個性という発想は見受けられません。また、茶道、華道、歌舞伎、日本画などにも流派というものがあって、基本的には師匠の技を弟子が継承していく。あまり、個性には注目されていない。

やがて、人類は文字を発明します。すると、シャーマニズムの体系化、組織化が可能となり、宗教が生まれます。そして、宗教と渾然一体となった国家が生まれる。宗教国家とでも言いましょうか。日本で言えば、仏教を採用した聖徳太子が17条憲法を作ってから、第二次世界大戦で敗北するまでの期間がこれに相当すると思います。宗教国家の時代は、宗教上の戒律、封建制、曖昧な法律などが人々を縛りあげ、個人の自由は否定された。この時代のメンタリティを簡単に言うと、個性と自由を否定するものであった。戦時中の話は、私が述べるまでもありません。

さて、ここで少し、個人的な体験について、述べさせていただきます。

私は、昭和の時代に地方で製造業を行っている会社に就職しました。その会社での1年のサイクルは、まず、正月に上司の家に集まることから始まるんです。そして、桜の時期には、花見がある。若手社員は上司の命令で、仕事は早めに切り上げて、花見の場所取りに行かされます。お酒を飲み過ぎて、喧嘩になるようなこともありました。夏には、全社を挙げて夏祭りを開催します。秋には、慰安旅行もあります。当然、夜は宴会になる訳ですが、その際にはセクション単位で、隠し芸をやらされるんです。今の人からすれば、信じられないと思いますが、昭和の会社というのは、結構そういうものだったんです。折角の日曜日でも、野球大会をやるから出て来い、というようなことがしょっちゅうある。休日がどんどん潰されていく。当時、先輩が「若い者に暇を与えると、悪い本でも読んで共産主義に染まるから、時間を与えないんだ」ということを言っていました。私は、共産主義には染まらないので自由にさせて欲しい、と心の底から思ったものです。今から思えば、当時、その会社のメンタリティは、プレモダンだったんですね。個性は顧みず、自由は与えない。共同体としての会社組織があって、その内部の結束力が重要だった。そういう価値観だった。

その会社は、10年程前にスウェーデンの会社に買収されました。私としては、ヨーロッパの会社なので、合理的な会社になるだろうと期待したものです。しかし、ある時、スウェーデンまで呼び出されたのですが、そこで何をしたかというと、グループに分かれて海辺でカニ釣りをするんです。1メートル程の釣竿を渡されるのですが、先端にタコ紐がついている。岩肌にへばりついている貝を石で叩き割って、それをタコ紐の先端に結びつける。水際にそれを垂らして上下させていると、運が良ければ小さなカニが採れる。もちろん、親睦とレクリエーションとしてやっているのですが、私としては12時間もかけて、ほとんど地球の反対側から来ている訳で、やり切れませんでした。また、別の機会には、ホテルの大ホールを借り切って隠し芸大会をやる。目的は共同体の結束力強化であって、結局、スウェーデンの会社もプレモダンだったんです。

スウェーデン人を批判する訳ではありません。人口9百万人の小さな国です。それなりの事情もあるのでしょう。しかし、数日前、ネットである記事を見つけたのです。記事によれば、スウェーデン徴兵制が復活されるということです。さもありなん、という感じがします。このように、政治状況と人々のメンタリティには、密接な関係があると思うのです。

No. 75 雑感とブログタイトル変更のお知らせ

武田泰淳の「ひかりごけ」には、人肉喰い(カニバリズム)に対する強烈な嫌悪感という集団の無意識を背景として、全人格が否定される個人(船長)が描かれていました。今どきそんなことはない、と思われる方もおられるでしょうか。確かに、最近はカニバリズムについての話は聞かなくなりました。しかし、出来事の本質は、今でも変わらないと思うのです。例えば、最近こんな話がありました。福島から避難してきた子供が、避難先の学校でイジメを受けているというのです。放射能に対する恐怖感という集団の無意識があって、想像力の不足した人たちが、特定の個人を攻撃する。性的なマイノリティーの人たちを最近ではLGBTと言うようですが、これらの人たちも差別を受けている。アイヌ民族の人々も、未だに差別を受けていると感じています。本質的には、皆、同じメカニズムが働いていると思うのです。

ひかりごけ」という作品は、武田泰淳という作家の直観が、集団の無意識を真っ向から否定した作品であると言えます。

少し戻って、小川国夫の「葦の言葉」では、ドストエフスキーの小説、「悪霊」に登場するキリーロフという人物が、ロシア人にとっては肉体化している観念である聖人譚に従って自殺する、ということが述べられていました。ここでは、集団の無意識がキリーロフの直観を支配していた。

このように、人間の直観と集団の無意識の間に存在する緊張関係というものが、浮かび上がってきたように思います。

こうしてみますと、このブログで扱ってきた私の文化論、芸術論は、No. 57に掲載致しました“芸術を生み出す心のメカニズム Version 3”というチャート図に集約されますが、一応、完成したように思います。

多少の充実感と共に、何だ、そういうことだったのか、という虚脱感もあります。文化とか芸術と言っても、それで天国へ行けたり、人間の存在理由が分かったりすることはありません。そして、このブログをどうするかということを思案した訳です。まとめの記事を書いて、終わりにするという選択肢もあります。しかし、それでは7か月も掛けてこのブログを書き、ニヒリズムに到達して終わることになってしまいます。(ニヒリズムは、到達点ではなく、出発点であるべきだ、というのが私の持論でした。)

そこで、ブログタイトルを変更して、もう少し続けてみることにしました。新たなブログタイトルは、「文化で遊ぶ」というものを予定しています。

「遊ぶ」という言葉は、少し不謹慎に聞こえるかも知れません。しかし、いい加減に遊ぶという意味ではありません。文化によって人間の存在理由が分かったりするようなことはないけれども、それでも人間には文化が必要なんだ、それで遊ぶのが人間なんだ、という気持ちを込めて、このタイトルにしたいと思うのです。

今後の記事の掲載予定ですが、当面、文学のフィールドで記事を掲載していきたいと思っています。但し、今後はもう少し肩の力を抜いて、やっていこうかなとも思っています。

No. 74 武田泰淳の「ひかりごけ」を読む(その2)

この作品を読んで、まず、読者の脳裏に強烈な印象を残すのは、第2部、すなわち洞窟のシーンではないでしょうか。登場人物が一人、また一人と死に、残った者がその肉を食べて生き延びる。言うまでもなく、人肉喰いに対する言いようのない嫌悪感というものは、現代に生きる日本人に共通する無意識であり、価値観です。それらに真っ向から挑むシーンが、ここで語られる。しかし、やがて私たち読者は、ある問いに向き合わされる。極寒の知床半島で、飢餓と向き合うという極限状況の中で、それは許されないのか? もし、自分だったらどうするだろう? 自らそう尋ねてみる読者の方もおられることと思います。そして、船長は「我慢している」と述べます。一体何を我慢しているのか、そんなことは分からないとも言います。当事者としては、確かにそうでしょう。空腹や寒さを我慢している。助かるあてのないことを我慢している。しかし、第三者である私からしてみれば、暖かい部屋で、コーヒーを飲みながら今、こうして原稿を書いている私の眼からすれば、根源的には、生き延びたいと願う本能と、人肉を食べることから生ずる嫌悪感との相克について、船長は我慢していたのだと思います。そんな船長の心情を察すると、簡単に彼を責めることはできない、という思いに行き当たります。

第3部の法廷におけるシーンでは、検事から容赦のない批判の言葉が船長に浴びせられます。そして船長は再び、「私は我慢しています」と述べる。この言葉は、第2部でも述べられているのですが、その意味は、少し変化しているように思います。もちろん、人間存在の矛盾や罪深さについて“我慢している”という意味では同じなのですが、法廷で述べられるこの発言には、極限的な状況を経験していない検事やその他の人々から裁かれるという理不尽さについても、“我慢している”という意味が付加されていると思うのです。

ここまでで、半分程度はこの小説を理解できたと思うのですが、ラストシーンで検事、裁判長、弁護士、傍聴人に至るまで、人々の首の後ろに光の輪が現われるということの意味は、まだ、分かりません。そこで、作家がこの作品に潜ませたストーリー・ラインを読み解く必要が生じます。そのきっかけは、第2部から始まるのです。八蔵が西川にこう述べる。「おめえの首のうしろに光の輪が見えるだ。(中略)昔からの言い伝えにあるこった。人の肉さ喰ったもんには、首の後ろに光の輪が出るだよ。緑色のな。うッすい、うッすい光の輪が出るだよ。何でもその光はな、ひかりごけつうもんの光に似てるだと」。

つまり、首の後ろに光の輪が現われるということは、その人が人肉を喰った、もう少し普遍化すると、その人が罪人であることを象徴しています。従って、ラストシーンで人々の首の後ろに光の輪が現われるというのは、それらの人々が罪人であることを意味している。では、明らかに人肉を喰ったことのない検事や裁判長が、どんな罪を犯したというのでしょうか。その意味を読み解くには、中学の校長がヒントになると思うのです。第1部から校長の発言を引用します。

「その船長は、仲間の肉を喰って、自分だけは丸々と太って、羅臼へやってきたんですからね。全く凄い奴がいますよ」
彼はそう言って、おかしくてたまらぬ風に、笑いを吹き出しました。

極限状況の中で苦悩した船長の心情について、この校長は何も理解していないんです。この校長には、想像力というものが不足していると思いませんか。だから作家は、第3部において、船長役を演ずる役者が、この校長に似ている必要があると述べているのだと思います。つまり、そんな無自覚な校長だって、その本質は船長と何ら変わらないのだと、武田泰淳は主張している。もう少し、普遍化してみますと、人肉喰いという集団の無意識が嫌悪する行為があって、しかし、やむを得ない状況の下、それを行ってしまった船長がいる。誰も、彼を否定することはできない。しかし、想像力が欠如した無自覚な人々が、船長を非難する。船長の全人格を否定する。もちろん、裁判の判決を書くのは裁判官ですが、その他の人々も心の中で、船長を断罪している。集団の無意識がそういう愚かなことを引き起こすんだ、そして、誰もがその加害者になり得るんだ、ということを武田泰淳は表現していると思うのです。

そして、この作品の最大のクライマックスは、エンディングではなく、第1部に描かれていると思うのです。“話し手”が校長に案内されて、“ひかりごけ”を見に行くシーンです。辺り一面に、普通の苔が生えている。それらの苔は、普段は光らない。しかし、何かのはずみで、光り出す。その光は、人肉を喰った人間の首の後ろに現れる光の輪と良く似ている。つまり“ひかりごけ”とは、罪深く、愚かな私たち人間を象徴している。作家の直観が、このシーンを生み出したとしか、言いようがありません。

武田泰淳の「ひかりごけ」は、新潮文庫で読むことができます。ご興味のある方は、是非、お読みください。

No. 73 武田泰淳の「ひかりごけ」を読む(その1)

前回の原稿で、「異類婚姻譚」という集合的無意識を背景とした、“鶴女房”という昔話を取り上げました。その延長線上で、もう少し新しい、集合的無意識を背景とした小説について検討しようと思ったのですが、そこで思いついたのが、表題の「ひかりごけ」だったという訳です。これは武田泰淳(1912~1976)の短編小説で、戦時中、難破船の船長が食人を行うという実際の事件を題材としています。この食人に対する嫌悪感というものは、普遍的で、集合的無意識に該当するのではないか、というのが私の見立てです。しかし、私の集合的無意識に対する解釈が拡大しつつあるのも事実で、言葉本来の意味を逸脱するかも知れません。そこで今後は、集団の無意識とか、集団の価値観と呼ぶことに致します。

さて、「ひかりごけ」ですが、これが当初の想定を超えて複雑で、難解なんです。様々な伏線が張られ、登場人物の発言は抽象化され、もしくは何かを象徴している。しかし前回同様、ストーリー・ラインに分解し、集団の無意識、作家の直観をキーワードにこの作品を解体することが可能ではないか。そういう気構えで、挑戦してみます。

この作品は、3部構成になっています。最初は、小説のスタイルで書かれており、話し手が羅臼を訪れ、この奇妙な事件を知るまでの経緯が記されています。そこで、事件の概要までが明らかにされます。その上で、事件の生々しさを排除するという目的で、また「上演不可能な戯曲」であるという前提のもと、第一幕が洞窟の中、第二幕が法廷のシーンという形で進行します。ストーリー・ラインを読み解くために必要最小限の要素をピックアップしたつもりなのですが、“あらすじ”が少し、長くなってしまったことはご容赦ください。

(あらすじ)
話し手は、9月に知床半島羅臼を訪れる。
中学の校長に案内され、“ひかりごけ”を見に行く。校長は「何の警戒心も反感も起こさせない、おだやかではあるが陰気でない人物」である。2人は「洞窟というよりは、奥に行くほど急にすぼまる、山腹のへこみ」へやって来る。「岩壁も地面も濡れて、水滴をしたたらせる。緑色のこけが、岩肌にも地面にも生えていますが、光る模様もない」ということで、2人はなかなか“ひかりごけ”を発見できない。あきらめかけたその時、「投げやりに眺めやった、不熱心な視線のさきで、見飽きるほど見てきた苔が、そこの一角だけ、実に美しい金緑色に光って」見える。結局、光の反射の加減や見る角度によって、苔が光って見えるのである。「何だ、みんなそうだったんですね」と校長が言う。そして帰り道、校長が“事件”について、語り出す。「その船長は、仲間の肉を喰って、自分だけは丸々と太って、羅臼へやってきたんですからね。全く凄い奴がいますよ」と言う。話し手は、校長に紹介されたS青年と会い、彼が編纂した「羅臼郷土史」を譲り受ける。その郷土史に、“事件”の記述があった。

大東亜戦争酣たりし昭和19年12月3日早朝、急務を負いし船団「暁部隊」は、知床経由、小樽港に向け根室港を出帆した」。郷土史の事件に関する記述は、このように始まっている。間もなく天候が急変し、嵐となる。船団は7隻~9隻で構成されていたが、その中の一隻、第五清神丸の機関部が故障し、難破してしまう。第五清神丸には、船長以下、7名の船員が乗っていた。海が荒れていて船を陸地に着岸させることができなかったので、まず、泳ぎの達者な青年が胴体にワイヤーを括り付け、陸地に辿り着き、追って他の船員もそのワイヤーにつかまりながら、陸地まで泳いで渡った。陸地に着いた一行は、励ましあいながら、歩き出し、山小屋に辿り着く。但し、何人の船員が小屋に辿り着いたのかは、判然としない。その小屋は、漁民が春はウニ、夏はコンブを採取するために宿泊し、冬は打ち捨てられているものだった。幸い、小屋の中には、マッチと手ごろな燃料が置かれていた。

船長が羅臼から21キロ離れたルシヤに姿を現したのは、航海から2か月後、昭和20年2月3日である。同年5月上旬、ウニ採集のため訪れた漁民が、リンゴ箱に詰められた人骨を発見し、事件が明るみに出る。船長の自白によれば、小屋に辿り着いたのは、彼と西川青年の二人だけであった。やがて、西川青年が死に、船長はその死体を食べた。しかし、「羅臼郷土史」の作者であるS君の「想像」は、異なっていた。S君によれば、西川青年と船長は、遂に発見されることのなかった3名の死体を食用に供し、最後に船長が西川青年を食べる目的で、殺害したとのこと。

戯曲の部 第一幕
登場するのは、以下の4名。
船長
船員西川
船員八蔵
船員五助

小屋は解体し、暖を取るための薪にしたため、一同は、洞窟の中にいる。
体力の弱った五助が「おらが死にたくねえわけはな。おら、おめえたちに喰われたくねえからだ」と述べる。間もなく五助は死亡し、船長と西川がその死体を食べる。八蔵は、生前の五助と約束したため、五助の死体を食べない。八蔵が西川にこう述べる。「おめえの首のうしろに光の輪が見えるだ。(中略)昔からの言い伝えにあるこった。人の肉さ喰ったもんには、首の後ろに光の輪が出るだよ。緑色のな。うッすい、うッすい光の輪が出るだよ。何でもその光はな、ひかりごけつうもんの光に似てるだと」。やがて、八蔵が死に、その死体を船長と西川が食べる。洞窟の中には、船長と西川の2名だけが残される。船長に殺されるのではないかという恐怖感から、西川は眠ることができない。西川に気持ちを尋ねられた船長は、次のように述べる。「おめえは自分で、何が一体せつねえだかわかったか、寒いのがせつねえだか、腹がへるのがせつねえだか、それとも仲間の肉を喰ったのがせつねえだか、助かるあてのねえのがせつねえだか、わかっか。わかるめい。わかるはずはねえだ。なあんもかんも入れまぜでせつねえだべ。何がせつねえのか、わかんねえくれえせつねえだべ。俺だってそうよ。俺だって、何を我慢してんのかわからねえくれえ、我慢してんのよ」。西川は、船長に喰われないよう海に身投げしようとするが、船長はこれを押しとどめ、殺害し、死体を食べてしまう。

戯曲の部 第二幕 法廷の場
脚注において、船長の顔が、筆者を洞窟に案内した、あの中学校長の顔に酷似している必要があると述べられている。
検事は、次のように述べる。「三名の被害者は、それぞれ程度の差こそあれ、人間的反省、人間的苦悩を示して死亡したのに反し、只一人被告のみは、最後まで、何ら反省も苦悩もすることなく生き残った。あまつさえ、犯罪発覚後も、平然としてその罪を後悔する様子が見えない」。検事に心情を述べるよう指示された船長は、こう述べる。「私は我慢しています」。以降、検事の尋問と船長の回答は嚙み合わない。やがて、船長はこう述べる。「あなた方と私は、はっきり区別できますよ。私の首のうしろには、光の輪がついているんですよ。よく見てください」。脚注に、こう記される。(検事の首のうしろに光の輪が点る。次々に、裁判長、弁護士、傍聴の男女にも光の輪がつく。互いに誰も、それに気づかない。)船長が、「見て下さい。よく私を見て下さい」といって、物語は終わる。

No. 72 物語を解体する

先日、明け方に目が覚めてしまいました。ぼんやりしながら、少し水を飲み、ベッドに腰かけて煙草に火をつけました。何故か、「鶴の恩返し」のことを考えているのです。それに関連した夢でも見たのでしょうか。そこは、はっきりしません。結局、あの物語は何を語っているのだろうか。子供だったら、どうだろう。可哀想な鶴の物語ということでしょうか。多分、今でも絵本の読み聞かせでこの物語に接し、泣き出してしまう子供もいるのではないでしょうか。それだけ、この物語にはインパクトがあると思うのです。

物語の原型では、老夫婦ではなく、青年の元に鶴がやって来て結婚することになっています。このパターンの物語は、通常、“鶴女房”と呼ばれています。このように、人間と人間以外の存在が結婚するという話は、異類婚姻譚と言います。この話については、このブログのNo. 11でも検討しました。その際の私の結論は、妻と死に別れた男性が、自らを慰めるために作った物語である、ということでしたが、何か、釈然としない。

翌朝、それとはなしにネットで調べていると、偶然、面白い記事を見つけました。Wikipediaの“異類婚姻譚”という項目を見ると、関敬吾という人の説が記載されています。すなわち、異類婚姻譚は世界中に存在し、その共通する構成は次の通りであると。ここでは、例示の方を引用させていただきます。

1.動物を助ける。
2.動物が人間に化けて訪れる。
3.守るべき契約や規則がある。
4.富をもたらす。
5.正体を知ってしまう。
6.別離

なるほど。“鶴女房”もまさにこの通りだなあ、と私は感心したのです。

しかし、ここには6つの項目が記載されているので、いわゆる起承転結ではありません。例えば、“桃太郎”であれば、起承転結で説明がつきます。

起・・・桃から桃太郎が生まれる。
承・・・桃太郎が、丈夫で力持ちの少年に成長する。
転・・・鬼が村人に悪さをする。
結・・・桃太郎が鬼をやっつける。

一体、何が違うのでしょうか。そこで、もう一度、異類婚姻譚の6項目を眺めてみる。すると、これらの項目は、物事の原因に関わる項目(以下“原因系”といいます)と、その結果に関わる項目(以下“結果系”といいます)に分類することができるように思ったのです。例えば、動物を助けるのは良いことですね。だから、その結果として富を得る。動物が人間に化けて現れる訳ですが、いずれ正体がばれてしまう。守るべき規則を破ってしまうから、別離が訪れる。原因系をアルファベットの大文字で、結果系を小文字で表わして、6項目を並べてみると次のようになります。

A → B → C → a → b → c

なんと原因系と結果系が、アルファベットの順番通りに並ぶではありませんか! ちょっと、“鶴女房”に置き換えて、記載してみます。

A 青年が鶴を助ける。
B 鶴が人間の女性に化けて、青年を訪れ、二人は結婚する。
C 鶴は、機織りをする場を決して覗かないでくれと頼み、青年は承諾する。
a. 鶴が織った反物を売り、青年は裕福になる。
b. 青年は、鶴が機織りをしているところを覗き、鶴の正体を知ってしまう。
c. 鶴は大空へ飛び立ち、二人に別離が訪れる。

確かに、アルファベット順なんです。そして、この物語には、3つのストーリー・ラインがあることが分かります。例えば、A → a. だけを見れば、動物を助けると、いいことがありますよ、という教訓めいた話であると解釈することも可能です。3つのストーリー・ラインがあるので、少なくとも3種類の解釈が成り立つんですね。

桃太郎の場合は、ストーリー・ラインが一つしかありません。だから、起承転結が成り立つ。しかし、“鶴女房”には3つのストーリー・ラインがあるので、起承転結とは異なる構成になっている。また、複数のストーリー・ラインを持たせることによって、話が立体的になっているんだと思います。例えば、円錐の物体がある。真上から見ると、それは円形です。真横から見ると、三角形に見える。このように、“鶴女房”という物語は、見る角度によって、異なる解釈が可能となるように構成されているのです。

もう一度、上記“鶴女房”の6項目を眺めてみましょう。何か、足りないと思いませんか? これだけでは、絶対に子供は泣きません。この物語の中核的なイメージを構成する、鶴が自らの羽を抜いて機を織るという行為が抜けているのです。この自傷行為があるから、感動が生まれる。何故、抜けているのか。それは、関敬吾という人が説明した構成は異類婚姻譚の一般論で、“鶴女房”の自傷行為は、この物語に固有のものだからではないでしょうか。そして、この自傷行為は、物語の作者の直観によるものだと思うのです。もちろん、“鶴女房”は、永年語り継がれた物語であって、その作者は複数人いることと思います。しかし、いつか、誰かの直観が働き、この自傷行為が生まれたのではないでしょうか。では、自傷行為を上記の6項目に挿入してみます。

A 青年が鶴を助ける。
B 鶴が人間の女性に化けて青年を訪れ、二人は結婚する。
C 鶴は、機織りをする場を決して覗かないでくれと頼み、青年は承諾する。
直観・・・鶴は自らの羽を抜き、機を織る。
a. 鶴が織った反物を売り、青年は裕福になる。
b. 青年は、鶴が機織りをしているところを覗き、鶴の正体を知ってしまう。
c. 鶴は大空へ飛び立ち、二人に別離が訪れる。

いかがでしょうか。これでようやく、“鶴女房”の構成をまとめることができたように思います。直観に基づく自傷行為は、丁度、原因系と結果系の中間に位置しており、以降、物語はたたみかけるように、結果系へと進展していくんですね。物語の構成として、いかがでしょうか。私には、ここに究極的な形があるように思えてならないんです。

さて、このブログの前回までの原稿で、芸術を構成する重大な要素として、直観と集合的無意識があるのではないか、ということを述べてまいりました。この原則は、“鶴女房”にも当てはまると思うのです。異類婚姻譚というのは、集合的無意識の現われであって、そこに直観に基づく自傷行為が加わり、この傑作が誕生したのだと思います。この2つの要素を理解すれば、物語や小説の本質を見ることができるのではないでしょうか。例えば、“鶴女房”の本質は、次のように述べることができます。“鶴女房”とは、人間に変身した鶴が自らの体を傷つけることによって、夫に尽くした献身の物語である、と。

No. 71 小川国夫/葦の言葉(その5)

前回から引き続き、小川氏の講演内容について、検討します。

〇 講演内容/美しい葉
ロシア人には共通した、言わば肉体化された観念を構成している昔話がある。
「正しいとされる考え方は、人は来世の永遠の生命を信じるということなんで、特にすぐれた聖者だけが、まだこの世にあるうちに、つまり現世で天国を見ることができるということなんです。その聖者には価値の革命が起こる- たとえば虫が喰った葉っぱでもいいんですが、人には想像もできないくらいに美しく輝いて見えるんですね。これは、そういう聖者がいたという昔話です。その状態は天国ではないまでも天国的であって、聖者はさらに歩みを進めて天国に入りたいと願う。ということはこのうらぶれた現実から死ぬのを願うということです。つまり、キリーロフはこうした聖人譚といいますか、昔話を身をもって実際に演じてみせるわけです。
ただ一つ、いにしえの聖人譚と違うところは、キリーロフは聖者ではないということです。聖者でもないのに聖者の幻想に陥った、だからキリーロフは狂っていることになってしまう」。

コメント: “肉体化された観念としての聖人譚”というのは、集合的無意識だと思います。そして、集合的無意識に従って、キリーロフは自殺を遂げる。もちろん、キリーロフというのは、小説の中の登場人物な訳で、実際には存在しません。しかし、それだけ集合的無意識の力というのは強いんだと、小川氏は言っています。そして、小川氏はキリーロフのことを狂っている、と述べていますが、その理由についての説明はありません。

小川氏の講演内容は、以上です。今回のシリーズを書いてみて、私としては、多くのことを考えさせられました。一つには、言葉が時空を超えるということ。40年も前の小川氏の講演が、今、こうして私に影響を及ぼしている訳です。

もう一つは、小川氏の講演内容が、やはり分かりづらいということもあります。キリーロフは何故、狂っていると言えるのか。小川氏はその理由について、聖者でもないのに、聖人譚を演じたからだと言っていますが、では、キリーロフは何故、聖者ではないのか。そうやって考えるのが、ロジックではないでしょうか。批判するつもりはありませんが、つまるところ、カトリックの洗礼を受けている小川氏としては、無神論者となったキリーロフを肯定する訳にはいかなかったという事情があると思うのです。このことを突きつめて考えると、宗教というものは、ロジックを否定するということです。ロジックを否定する、だから、人々を隔絶してしまうのではないか。小川氏は、自らに厳しい人で、純粋に宗教や文学と向き合った人です。真偽のほどは分かりませんが、若い頃に芥川賞の受賞を辞退したという逸話があります。そんなに立派な人なんです。しかし私は、小川氏を本当に理解することはできません。小川氏と私の間には、決して超えることのできない大河が流れている。それが、宗教だと思うのです。

そして、一番大切なことは、集合的無意識と直観の関係です。桜の話は、集合的無意識だけで説明できる。日本人は、そういう美意識を持っているから、桜を愛するということです。しかし、キリーロフの自殺は、それだけでは説明できません。桜を見るような軽い気持ちで、自殺はできない。キリーロフには、やはり直観が働いたと見るべきだと思います。いずれにせよ、集合的無意識と直観は、互いに関連し、作用しあっているのだと思います。

蛇足ながらもう一つ。今回の原稿には、小川氏の他にも秋山さんや編集者の方々が登場しました。これらの方々は、皆、お金よりも大切な目的をもって、生きて来られたように感じます。それでいいんだな、と思うのです。人間、「こんにちは!」と元気に言いながら、この世に生まれて来る。そして、身体保存行為と、種族保存行為と、文化によって構成される人間社会にデビューする訳です。そんな人間社会の中で、先の2つは程ほどに行いながら、文化に関わり、集合的無意識に参加し、やがてひっそりと「さよなら」と呟きながら、人間社会から去って行く。それが、“文化で遊ぶ”ということの意味なんだろうと思うのです。

 

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No. 70 小川国夫/葦の言葉(その4)

私の所属していた文芸サークルが主催した小川氏の講演の原題は、「物の威力」というものでしたが、「永遠の生命」と改題され、講演集「葦の言葉」の巻頭に掲載されました。当然、当時も読みましたが、正直に言いますと、良く分からなかった。それが、今回、読み返してみると、良く分かるんです。

これから、小川氏の講演内容とそれに対する私の解釈を記してみますが、そのためには“集合的無意識”とか“直観”という言葉を用いることになります。これらの言葉の意味につきましては、主としてこのブログのNo. 57 ~ No. 61に掲載致しました“心のメカニズム”というシリーズに記載しております。まだお読みでない方は、ご参照いただけますと幸いです。

なお、小川氏の講演録には、パラグラフ毎に“小見出し”が付されています。まず、講演要旨と“小見出し”を記載し、続いて私のコメントを記すことに致します。

〇 講演要旨/食物と言葉、物質と霊
戦争の原因には、食物を生み出す源泉である土地の問題が絡んでいる。しかし、キリストは物の所有を否定する考え方を説いた。この教えは実現不可能であって、不条理だけれども、人間にとって必要なものである。つまり、物がそれだけ強い力をもって人間をしばっているということ。

日本の歴史に徴してみると、お百姓の水争いというものがある。渇水の時、人は地霊を発明し、神に頼む。宗教の源には、そういうことがある。その根っこには生産形態が関わっている。そこには心と物の関わり方がある。そういう地霊とか呪術への執着は、容易なことでは否定できない。

コメント: 原題の“物の威力”というのは、上記の通り、土地や水などの“モノ”について、その重要性を説こうとしたものと思われます。呪術については、このブログでも検討済みですが、小川氏の言う通り、私もこれを否定することはできないと思います。

〇 講演要旨/桜と早乙女、蝉丸の歌
ある民俗学者によれば、桜の“サ”はコメを意味する。そして、“クラ”というのは置き場所を意味する。よって、サクラとは、コメの置き場所という意味である。実証することは困難だが、かつて、米倉の傍らに桜の木を植える習慣があった。そして、桜の咲き具合によって、秋の収穫量を占っていた。桜という花を日本人ほど美しい花だとして慕う民族はない。「私どもが一つのものを美しいか、醜いかということを決める、ごく自然と思われる感情が湧いてくるのさえも、私ども個人的な判断ではない、先祖から一つの感情の流れといいますか、そういうものを受け継いでいるんで、それをほとんど本能的な、私どもの美に対する反応であるというふうに受け取っているんじゃないか、そういう問題を感じます」。

早乙女という苗字の<早>は、米を意味している。そして、乙女というのは娘のことで、早乙女というのは、飢餓への恐れがつのった時の、地霊に捧げた娘さんだったこともあるのではないか。この種のことは、世界共通であって、私どもの文学に強い力を及ぼしているに違いないと、最近感じる。

「これやこの行くも帰るも別れてはしるもしらぬも逢坂の関」という蝉丸の歌がある。この「これやこの」という言葉の意味については、地霊や呪術と同じように言霊を信じていた時代に、言葉を発するはじめに、祈りとしての、あるいはお祓いとしての言葉を使っていたのではないか。その痕跡が、「これやこの」ではないか。このように、一語の起源をたずねてゆけば、そこには、優に一つの歴史がある。あるいは、いくつもの物語が含まれている。

コメント: 日本人が何故、かくも桜を愛しているのか、興味深い説明がなされています。しかし、これは“集合的無意識”そのもののことではないでしょうか。日本人に固有の集合的無意識があって、それが私たちに桜を愛させている。そうだとすれば、集合的無意識というものは、相当強い力を持っていることになります。なお、春の桜の咲き具合と、秋の収穫量を関連づけて考えるというのは、文化人類学が説明しているところの“類化性能”と呼ばれる未開人の心の働き(No. 33)だと思います。こういうことが、今回は、面白いように良く理解できました。

〇 講演要旨/ボードレールの言葉、永遠の生命
「想像力とは、哲学的方法の外にあって、事物の奥底の秘密な関係、対応、類似を認識する、神聖ともいうべき能力である」とボードレールは述べている。想像力は、決して論理では分からないものを突きとめる。そのことを「哲学的方法の外にある」と言っている。桜と豊作を結びつける感情は、私どもの民族感情をさかのぼっていけば、いわれがあったと想像できるし、そういうことが、桜に限らず沢山ある。私どもは、想像力を簡単に直感というふうに呼んでいる。

ドストエフスキーの小説「悪霊」において、スタブローギン(主人公)がキリーロフに「永遠の生命を信じるか」と尋ねる。これは、キリスト教の洗礼を受けるときに牧師に尋ねられる言葉でもある。無神論者となったキリーロフは、現世の永遠の生命を信じる、と答える。埴谷雄高の言葉を借りれば、「意識の総転覆」というものが、文学者の内面にはある。

コメント: これは正に、文学の世界から見た“直観”に他ならないと思います。まさか、あの時の講演で、小川氏は“集合的無意識”と“直観”について述べていたのです。このブログでも、この問題を縷々検討した来た訳ですが、なんという符号でしょうか。ユングならずとも、シンクロニシティではないかと疑いたくなってしまいます。