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文化で遊ぶ

(旧タイトル:文化の誕生)

No. 89 ポストモダンと情報

前回までの原稿で、“近代思想の時代”がいかに幕を下ろしたのか、そこまでは整理できたように思いますが、ポストモダンから今日に至るまでの時代性については、必ずしも検討し切れていないと思うので、ここにフォーカスして、もう少し考えてみます。なお、ポストモダンという言葉に厳密な定義はありませんが、ここでは大雑把に言って1975年以降で今日に至る時代区分、というイメージでご理解ください。

さて、この時代に生きる私たちのメンタリティに強い影響を及ぼしているのは、情報ではないかという気がします。特に、インターネットやスマホがもたらす情報量の急激な増加、という問題があると思うのです。グローバリズムの進展に伴って、外国の情報まで私たちの元へ沢山届くようになった。仮にこれを「横の拡大」だとすると、「縦の拡大」というのもある。これは情報のデジタル化によって過去の情報が良い状態で保存される、という意味です。本もそうですし、音楽もそうですね。例えば、1960年代には、ビートルズローリング・ストーンズなどという特集番組が、ラジオで流されていました。当時、有名なロックバンドって、この2つ位しかなかったんです。今にして思えば、古き良き時代ですね。今ではどうでしょうか。メジャーデビューを果たしているロックバンドというのは、数百、いやもっとあるかも知れません。一方、ビートルズのCDがなくなるかと言えば、そんなことはない。今でも売っている。リマスターなどと言って、むしろ当時よりも音質が良くなったりしているんです。文化というのは、正に積み木のようなもので、過去のものがなくならない。従って情報量というのは、増え続ける一方なんです。どう考えても、情報が多すぎる。この情報過多という現象に、私たちの心はどう対処しているでしょうか。

情報処理・・・仕事でもそうですが、多すぎる情報に、いちいちロジックで対処することはできない。現在は、そういう時代だと思います。例えば、会社で使っているパソコンに、新しいアプリケーションが導入される。時には、OSがバージョンアップされる。そんな時、いちいち説明書など読んでいる時間的な余裕はない。そこで活躍するのが、“感覚”だと思うのです。PCに抵抗感のない若い人は、なんとなくいじっているうちに、そのシステムを理解してしまう。

情報選択・・・多すぎる情報に対処するため、人々は自分に必要な情報とそうでない情報を取捨選択している。特に、共同体から分離されている人たちは、それに代わる何かを探しているような気がします。それが、特定のアイドルグループだったり、スポーツチームだったりする。すると、そういう人たちは、その情報ばかりを集めるようになる。傍から見ていると、いかにも視野が狭い。そして、“オタク”などという、この手の人たちを揶揄するような言葉が生まれたのではないでしょうか。

情報遮断・・・取捨選択するのも大変だということになると、情報を受け取りたくない、と思うこともある。例えば、もう新聞は読まないとか、テレビは見ない、という人たちも増えているのではないでしょうか。そういう気分が高まり過ぎると、“引きこもり”という現象が生まれる。

ポストモダンのメンタリティを持って生きている人たちというのは、かなりシンドイ状況に置かれているのかも知れません。こうなってくると、上に記しました“情報遮断”というのはお勧めできませんが、情報を選択して、周囲からオタクと言われようがどうしようが、自分の好きなジャンルを見つけて、その中でエンジョイしていくのがいいような気がします。

No. 88 共同体と個人(その5)

“近代思想の時代”と“ポストモダンの時代”を明確に区分けすることはできませんが、おおまかに言うと、その移行期は1975年から1990年頃だったような気がします。関連する世界的な出来事を記してみます。

1973年・・・ベトナム戦争終結
1976年・・・文化大革命終結

1989年・・・ベルリンの壁崩壊
1991年・・・ソビエト連邦崩壊

1975年に10歳だった人は、今年で52歳ですか。概ね、ここら辺の年齢以下の人たちは、ポストモダンの世代であると言えるかも知れませんね。

では、ポストモダンのメンタリティについて、考えてみましょう。キーワードは、ディタッチメントです。英和辞書で調べてみると、次のような意味がありました。

detachment
・分離、孤立、距離を置くこと、超然、無関心
・〔論理〕切断。命題の前提条件と結論の間が論理的に一貫しない(欠けている)こと

なるほど。論理的な欠落、という意味もあったんですね。しかし、こう記してみると、随分、寂しげな意味なんですね。共同体との関係が分離され、孤立し、無関心で、非論理的な精神のあり様、それがポストモダンのメンタリティなんです。一つの典型例を考えてみましょう。

A君は、1990年に生まれました。父親はサラリーマンで、スポーツに関心があります。家庭で、政治の話などはしません。お友達親子なので、親子間の対立はありません。A君には反抗期というものがありませんでした。高校はそこそこの進学校で、大学にも進みました。A君は、そこそこの企業に就職します。A君は、ポケモンGOが大好きです。幸い、会社ではスポーツ大会などはありませんし、労働組合から選挙活動を強要されることもありません。A君は、会社における自分のポジションに満足しています。唯一の不満は、勤務時間が長いことです。A君は、十分な英語の能力を持っていますが、外国に行きたいと思ったことはありません。A君には、男友達もガールフレンドもいますが、酒を飲んで、腹を割って話し合うようなことはありません。


このようにイメージしてみますと、なんだか、村上春樹の小説に登場しそうな人物像が浮かび上がってきます。これが、ポストモダンのメンタリティということでしょうか。

さて、各時代区分と、現在の支持政党の状況を考えてみましょう。

宗教国家のメンタリティ・・・・・与党(自民党公明党
近代思想のメンタリティ・・・・・左派政党(共産党社民党
ポストモダンのメンタリティ・・・支持政党なし(無党派

現在の日本の状況というのは、このようになっているような気がします。

更に、各時代におけるマジョリティの精神性と、ユングのタイプ論との関連で考えてみましょう。ユングのタイプ論というのは、以前このブログで詳述していますが、人間の心の機能を思考(意識)、直観、感覚、感情(個人的無意識)の4種類に分類するという考え方です。

無文字社会のメンタリティというのは、最も基本的な機能である“感覚”が支配的であったと思うのです。赤ん坊が生まれて、やがて彼らは笑う。これは、人間が最初に獲得する心的機能だと思います。よって、未だ文字を獲得する前の時代、彼らのメンタリティというのも、まずはここから出発したと思うのです。

宗教国家のメンタリティというのは、とにかく人々のつながりと結束を要求する。それは、ほとんど強制的とも言える。その本質は“感情”、中でも共感を求める心のシステムにあるように思います。とにもかくにも、共感を求め、それが得られた場合は味方となり、得られなかった場合には敵となる。

近代思想のメンタリティというのは、“思考”(意識)に依拠している。いくつかの現象を分析し、そこに共通する原則を見出そうとする。又は、仮説を立て、それを立証しようと試みる。

そして、ポストモダンのメンタリティはどうかと言うと、これは“感覚”だと思うのです。近代思想(思考)に対する失望から生まれたポストモダンは、ロジックを拒絶する。かと言って“感情”に依拠するほど、共同体や他人との関係を重視しない。

それでは、“直観”が抜けているじゃないか、ということになりますが、“直観”という機能は、例えば、シャーマンだとか芸術家などの一部の人が発揮する機能であって、いずれの時代においても、この機能がマジョリティになったことはないと思うのです。
では、一覧にしてみましょう。

無文字社会のメンタリティ・・・・・感覚
宗教国家のメンタリティ・・・・・・感情(個人的無意識)
近代思想のメンタリティ・・・・・・思考(意識)
ポストモダンのメンタリティ・・・・感覚

こう並べてみますと、ポストモダンという時代は、無文字社会に似ていることになります。どちらも、“感覚”なんです。少なくとも、この2つの時代のメンタリティには、親和性がある。ポストモダンの時代が無文字社会に類似しているから、例えば、シャーマンが現われる。それが、オウム真理教のような事件を引き起こしたのではないでしょうか。

No. 87 共同体と個人(その4)

近代思想の時代というのは、正に“思想”の時代だったと思います。例えば日本国憲法には平和主義、個人主義自由主義などが定められています。人々はロジックで物事を考え、その行動を規律するための法律が整備された。日本も法治国家になり、国会では与党と野党が議論を始めた。

近代思想の時代のメンタリティを考えてみると、一つには、現実世界というものが人々の手の届く所にあったような気がします。政治状況や、社会制度というものは、変えることができるんだ、という前提があったと思うのです。例えば、60年、70年安保闘争の時には、多くの学生がデモに参加した。彼らがどれだけロジックで、深く物事を考えていたのかは分かりませんが、少なくともデモに参加することによって、もしかすると政治状況を変えることができるのではないか、少なくとも変えたいんだという希望は持っていたと思うのです。当時は、情熱的だった。

しかし、時代は動き続ける。近代思想の時代にあったロジックと情熱と希望が生み出した対立関係というものが、徐々に消え失せていく。そのプロセスを簡単に考えてみましょう。

まず、左翼思想というものが、衰退したのだと思います。マルクスが主張したように、資本主義は行き詰まらなかった。中国では、文化大革命(1966~1976)と銘打って、反革命的であるとみなされた歴史上の遺産が破壊され、教師が吊るし上げられた訳ですが、やがてそれは単なる政治権力の抗争に過ぎなかったことが分かってくる。以前、ワイルド・スワンという本を読んだことがあるのですが、当時の中国でいかに無茶苦茶なことがなされたのか、詳細に述べられていました。中国は未だに一党独裁国家で、言論の自由は認められていません。確かに一部の中国人は、我々日本人よりも裕福になったかも知れません。それでも大半の日本人が、中国人よりも幸せだと感じているのではないでしょうか。やがて、ベルリンの壁が壊され(1989)、ソビエト連邦が崩壊(1991)します。この頃になると、日本におきましても、社会主義よりも資本主義、民主主義の方が優れているという価値観が、大多数を占めるに至ったのではないでしょうか。

企業もかつては宗教国家のメンタリティをもって従業員を拘束していた訳ですが、次第に人材の流動化が進み、終身雇用制も崩れ始めます。そこに多くの非正規従業員が流入した訳です。時間給で契約する非正規従業員に対し、スポーツ大会に出て来いとは言えない。(労働者派遣法・1985年)

かつては、昭和の頑固オヤジというものが存在して、「理屈を言うな」と怒鳴っては、暴力を振るっていた訳です。これに対して、左翼がかった息子というのが典型的な対立関係を生んでいたのではないでしょうか。しかし、時代も平成になる頃には頑固オヤジもいなくなり、最近ではお友達親子などと言って、親の側に理解があるんですね。そして、親子間の対立というものは解消していった。

かつては、男と女というのも対立する概念だったと思います。例えば、昭和のヤクザ映画などを見ると、男は義理に生きるんです。理不尽なことがあっても、義理を尊重して、耐え続ける。そこに男の美学があった。そして、女は人情に生きる。義理のために果たし合いに出かけて行く男に、女が泣いてすがる。かつて、男は女を、女は男を理解しがたい存在だと思っていた。理解できない。だから、魅力を感じ、惹かれあっていたのかも知れません。しかし、脳科学などが進歩してくると、男と女で、何がどう違うのか分かってくる。部屋の状況を短時間見せて、どれだけの事物を認知できるかという実験がありましたが、女の方が圧倒的に認知能力の高いことが判明しています。なるほど、だから女は男の嘘を見抜くのか、というようなことが分かってくる。そして男たちは、義理やロジックで物事を考えなくなり、女の社会進出も進んでくる。昔は、男と女がどれだけ違うのか、という側面ばかりに目が行っていたように思うのですが、最近、そういう論議はなりを潜めたように思います。実は、男も女もそのメンタリティに着目した場合、大きな違いはないのではないか。こうして、男女間の対立というものも希薄になってきた。そう言えば、「現代はモノセックスの時代だ」と述べている心理学の本もありました。(ユングの性格分析/秋山さと子/1988)

IT技術が爆発的に普及したのは、Windows 95からではないでしょうか。これに伴い、人々は直接顔を突き合せないでも、コミュニケーションを図ることが可能になりましたが、影響はそれに留まることがなかった。次々とゲームが発売され、タブレットが発売され、スマホの時代になった。バーチャルリアリティなどと言いますが、人々の現実感というものは、加速度を付けて希薄になって行ったのではないでしょうか。昨日、ネットで記事を見たのですが、遂に“エア花見”なるものが登場したようです。これは、居酒屋の内部に桜の造花を飾りつけ、そこで酒盛りを行うということだそうです。花粉症の心配もないということで、結構、人気だそうです。

加えて、グローバリズムの波が押し寄せてきた。ボーダーレスなどとも言いますが、人々は、やすやすと国境を越えて異動し、外国の情報はリアルタイムで入ってくる。新聞か何かで読んだのですが、最近では、オーバー・コミュニケーションなどということが言われている。これは、情報の伝達量が多すぎて、文化が均質化してしまうことを言うそうです。

核兵器の拡散という問題もあります。今では、あの小国の北朝鮮ですらそれを手にしようとしている。こうなってくると、いくら国に忠誠を誓って根性を出しても、国を守ることはできない。

これらの変化が何をもたらしたかと言うと、現実世界というものが、人々の手の届かない所へ行ってしまったのではないかと思うのです。トランプなんてけしからんと思う人もおられるでしょうが、ふと気づけば彼はアメリカの大統領で、私たち日本人に投票権はない。トランプ大統領の情報にはいくらでも接することができるのに、その現実に対して私たちが働きかけることはできない。

そして、現代という時代には、そもそも“思想”というものが成立しづらい環境になったように思います。最近、哲学の話をする人なんて、いませんよね。〇〇主義という発想も希薄になりつつある。思想やロジックに成り代わって、例えばコンピューターのシミュレーションや、ビッグデータの解析が重用される時代になったのではないでしょうか。“どうあるべきか”と考えるのが思想だとすると、今は“どうなるか”ということの方が重要なのかも知れません。

こうして、近代思想の時代とそのメンタリティは、幕を閉じたのだと思うのです。

No. 86 共同体と個人(その3)

宗教国家としてのメンタリティに劇的な変化を及ぼしたのは、第二次世界大戦だったと思います。ヨーロッパでは、ナチスドイツが無数のユダヤ人を虐殺した。そして、広島と長崎に原子力爆弾が投下された訳です。この2つの出来事は、人類に衝撃を与えたに違いありません。

そして日本では、日本国憲法が1946年に公布され、翌1947年に施行されました。その第1条には、こう記されています。

第1条(天皇の地位、国民主権
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

この第1条をもって、日本において1300年以上も続いた宗教国家の時代は幕を降ろし、近代国家としての新たなスタートが宣言されたんです。そういう思いでこの条文を読み返しますと、私などは、ちょっと感動してしまいます。

ところで、「日本国憲法GHQに押し付けられたものなので、我々日本人の手で作り直すべきだ」、という議論があるようです。文献1によると、経緯はこうだったようです。まず、日本人が草案を作った。しかし、それは天皇に主権があるという大日本帝国憲法と変わらない内容だった。それでは困るということで、GHQが草案を作り、それを日本側が承認した、ということのようです。ただ、私としては、そういう議論には意味がないと思うのです。例えば、料理を食べる。その時、あなたはその料理を誰が作ったということにこだわりますか? 私は、こだわりません。ただ、うまいか不味いか、それだけです。憲法だって、同じではないでしょうか。要は、中味なんです。

次は、問題の第9条です。全文を引用してみましょう。

第9条(戦争の放棄、軍備及び交戦権の否認)
① 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

ここには明確な平和主義が規定されています。素晴らしいですね。理想的です。しかし、理想というものは、必ずしも現実と一致しない。問題は②項です。戦力は保持しないと定められていますが、現実には自衛隊がある。この点、自衛隊は戦力ではないという解釈が定着しているので、問題はなさそうです。では、最後の一文はどうでしょうか。「国の交戦権は、これを認めない」。例えば中国が日本の尖閣諸島に侵略してきたらどうするのか、と心配になってしまいます。しかし、“文献1”によれば、1954年に「自国に対して武力攻撃が加えられた場合に、国土を防衛する手段として武力を行使することは、憲法に違反しない」とする政府見解が出されているということです。更に、2014年に安倍内閣は上記の「自国に対して」という部分を拡大し、集団的自衛権の行使を可能とした訳です。賛否両論あるでしょうが、結論として言えることは、これだけの拡大解釈が既になされているので、9条に関連して言えば、特段、急いでこれを変更する必要はない、ということではないでしょうか。本稿は、憲法論を論じることが主眼ではないので、次に進みます。

第13条(個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重)
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

これはもう、感動ものです。国民は個人として尊重されるんだ、そして個人は自由を追求することができるんだ、ということが明確に謳われています。日本に生まれて本当に良かったですね。

その他にも第19条には「思想及び良心の自由」、第20条には「信教の自由、国の宗教活動の禁止」、第21条には「言論の自由」などが定められています。もう、日本国憲法は、100点満点だと思うのです。しかし、それで全てが解決という訳にはいかなかった。

前の原稿で、宗教国家のシステムについて、「個人に自律的な思考を促さないシステム」であると述べましたが、反対に日本国憲法は「個人に自律的な思考」を促していると思うのです。個人を尊重するということは、それぞれの個人が個性を持つことが推奨されている、とも言えます。私のような変わり者にとっては有難い限りなのですが、必ずしも誰しもがそうという訳にはいかなかった。そこで、宗教国家の時代の方が良かったと思う人たちが、日本国憲法のマインドに違和感を持った。今話題の石原慎太郎とか、森友学園の籠池氏など、未だにそういうマインドを持った人たちがいるんですね。

他方、日本国憲法に飛びついたのは、左翼思想を持った人々だった。思想の自由は保障されているんだろう、我々は社会主義共産主義が正しいと思っているんだ、という動きが出てきます。1949年に中国共産党による一党独裁国家である中華人民共和国(中国)が樹立されるなど、外国においても共産主義が台頭してきた。

こうして近代思想の時代が幕を開ける訳ですが、この時代には様々な対立軸というものが、明確に見えていたのだと思うのです。右翼と左翼。信仰とロジック。そして、共同体と個人が対立し始めた。個人は、共同体と対立し、もしくはそこからの独立を目指すことによって、自らの個性というものを確立しようとしたのだと思います。

このような対立関係というのは、他方では芸術をはじめとする文化にも、強烈なパワーをもたらしたんだと思います。日本では、戦時中の極限状況を題材とした戦後文学が生まれる。1940年台の後半には、アメリカでチャーリー・パーカーマイルス・デイビスがいわゆるモダン・ジャズを始めるんですね。1950年代には、ニューヨークであのジャクソン・ポロックが絵画の革命を起こす。そして、1960年代に入ると、イギリスでビートルズローリング・ストーンズが誕生する。そして、モダンという時代は、そのピークを迎えつつあったのだと思うのです。

(参考文献)
文献1: 新・どうなっている!? 日本国憲法法律文化社

No. 85 共同体と個人(その2)

宗教国家が生まれる直前の日本では、豪族による武力支配と、シャーマニズムに基づく精神世界があったようです。そこで、聖徳太子(574~622)が登場します。聖徳太子に関しましては、どこからどこまでが彼の功績だったのか判然としないようですが、ここでは当時の偉人の象徴という意味で、登場してもらうことにします。

聖徳太子は遣隋使を派遣するなどして、大陸の文化、特に仏教を積極的に取り入れ、天皇を中心とした中央集権国家の設立を目指しました。まさに、宗教国家としての日本はこの時代に生まれたんですね。そして、彼は17条憲法というものを作った。これは「一に曰く、和を以って貴しとなし~」という言葉から始まります。これを反対解釈すれば、当時の社会では争いが絶えなかったということですね。そういう混乱した社会に秩序を与えようというのが、聖徳太子の願望だったのではないでしょうか。そして、17条憲法の2番目には仏教を信奉せよとあり、3番目では天皇制について言及しています。日本における仏教神道天皇制)の関係は、既にここから始まっていたんですね。また、聖徳太子は冠位十二階という身分制度も制定します。(学説上は、異論もあるようです)これは、朝廷に使える臣下を12の等級に分類する階級制度であって、天皇が授与したと言われています。こうして日本においても、階級というものが制度化されていく。

その後、紆余曲折はあったものの、この宗教国家という制度は、第二次世界大戦で敗戦するまで継続したのだと思います。大日本帝国憲法の第1条には、こう記されています。

第1条 大日本帝国万世一系天皇之ヲ統治ス

現在の日本国憲法が施行されたのは1947年ですから、日本における宗教国家の時代というのは、聖徳太子の時代から1300年以上も続いたことになります。そしてその間、日本を支えてきた制度の最大の特徴は、“集団主義”であったと思うのです。人々の“個性”などというものが、注目されることはなかった。“自由”にいたっては、その概念すら存在しなかった。徹頭徹尾、集団の結束と集団の利益が尊重されていた。そのような時代にあって、人々の心を支えていたのは仏教神道天皇制)だった訳ですが、江戸時代以降は、それらに“武士道”が追加された。

武士道の起源は相当古いのだろうと思うのですが、有名なのは、“葉隠”ではないでしょうか。これは、「徳川幕府が開かれてから約百年たった元禄時代の直後、佐賀藩の元御側役であった山本常朝が口述し、後輩の田代陣基が筆録した一種の語録であり、回想録である」ということです。(文献1)時代背景としては、江戸時代のことなので、結構、平和な暮らしが続いていた。すると武士が、堕落してしまう。そういう若者を先輩武士である山本常朝(つねとも)が叱咤している。しかし、そこには狂気ともいえる内容が含まれています。例えば、「武士道は死狂ひなり」ということが書かれているんです。これは、いざという時にあれこれ考えていては、行動が遅れる。そういう時には、死に物狂いでぶつかれ。何も考える必要はない。そうすれば、「この内に忠孝はおのづから籠るべし」というんですね。お家の一大事のような時には、何も考えずにお前の命を差し出せ、と言っている。武士道の本質が、ここにあるような気がします。このような考え方が、やがて新渡戸稲造三島由紀夫に影響を与えていく。教育勅語にも、その流れは通じているようです。言うまでもなく、武士道という考え方は、個性も、自由も、人権意識も、そんなものとは無関係で、徹頭徹尾、集団主義なんです。

時代によって違いはあるのでしょうが、概ね、そういう時代が1300年続いた。別の言い方をすると、当時の日本人の精神の中に、自己意識というものは、希薄だったと思うのです。自分とは何か、自分はどう生きるべきなのかという問題意識は、あまりなかった。個人の存在意義というものは、共同体との関係性の中にしか存在していなかった。ある側面を捉えれば、宗教国家の制度というものは、個人に自律的な思考を促さないシステムだったと思います。従って、自律的な思考を望まない人々にとっては、居心地が良かった。

では、そういう日本人が共同体を離れた時に、どうなったのかという問題もあると思うのです。例えば、旅に出る。現役を退き、隠遁生活に入る。すると、自己意識の希薄な日本人は、自然と同化していったのではないでしょうか。

 

古池や蛙飛び込む水の音

 

ここに、自己意識というものは感じられません。あくまでも自然があって、この句を詠んだ芭蕉がそこにいて水の音を聞いたのかどうか、それは重要ではない。自然の静けさこそが、この句の主題であると思うのです。このように、日本人の自然観というものは、個人や個性を尊重しない宗教国家のシステムが、その反射的効果として生み出したのではないかと思うのです。

(参考文献)
文献1: 続葉隠/神子 侃/徳間書店/1977

No. 84 共同体と個人(その1)

このブログのNo. 82 ~ No. 83におきまして、“プレモダンのメンタリティ”というタイトルで原稿を掲載致しました。実は、これをシリーズ化して、モダン、ポストモダンへ続けようと思っていたのですが、どうもうまく行きません。一つには、時代区分は4つにすべきだと思い始めてしまったことと、どうもメンタリティという漠然とした切り口では、焦点がボケてしまう。

そこで、時代区分は4つにして、共同体と個人の関係にフォーカスしたものに仕切り直しをさせていただくことにしました。行きつ戻りつ、脱線しつつ、というのがこのブログの特徴なので、ご容赦ください。また、今回のシリーズで私が記載したいと思っている時代区分と、各時代における共同体と個人の関係につきましては、以下の通りです。

A. 無文字社会の時代  ・・・ 一体
B. 宗教国家の時代   ・・・ 依存と支配
C. 近代思想の時代   ・・・ 対立
D. ポストモダンの時代 ・・・ 分離

予め、概略を記しましょう。まず、“無文字社会の時代”につきましては、個人の自己意識というものは芽生えておらず、個人は、共同体と自らを区別することなく、一体感が育まれていたものと思います。文字が発明されると宗教が生まれ、それが国家へと発展していく。個人のメンタリティとしては、共同体に依存していたと思います。自由とか、個性という概念自体が、まだ生まれていなかった。しかし、共同体が国家としての形を持ち始めると、そこに納税義務が生じる。国家の権力というものが生じる訳です。そして、特に明治維新以降は、外国との戦争が始まります。この時代は、共同体としての国家が、個人を支配していたと言えると思うのです。敗戦後、日本国憲法が制定されます。私は、この憲法の中に近代思想の骨格が記されていると思うので、主要な条文についても考えてみたいと思っています。日本国憲法は素晴らしいと思いますし、その憲法は幸い、今日においても健在です。しかし、近代思想については、その信頼性が揺らぎ始めた。何がどう揺らいで来たのか、今一度、検証してみたいと思っています。近代思想が揺らいだ結果、ポストモダンというメンタリティが生まれる。これはもう、歴史的な必然だったのでしょう。ポストモダンの時代においては、共同体自体がその結束力を弱めている。共同体の側からの個人への働き掛けというものが弱まり、個人も共同体への依存を最小限に留めようとしている。この現象を“分離”と記した訳ですが、ディタッチメントなどと呼ぶ場合もあるようですね。AとBについては、既にいくつかの原稿で言及していますので、今回は、CとDに力点を置きたいと考えています。多分、皆様が興味を持っているのも、“ポストモダン”ではないでしょうか。但し、ポストモダンのメンタリティというのは、近代思想に対するアンチテーゼとして生まれたものだと思うのです。従って、近代思想とは何だったのか、何故それが衰退したのかというところから考える必要があると思うのです。

ところで、タイトルにも使いました“共同体”という言葉の意味を定義する必要がありそうです。学生時代に読んだ社会学の教科書には、次のような記述があったと記憶しております。人間集団の中には、目的を持ったものがある。その典型は、国家である。このような集団をゲゼルシャフトと言う。他方、特段の目的を持たない集団もある。典型は、社会であり、家族である。このような集団をゲマインシャフトと言う。当時は、なるほどそんなものかなあと思ったのですが、その後の私の実社会における経験において、そんな違いはなかった。会社というのは、利益を追求する集団であり、典型的なゲゼルシャフトであるはずです。また、私としても、そうあって欲しかった。とにかく、休日は、誰にも邪魔をされたくなかったのです。しかし実際には、祭り、スポーツ大会、花見、慰安旅行と、私の休日は潰され続けたんです。あの時の休日を返せ、と叫びたい位です。おっと、また脱線しかかってしまいました。話を戻しますと、このような実体験からして、集団をゲゼルシャフトゲマインシャフトに分けることに、メリットはないと思うのです。よって、このブログでは、双方をひっくるめて、“共同体”と呼ぶことにします。大きなものは国家から、小さなものは家族まで、ということになります。

さて、無文字社会の歴史につきましては、No. 82の原稿に記しましたので、ここでは補足的な事項のみを記します。

初期の無文字社会では、狩猟採集によって人々は暮らしを立てていました。言わば“なわばり”というものがなく、比較的平和に暮らしていたものと思われます。(ゴリラなんかもそうですね。)獲得した獲物も、平等に分配されていたと言われています。そうでないと、弱い者、子供などが生きていけない。そうしてみると、ほぼ、階級などはなく、平等な社会だったと言えそうです。支配、被支配の関係というものも存在しなかったのだろうと思います。また、文化としては、既に物語や呪術が存在したものと思われます。

やがて、農耕・牧畜が行われます。農耕を始めるということは、すなわち“なわばり”を持つこととなり、部族間の衝突が生じます。また、定住することにより、人間集団の規模が、少し拡大したのではないでしょうか。そこで、祭祀の文化が発達し、祭祀を取り仕切る者、お告げを聞く者としてのシャーマンの役割が拡大します。雨乞いの儀式なども、この時期に生まれたのではないでしょうか。日本で言えば、邪馬台国卑弥呼が有名ですね。しかし、この時代においても、支配・被支配の関係は、存在しなかった。仮に存在したとしても、それは緩やかなものだったはずです。また、階級制があったとしてもそれは、シャーマンとその他の人々、という程度の緩やかな区分だったのではないでしょうか。また、シャーマンが祈るのは、共同体やそのメンバーにとって利益となる事柄ですから、他のメンバーにとっても、納得性は高かったものと思います。このような時代において、人々は共同体と自分というものを区別することなく、両者を合一して、認識していたものと思われます。なんだか、それはそれで、幸せな社会だったのかも知れませんね。

無文字社会の時代に生まれ、今日にも生き続けている文化というのは、少なくありません。祭りとか、民芸品などもそうですね。現代のマンガも、実はこの時代に作られた物語に通ずるところがあると思うのです。その中では、奇想天外なことが起こるんです。

No. 83 プレモダンのメンタリティ(その2)

No. 83

<プレモダンのメンタリティ(その2)>

プレモダンについては、やはり、2つの時代区分に分けて考えた方が良いかも知れません。

無文字社会の時代
・宗教国家の時代

双方の時代には、共通点もあります。人々の個性や自由は、尊重されなかった。しかし、これらを区分すると、例えば村上春樹の作品世界がよりクリアに見えてくる!

前回のシリーズで取り上げました村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」(以下「本件作品」といいます)には、宗教国家のメンタリティというのは登場しないんです。例えば登場人物が突然悟りを開くとか、特攻隊精神を鼓舞するとか、そういう話はまったく出て来ない。本件作品に登場するのは、呪術師とか悪霊ですが、これらは皆、無文字社会のメンタリティなんですね。また、本件作品にはいくつか、登場人物が現実世界と夢の世界を混同する場面が描かれています。例えば、多崎つくるは白根柚木とセックスをする夢を見ますが、その後、「白根柚木をレイプしたのは僕かも知れない」というようなことを発言しています。完全に、夢と現実を混同している。しかし、このようなことは、無文字社会であるパプアニューギニアのイワム族では、実際に起こるんです。「あの男が夢の中で、俺の農作物を盗んだ。だから、あいつを逮捕してくれ」とイワム族の男が白人の保安官に陳情したという話は、以前、このブログに記載した通りです。

そもそも、夢というものは、何らかの意味を孕んでいる場合もあるし、そうでない場合もある。本件作品に登場する多崎つくるの夢も、同じかも知れません。意味のある場合と、意味を推察することができない場合があるように思います。村上春樹は、意味のある夢だけを抽出しないで、意味という概念を捨て、夢そのものを作品内に持ち込んでいるのかも知れません。

ところで、村上春樹の作品においては、登場人物がいとも簡単にセックスをするんですね。このことに違和感を覚える人も少なくないと思うのです。現代日本の現実というものは、そう単純ではない。しかし、前述のイワム族の社会では、同じようなことが起こるんです。

数十年前の話ではありますが、イワム族の男女が偶然、森の中で出会った。すると女性がこう言ったそうです。「あなたは男、私は女。私はOKよ」。それで、2人はセックスをした。随分、簡単ですよね。現代なら、まずメルアドか何かを交換するところから始まる訳ですが、当時、そんなものはない。メールを打とうにも、そもそも文字がない。すると、こういうことが起こるのでしょうか。

しかし、これって村上春樹の世界に通じてないでしょうか? 本件作品においても、大学生の多崎つくるは、アルバイト先で知り合った女性と、簡単に肉体関係を持ったことになっています。やがて、彼女が結婚するため、2人は別れる。彼女は、婚約していたんですね。そして、こう言うんです。「とても良い人なのよ」。こういう関係と、前述のイワム族の話と、どこか似ているように思うのです。共通しているのは、そこに至るまでのプロセスが簡単であること。また、セックスに関して、道徳的、心理的な規制というものが働いていない、ということでしょうか。

モダンの時代に生きながら、モダンを否定し、宗教国家のメンタリティを目指したのが三島由紀夫だとすると、ポストモダンの時代に生きながら、モダンを否定し、無文字社会のメンタリティを訴求しているのが村上春樹だと言えそうです。