文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

論理性と怒り

今、怒っている日本国民というのは、かなり多いのではないでしょうか。言うまでもありません。政治と行政の問題です。

 

本日も国会中継があり、私も見ておりましたが、事態の解明は一向に進みません。森友や加計の問題については、既にご存知のことと思いますので詳述は致しませんが、私としては、これでほぼ“詰み”だと思っていたのです。

 

まず、森友学園。これは、財務省から森友学園側に「口裏合わせ」の依頼をしていたことが判明しました。この点は、財務省も認めています。ということは、8億円の値引きの正当性が失われたことを意味していると思います。本当は、そんなにゴミはなかった。そのことを財務省も知っていたから「口裏合わせ」を行ったと考えるのが、ロジックというものです。しかし財務省は、未だに言い逃れをしているようです。更に財務省は、野党議員が要求する資料も一向に開示しない。国民に対して説明責任を果たそうという姿勢は、全く感じられません。

 

次に加計学園。こちらは2015年4月2日の官邸における面談について、愛媛県の作成した備忘録が発見され、県知事もその信憑性を是認しています。更に本日の国会で、今治市の職員が同日、官邸を訪問したことも確認されています。今治市の職員は、当時、出張旅費を請求する関係もあって、面談の事実を証する書面を作成しており、その一部は開示されています。今治市は、官邸を訪問したと言っており、その議事録が愛媛県から発見された。それでも政府は、その面談が行われたこと自体を認めようとしません。

 

仮に、政治家が正しいことをしようとしていたとして、その政治家の意向を察して官僚が行動したとする。これは“忖度”と言って良い。しかし、誰かの意向をおもんばかって公的文書の改ざんという違法行為を行った場合、これを“忖度”とは言わない。

 

政府側関係者は、一体、どのような価値観や原理に基づいて行動し、発言しているのでしょうか。権力者のエゴイズムだけで、現在の政治状況を説明できるのか、私には確信が持てません。ただ、一つ言えるのは内部告発やリークによって、真相究明が進んでいるということです。驚くような情報や文書が、連日報道されていますが、その大半は内部告発やリークに基づくものだと思うのです。ということは、様々な組織内において、自らの良心に基づいて行動されている方々がおられる、ということを意味している。そして、それらの人たちは、自らリスクを負い、メディアなどに情報を流している。相当、思い悩んだ末の行動ではないかと察します。このように考えますと、現政権というのは、本当に罪なことをしている。日本国民を分断し、一部の人々には過酷な判断を迫っている。良心の呵責に耐え兼ねて、自ら命を絶ってしまった人もおられる。

 

このような現象を、少し離れた所から見てみますと、現在の日本社会においてロジックで物事を考えている人たちというのは、皆、一様に怒っている。本日の国会におきましても、野党の方々は、本当に怒っていました。毎週末になると、国会前や官邸前に1万人を超える規模の人々が集まり、安倍政権に抗議している。ついでに言えば、私だって、怒っているのです。説明責任を果たせ、と叫びたくもなります。

 

しかし、この論理的に物事を考える人たち、私の言葉で言えば3次性のメンタリティを持った人たちということになりますが、これらの人たちというのは、怒り続ける運命にあるのか、という疑問も沸いて来ます。ロジックで考える。すると、どうあるべきか、という物事の形が見えてくる。しかし、現実は多様であって、リクツ通りに事は運ばない。結果として、心の中に怒りが芽生える。

 

そう言えば私などは、いつも何かに怒りながら生きてきたような気がします。とても幸福な人生であったとは、言えません。

 

話は変わりますが、パソコンの待ち受け画面に飽きてきたので、マイピクチャーの中味を見ていたところ、次の写真が発見されました。

 

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撮影時期は、2015年4月頃です。場所は、高野山金剛峯寺だったように記憶しています。(記録はないので、違っていたら申し訳ありません。)引退記念で観光旅行に出掛けた時に私が安物のカメラで撮影したものです。

 

ここには、人間の煩わしい感情も、3次性がもたらす怒りもありません。あるのはただ、“物と自然”(2次性)と静寂だけです。例えば、写真中央に位置する白っぽい岩をご覧いただきたいのです。もちろんこの岩自体は自然の産物であって、芸術ではありません。しかし、素晴らしいと思うのです。

トップの責任

自衛隊イラク日報の存在が確認され、財務省森友学園側に口裏合わせの依頼をしていたとのNHK報道もありました。もう、官僚の不祥事については枚挙にいとまがありません。この国は、いつからそんな2流国になってしまったのか。

 

当然の流れとして、トップの責任問題も浮上しています。例えば、(元)理財局長の佐川氏。確か3点程の理由に基づき、とりあえず20%の減給3か月という処分が下されました。私が記憶している理由の1つには、「国会答弁で丁寧さを欠いた」というものがありました。これは驚きです。そんなことで、懲戒処分が下されるのか。これはあり得ません。そういう曖昧な理由を付けて、真実を闇に葬ろうとしているとしか思えません。反対に、もし「公的文書の改ざんを指示した」という理由であれば、減給程度の軽い懲罰では済まされないと思います。この点、佐川氏の改ざん指示を示唆するメールが存在すると、大阪地検がリークしたようですが・・・。

 

元来、トップが取るべき責任とは何か。私は、政治家とか官僚に適用される法律については分かりませんので、民間企業に適用される法律を中心に、以下に述べます。

 

そもそも、民間企業においても、不祥事というのは、昔から絶え間なく発生してきました。そして、不祥事が発覚するとほとんどの社長が「自分は知らなかった」と言うんですね。考えてみれば、当然のことです。「これから不祥事を起こします」と社長に報告する馬鹿はいません。

 

民間企業の不祥事にもいくつかのパターンがあります。最近多いのは、セクハラ、パワハラ。それから、会社のお金をくすねてしまう横領というのもあります。しかし、世間を騒がす大事件というのは、大体、社長が利益最優先なんです。営業利益率を上げろ、売り上げを伸ばせ、とそればかりを言うんですね。すると、出世したいと願っている従業員は、法律ギリギリの方法で利益をあげようとする。場合によっては、法律に抵触してでも会社の業績に貢献しようとする。大体、法律を厳密に遵守しようとすると、コストがかかる。もしくは、利益が増えない。

 

ひと度、大事件を起こしますと、その会社の株価が下がって株主が大損害を被る。そこで、不祥事を起こした会社の株主には、その会社の取締役や監査役に対し、損害賠償請求を求める権利が認められています。これが、株主代表訴訟というものです。取締役や監査役が敗訴すると、会社が被った損害額を役員個人が会社に補填しなければなりません。当然、その額は天文学的な数字になる訳で、一時期、上場企業の役員は震え上がったものです。

 

それでも、不祥事はなくならなかった。そして、裁判になると社長以下、異口同音に「私は知らなかった」と主張するのです。この責任感の低さには、法律家も裁判所もあきれてしまったのです。

 

そこで、大和銀行ニューヨーク支店事件と呼ばれる株主代表訴訟において、画期的な判決が出たのです。そもそも銀行の業務というのは、顧客と直接対面する従業員と、後方で作業をする従業員とに分担されているのですが、問題の支店ではそうなっていなかった。そこで裁判所は「リスク管理体制の大綱(基本方針)は、取締役会が決めるべきだ」と判示したのです。つまり、取締役会で決議されたリスク管理の基本方針が妥当であり、かつ、それが適切に運営されていた場合、取締役等の責任は免除される。そうでなかった場合には、全ての取締役と監査役は連帯して会社に対し賠償責任を負うべきだ、ということです。別の言い方をしますと、「知らなかった」という言い訳は認めない。不祥事が起こらないように、制度をしっかり作りなさい。そして、その制度をきちっと運営しなさい、ということになります。

 

その後、法曹界での議論があった訳ですが、上記判決の考え方が良いだろうということになりました。そこで、商法の一部を切り離して会社法を制定する際、大企業には一定の事項を取締役会で決議することが義務づけられたのです。前述の判例では「リスク管理」という言葉が用いられておりましたが、会社法の方はコンプライアンスなども含め、もう少し幅の広い範囲で規定すべき事項が決められました。これが、会社法における内部統制システムということになる訳です。以後、大企業の取締役や監査役に対しては、「内部統制システム構築責任」が課されることになったのです。会社法が施行されたのは平成18年ですから、もう12年も前のことになります。

 

財務省の文書改ざん事件に関し、麻生大臣は「知らなかった」(?)そうですが、私などからしてみますと、まだそんな議論をしているのか、と思ってしまいます。多分、官僚の仕事には、民間の業務以上に法律上の拘束があるのだろうと思います。いろいろな仕事の手順自体が、法律に定められているのかも知れません。しかし、それでも不祥事が後を絶たない現状を考えますと、会社法の例にならって、大臣や官僚のトップに対しても「内部統制システム構築責任」のような責任を課すべきではないかと思います。

No. 188 人間と動物

全ての思想は、エゴイズムに疑問を投げ掛けるところから始まる。日本国憲法の3原則に照らして考えてみます。まず、平和主義。これは人間集団のエゴイズムを抑制しようとしています。次に、基本的人権の尊重。これは、国家ならびに国民の一人ひとりに対して、エゴイズムの抑制を求めている。そして、国民主権。これは、独裁者のエゴイズムを否定している。やはり、日本国憲法は素晴らしい。

 

ところで、人間も動物もエゴイズムを持っていて、その性質は本質的に同じである、というのが前回の原稿の趣旨でした。では、記号原理はどうか。動物の方は、人間ほど複雑ではないにせよ、同様の認知・行動システムを持っているのだろうと思います。例えば、子猫を観察してみると良い。彼らは大きな目をキョロキョロと動かして、身の回りの事物に注意を払っている。それは、音であったり、臭いだったりすることもあります。例えば、彼らの目前にボールを転がしてみる。子猫は必ず反応するでしょう。

 

動くもの、匂いのするもの、生きているものなどが、記号として動物の眼前に現われる訳ですが、その記号が指し示す対象というのは、食料とか自分に危害を加えそうな生物だとか、いくつかの類型に分類することが可能だと思います。

 

では、動物は心的領域論で指し示したような心の領域(1次性~3次性)を持っているでしょうか。答えは、NOだと思うのです。

 

1次性・・・動物は、他の動物を真似て歌ったり、踊ったりしない。

2次性・・・動物は、他の動物を食べるために道具を作り出したりはしない。

3次性・・・動物は、他の動物を敬ったりしない。

 

従って、動物を動かしているのは、記号原理とエゴイズムだけだということになります。言葉の定義にもよりますが、私が心的領域論で述べたような心というものを動物は持っていない。こんなことを述べますと、ペットを可愛がっておられる方の反発を招くでしょう。しかし、ペットが飼い主の指示に従ったり、飼い主に甘えてくるのは、飼い主が餌を与えてくれるからではないでしょうか。飼い主の指示に従い、飼い主との間に友好的な関係を築いた方が、そのペットの生存確率は格段に向上するはずです。

 

他方、人間には心がある。

 

動物・・・記号原理 + エゴイズム

 

人間・・・記号原理 + エゴイズム + 心の領域

 

人間と、人間の作り出す世界というのは、上記の3要素によって構成されているのではないでしょうか。例えば、物理学者であれば、世界は元素によって成り立っていると言うかも知れません。しかし、文化論の立場から言えば、上記の3要素ということになります。

No. 187 ライオンの生態から考えるエゴイズムの3類型(その4)

早速ながら、ライオンの生態から考えられたエゴイズムの3類型について、これらが人間にも当てはまるのか、考えてみましょう。

 

<帰属集団のエゴ>

 

ライオンと同じように、人間も各種の集団を形成し、その集団の利益のために働いています。例えば、今、話題の官僚組織。大体、官僚というのはその属する省庁の利益を優先すると言われています。例えば、予算。これを確保するために、前年度に取得した予算は、何としても使い切ってしまう。年度末が近づくと道路工事が増えるとは、よく言われることです。国家全体の利益ではなく、省庁の利益が優先される。そのため、予算を確保するために、省庁間で熾烈な戦いがあるのだろうと思うのですが、これはライオンのプライドが縄張りを守るために戦っているのと、そっくりです。もちろん、そういう官僚ばかりではないと思いますが・・・。

 

企業でも、事情は同じです。部門間で争ったり、派閥同士で争ったりしています。そして、業績が悪化すると、リストラと称して立場の弱い人たちを切り捨てます。これも、ライオンと同じではないでしょうか。

 

<序列闘争に関する個体のエゴ>

 

ありとあらゆる人間集団において、序列が決まっていて、個人は自分の序列を維持、向上させようと躍起になっている。私の目には、そう見えます。

 

最近、「マウンティング女子」という言葉があるようです。これは何かと「私の方が幸せよ」というアピールをしてくる女性を指すようです。「ボスママ」というのもある。こちらはPTAの会合などで、ボスに君臨している母親を指すようです。メンバーは、ボスママに嫌われないよう、ボスママが身に付けているモノより高価なものは身に付けないなど、注意が必要らしい。これはもう、メスライオンの世界よりも厳しいかも知れない。

 

序列闘争というのは、もちろん女性の集団に限ったことではありません。官僚組織でも民間企業でも、細かく役職が分類されています。これは、人間のエゴイズムをうまく利用した制度だと思います。例えば、会社の廊下の角などで、二人の人間が出くわすことがあります。すると、瞬時に判断して、序列が下の人間が道を譲るんですね。序列というのは、そこまで組織の中に浸透している。

 

こちらは特にライバルだと思っていない友人から、妙に絡まれたりすることもあります。これも序列闘争ですね。学歴、知識、経験などをこれ見よがしにひけらかしてくる。こういう人間って、はっきり言ってサイテーだと思いませんか? 若いうちならまだしも、ある程度の大人になれば、他人との比較や社会的な地位など、相対的な評価基準ではなく、自らが決する絶対的な評価基準、価値観を確立すべきだと思います。ただ、そうできている人というのは、かなり少ないというのが、私の実感です。もっと人間を磨け、と言いたくなってしまいます。(自らの反省も込めて!)

 

大体どこの企業でも、成果主義実力主義などと言っていますが、現実は違います。優秀な部下を抜擢すると、上司の無能さが目だってしまうというのが、世の常です。だから、仕事ができる優秀な人というのは、概して、煙たがられ、出世しないようになっているのです。現役サラリーマンの方で、出世したいと思っておられる方がいましたら、私からワンポイントアドバイス。あなたは上司に対し、次のようなスタンス取るべきです。「私は、バカではないので、そこそこ仕事はできます。しかし、あなたには遠く及びません」。

 

この序列闘争というのは、思いの外、多大な影響を人間社会に及ぼしている。家族集団も、その例外ではありません。社会生活を営んでおりますと、必ずと言って良い程、人間関係上の問題に直面します。そして、それらの多くが、この序列という問題に端を発しているような気がします。

 

<遺伝子のエゴ>

 

男も女も、自らの遺伝子を残すために、より有利な条件を求めてパートナーを探します。この点も、ライオンと全く変わりません。

 

一般に、パートナーとなる女性の数を増やせば、男は何人でも子供を作ることができる。反面、女性が生涯を通じて産める子供の数には限度がある。よって男というのは生来、浮気性で、反面、女性は子育てに協力してくれそうな男性を求める、などと言われています。本当にそうなのか、私には分かりません。ただ、生物学的に言いますと、一夫一婦制がいいのか、はなはだ疑問があるようです。これでは、精子精子の間における競争が生じない。だから、弱い精子も生き残り続ける。結果としてどういう問題が起こるかと言えば、妊娠しづらくなる。乱婚制を取っている動物で、こういう問題は、起こりません。いずれ、婚姻制度を見直すべき時代がやって来るかも知れません。

 

話が脱線してしまいました。本能と呼んでも構いませんが、エゴイズムのレベルにおいては、人間もライオンも何ら変わらない、というのが本稿の趣旨です。

No. 186 ライオンの生態から考えるエゴイズムの3類型(その3)

昨日の佐川氏の国会証人喚問ですが、重要な事項は、何一つ明かされませんでした。ある程度想定されてはいたものの、腑に落ちません。こういう理不尽なことが続いており、次第に私は人間の社会というものに嫌気が差して来ました。

 

さて、ボヤいていても仕方がありませんので、本論に入りましょう。

 

ライオンの生態について、駆け足で見て来ましたが、そこから抽出されるエゴイズムの3類型は、次の通りです。

 

1. 帰属集団のエゴ
2. 序列闘争に関する個体のエゴ
3. 遺伝子のエゴ

 

今回は、ライオンの生態に照らし、上記の各類型について検討してみます。

 

<帰属集団のエゴ>


ライオンにおける帰属集団とは、すなわちプライドと呼ばれる血縁集団を指すことになります。ボスライオンに率いられているプライドは縄張りを保有し、他の集団がこれを侵害しようとした場合には、激しい戦いが生ずることになります。このような場合、予め、互いに遠吠えをし、威嚇しあうようです。そうすることによって、無用の戦いを回避しているのでしょう。

 

また、百獣の王と呼ばれるライオンではありますが、天敵が存在するのも事実です。典型例としては、ハイエナとヒョウを挙げることができます。最近は、チーターもそのような関係にあるとする説もあるようです。ハイエナやヒョウは、ライオンのプライドの縄張り内に生息しており、獲物を奪い合う関係にあります。ライオンが苦労して獲物を倒した直後、ハイエナが集団でやって来て、それを奪うことがありますし、反対にライオンがハイエナから獲物を奪うケースもあります。そういう闘争を、多分、もう何万年も繰り返している。そこで、ライオンは、天敵であるハイエナの生息数を減らすため、ハイエナの子供を見つけると、これを噛み殺してしまうのです。食べるためではありません。ただ、殺すのです。同様のことをハイエナやヒョウも行います。つまり、互いの子供を殺し合っているのです。終わりなき怨恨の連鎖、ということだと思います。

 

更にプライドは、弱った個体を排除する。この点は、体が小さく後ろ脚を怪我した子供のライオンに対し、母ライオンが授乳を拒否した例から、推定されます。またボスライオンは、より若くて強いライオンに取って代わられる。更に私の推測が正しければ、メスライオンにおいても、世代交代のシステムが存在する可能性がある。

 

“帰属集団のエゴ”とは、個体の利益を犠牲にし、ひたすら帰属集団にとっての利益のみを追求するものだと言えるでしょう。

 

<序列闘争に関する個体のエゴ>


プライドは、一致団結して獲物を倒しますが、ひと度獲物を獲得すると、今度はその取り合いが始まります。正に「昨日の友は今日の敵」ということです。そして、獲物を食べる順番については、“序列”という暗黙のルールがある。ライオンの生態を見ておりますと、喧嘩が非常に多い。それはオスとメスの間、オス同士、メス同士、いずれの場合でも発生する。これらの喧嘩は、序列を決めるための闘争であるように思えます。私は、メス同士でマウンティングを行っている動画を見ました。これは、あるメスが他のメスの背中に乗り、「私の方が上よ」と主張している訳で、下になったメスがじっとして反抗しなければ、その序列を受け入れることを意味するようです。ボスライオンが2頭いれば、その2頭の間でも序列が決まっているのではないか。そして、兄弟姉妹の間でも、序列が決まっているのだろうと思います。

 

<遺伝子のエゴ>


ライオンは、種族の繁栄を希望しているのではありません。ひたすら、自分の遺伝子を残そうとしている。これが“遺伝子のエゴ”の正体です。新たにボスライオンに君臨した若いオスは、前任のボスライオンが残した子供を皆殺しにする。(但し、子供が既に1才を超えて、ある程度大きくなっていた場合は殺さないようです。)すると、子供を殺されたメスライオンは発情し、妊娠する。オスもメスも、ひたすら自分の遺伝子を残すために、必死なんです。リチャード・ドーキンスは、その著書「利己的な遺伝子」の中で、「生物は遺伝子を運搬するための乗り物に過ぎない」と述べているようですが、その通りなのかも知れません。

 

ところで、ライオンの生態が特殊なのかと言うと、意外とそうでもなさそうです。たまたま、ゴリラの動画を見たのですが、結構、似てるんです。ゴリラもボスゴリラを中心とした、一婦多妻制の集団を作って暮らしています。そして、若いオスのゴリラが戦いを挑み、老いたボスゴリラが敗北すると、勝利した若いゴリラは、そのグループの子供たちを皆殺しにする。ライオンとよく似ていますね。但し、ゴリラは縄張りを持ちません。この点は、ライオンと異なります。また、ライオンの平均的な寿命は、オスで10年、メスで15年程度だそうです。ゴリラの方は、30年~50年だそうです。ある程度の知性を獲得するためには、寿命の長い動物の方が有利なんだろうと思います。

 

いずれに致しましても、それでライオンは幸せなんだろうか、という疑問が沸いて来ます。オスライオンの人生(?)を考えますと、母親に守られている幼少期を除けば、落ち着く暇がありません。他のプライドと戦い、天敵と戦い、最後は若いライオンに敗北し、プライドを追放され、死んで行く。メスライオンにしても、序列争いが絶えない。折角子供を出産できても、ハイエナに殺されてしまう。場合によっては新たなボスライオンに殺されてしまう。ライオンよ、君たちは本当にそれでいいのか、と問いたくもなります。もちろん、私の声がライオンに届くことはありませんが・・・。

 

さて、ライオンの生態から、エゴイズムの3類型を抽出することができました。これらの3類型が人類にも当てはまるのか、次回はこの点を検討してみたいと思っています。私としては、「当てはまる」と思っているのです。

No. 185 ライオンの生態から考えるエゴイズムの3類型(その2)

森友学園の問題は一向に解明が進まず、どうも気持ちがスッキリしません。国会では政府が二言目には「地検による捜査が進行中なので、個別の事案については回答を差し控えたい」と言って回答を拒否しています。この期に及んで、未だに何かを隠そうとしているように見えます。しかし、国会も大阪地検も、真実を発見するためのプロセスに取り組んでいるはずです。そして、既に証拠の大半は押収されている。そうであれば、政府が国会で答弁をしたからと言って、地検の捜査に支障をきたすようなことはないと思うのですが、いかがでしょうか。

 

国会での真相究明が進まない一方、大阪地検がリークしたとしか思えないような情報が、ポロポロとマスコミによって報道されています。そうであれば、まずは法務省が、かかる事実を国会に報告すべきではないでしょうか。

 

では、私の血圧が上がる前に本論に入りますが、もう少しライオンの生態について、見ていきましょう。

 

ある母ライオンが、4頭の子供を出産します。うち1頭は、体が小さく臆病な性格です。そのため、この子ライオンは他の兄弟ライオンと打ち解けることもできず、家族の中で孤立します。更に、この子ライオンは後ろ足を怪我してしまうのです。やがて、プライドは餌を求めて移動しますが、この子ライオンは群れの動きについていけず、はぐれてしまう。空腹と脱水症状が、子ライオンを苦しめます。幸い、プライドを見つけることができ、子ライオンは、母ライオンの元に近づきます。他の兄弟のライオンたちは、母親の乳首を吸っています。怪我をした子ライオンが、母親の乳首に吸い付こうとした瞬間、母ライオンは立ち上がって、授乳を拒否するのです。解説によれば、発育も遅く怪我をしている子ライオンが生き延びる確率は低い。そうであれば、生存確率の高い他の子供たちに授乳した方が良い。ライオンの社会においては、このように我が子を見捨てるというケースは決して少なくない、とのことです。(このドキュメンタリーにおきまして、負傷した子ライオンは幸運にも回復し、生き延びることができます。)

 

この例では、母親が子供を見捨てるのです。

 

次の例では、あるプライドが年老いたボスライオンに率いられています。そして、若い2頭のオスライオンがそのプライドを乗っ取ろうとする。そうなった場合、そのプライドに属する子供たちは、皆殺しになってしまいます。状況を察した母ライオンは、子供たちを引き連れて、こっそりとプライドを離れます。そこから、1頭の母ライオンと子供たちの逃亡生活が始まるのです。子供たちは、まだ狩りに参加できません。よって母ライオンは、自分1人で狩りをしなければなりません。プライドに属していれば、他のメスライオンと連携して、戦略的な狩りを行うことができますが、自分1人ではそうもいきません。ある晩、母ライオンはシマウマを狙いますが、不幸にもシマウマの後ろ足の蹄が母ライオンの腹部を直撃してしまいます。傷は深く、出血しています。瀕死の重傷です。母ライオンは、たまらずその場に横たわってしまいます。

 

やがて、腹を空かせた子供たちは、母ライオンを探しに出かけ、横たわって息も絶え絶えになっている母ライオンを発見します。しばらく、子供たちは不安気に母ライオンを取り巻き、その体を舐めたりしますが、どうやら助かりそうもないと悟ったのか、母ライオンをその場に残し、歩き出してしまうのです。(このドキュメンタリーにおきましては、この母ライオンは幸運にも、生き延びることができます。)

 

この例では、子供たちが母親を見捨てています。

 

それが、サバンナで生き延びるための掟だと言ってしまえばそれだけですが、人間の感覚からすれば、あまりにも非情だと言わざるを得ません。

 

ところで、ライオンの生態には、ちょっと意味の分かりかねるものもあります。それは、プライドが特定のメスライオンを虐待するケースです。

 

ある事例では、メスライオンが他のメンバーから虐待を受け、プライドから追い出されてしまうのです。メスライオンの体には、虐待の激しさを物語るように、無数の引っ掻き傷があります。プライドのメンバーに見つかれば、再び、虐待を受ける。そのため、彼女はプライドから離れた所に身を潜めている。そして、容赦なく空腹が襲ってくる。なんとか近くを通りかかった獲物をしとめる。しかし、解説によれば、プライドを放逐されたメスライオンの生存確率は、かなり低いとのこと。また、プライドを追放されるに至った理由についてですが、番組の解説では「ボスライオンとの関係で、何らかのトラブルがあったのではないか」とのことでした。

 

しかし、日本のサファリパークのような場所での動画を見ますと、ボスライオンと他のメスライオンが一緒になって、一頭のメスライオンに攻撃を加えている。何故、このようなことが起こるのでしょうか。(私は生物学者ではありませんので、ここから先はあくまでも個人的な想像です。)

 

まず、彼女が“序列”というルールを守らなかったという可能性が考えられます。プライドにおける“序列”は、おおまかに言いますと、第1順位がボスライオンで、第2順位がメスライオン、そして最後に子供たちということになります。しかし、更に詳しく見ていきますと、メスライオン同士の間にも序列がある。これは、メスライオン同士の間で、マウンティングという行動が観察されていることから、明らかです。マウンティングとは、相手の背中に馬乗りになり、自分の方が序列が上だということを誇示する行為のことです。プライドにおけるメス同士の序列で関係してくるのは、まず、餌を食べる順序です。しかし、そうであれば、争いは序列を無視されたメス同士の間で起こるのではないか。別の言い方をしますと、序列を無視したメスライオンを攻撃するのは、序列を飛び超えられてしまったメスだけであって、ボスライオンがそのメスライオンを攻撃する理由にはならない。

 

次に、あるメスライオンが序列を無視して、ボスライオンを誘惑したという可能性も考えられます。しかし、この場合であっても、ボスライオンが、そのメスライオンを攻撃する理由にはなりません。ライオンに限らず、メスから誘惑を受けて悪い気のするオスなど、いないのではないでしょうか?

 

更に考えますと、あるメスライオンがボスライオンよりも先に餌を食べてしまった、という可能性も考えられる。そこで、ボスライオンが激怒する。そして、ボスライオンに気に入られたいと思っているメスライオンが、言わばボスライオンの気持ちを“忖度”し、ボスライオンと一緒になってルールを破ったメスライオンを攻撃する。この可能性は、前の2例よりも現実的であるような気もします。しかし、ライオンにそこまで複雑な心理が働くのか、疑問もあります。

 

そして、私が最後に行き着いた仮説は、こうです。すなわち、オスのライオンには、世代交代のルールがある。ボスライオンは、いずれ年老いて、若いオスの放浪ライオンとの戦いに敗れ、プライドを去る運命にあります。では、メスはどうでしょうか。メスにも、そういうルールがあるのではないか。つまり、あるメスが年老いて生殖能力を失い、狩りをする能力までも失ったとする。すると、プライドとしては、そのようなメスを置いておくメリットがなくなります。プライドが確保できる餌の量には、上限がある。一つには、そのプライドが所有している縄張りの広さ。もう一つには、狩りの能力です。3歳程度になったオスのライオンをボスライオンがプライドから放逐する、という話もありました。それと同じように、ボスライオンが、若しくはプライドのメンバー全員で、年老いたメスライオンを追放しようとするのではないか。

 

なんとも恐ろしい仮説ではありますが、昔の日本にも“姥捨て山”という風習があったことを思い出します。

No. 184 ライオンの生態から考えるエゴイズムの3類型(その1)

桜が開花したというのに、今日は小雪が舞っていました。安倍政権の支持率は30%程度まで下落し、佐川氏の証人喚問が決まりました。森友学園の問題は、何故、8億円もの値引きがなされたのかという実質的な問題と、公文書が改ざんされたという手続き上の問題の2つがある訳ですが、誰が、いつ、何のためにそのような意思決定を下したのか、この点が一向に解明されていません。言うまでもなく、真相の解明を望んでおりますが、とかく人間の社会というのは、疲れる。そこで、今回はライオンの生態について考えてみて、そこから人間にも共通するであろうと思われるエゴイズムの類型について検討してみたいと思います。学術論文ではありませんので、軽い気持ちでお読みいただければ、幸いです。

 

さて、YouTubeでライオンに関する番組を片っ端から見ておりますと、不思議な気持ちになってきます。そこにはライオンの世界に固有な、人間社会とは異なる“掟”がある訳ですが、似ているところもあるような気がするのです。ライオンの行動原理を“本能”と呼ぶこともできますが、もう少し具体的に考えるために、ここではエゴイズム(“エゴ”)と呼ぶことに致します。

 

1頭~3頭程度で、特段の縄張りを持たずに放浪しているオスの若いライオンもいますが、マジョリティのライオンは、プライドと呼ばれる集団を構成して、暮らしています。プライドは、1頭~2頭のオスのボスライオンによって統率されており、構成メンバーは数頭のメスライオンと子供たちということになります。メスライオンは、互いに血縁関係があるようです。ボスライオンの主な役割は、他のライオン集団から縄張りを守ることで、狩りにはめったに参加しません。他方、メスライオンは、プライドを維持するために必要な狩りを行うと共に、子育てを担っています。

 

ライオンとしても、リスクは負いたくない訳で、なるべくなら簡単に倒せるシマウマなどをターゲットにしますが、必要に応じて、大型のキリンなどに挑む場合もあります。このような場合は、ボスライオンも参加し、狩りを主導します。大人のライオンが総出で、キリンを取り囲むのです。何頭かが、前方に回って、キリンの注意を引きつけます。その隙を狙って、他のライオンがキリンの背後から飛び掛かります。キリンはこれに対抗して、後ろ足を蹴り上げます。これが命中すると、ライオンといえども死んでしまいます。ライオンも命がけなんです。しかし、YouTubeを見ておりますと、小柄なメスライオンも、果敢にチャレンジするんです。しかし、キリンに振り落とされてしまう。そこで、今度はボスライオンがキリンの背後にしがみつく。長くて強力な爪をキリンの肌に突き立てるんです。そして、噛み付く。キリンは次第に弱ってくる。巨大なキリンも、やがて崩れ落ちるのですが、その一瞬を狙って、別のライオンがキリンの喉仏に噛み付くのです。キリンは呼吸困難となり、失神してしまいます。キリンが弱ったと見るやいなや、ライオンの群れが一斉にキリンを食べ始める。殺してから食べそうなものですが、ライオンたちの目的は殺すことではなく、食べることにある。

 

ここまでは、プライドという集団と各ライオンの利害は、見事に一致しています。皆で力を合わせて、獲物をしとめる。

 

キリンやヌーのような大型の獲物をしとめた場合は、プライドのメンバーは一斉に食べ始めるようですが、獲物が小者だった場合には、食べる段階で問題が生じます。すなわち、食べることのできる優先順位が決まっているのです。第一順位は、もちろんボスライオンです。ボスライオンが食べている間は、メスライオンや子供ライオンは、黙って見ていなければなりません。そういうルールなんですね。しかし、メスライオンだって、空腹に耐え兼ねている。だから、ボスライオンの目を盗んで、食べ始めてしまうようなこともある。それが見つかると、ボスライオンから強烈なパンチを食らったりする。ボスライオンは、他のメンバーのことなど一切返り見ることなく、ひたすら自分が満腹になるまで、食べてしまう。人間の目からして特に理不尽だなと思うのは、メスライオンが単独で仕留めた獲物であっても、ボスライオンが優先権を持つことです。何か、ボスライオンはあたかも労働者から搾取する資本家のようではありませんか?

 

プライドに養われていたオスの若いライオンも、3歳位になると、それなりに立派な風貌になってきます。食べる量も増えて来る訳で、狩りを担当するメスライオンの負担が過大になってきます。そのため、ボスライオンは頃合いを見計らって、これらの若いオスライオンをプライドから追放するのです。そして、追放されたオスライオンが、放浪を始める。

 

メスライオンの乳首は4つなので、一回に生まれる赤ん坊の頭数というのも、あまり多くはありません。オスの赤ん坊にとって重要なのは、同じオスの兄弟がいるかどうか、ということです。3歳程度になってプライドから追放される際、兄弟がいれば同時に追放され、兄弟は、以後、行動を共にすることになります。狩りをするにしても、他のライオンと対峙するにしても、頭数が多い方が有利です。不幸にして、兄弟のいなかったオスライオンは、生存確率が圧倒的に低くなってしまう。

 

2~3頭で放浪生活を生き延びたオスライオンたちは、5歳程度になると、他のプライドの乗っ取りを試みます。プライドを手に入れるということは、彼らにとって、縄張りとメスライオンの双方を手に入れることを意味しています。そこで、若い放浪ライオンは、他のプライドに君臨しているボスライオンに戦いを挑む訳です。そこで、オス同士が人生(?)を掛けて戦うのです。相手のボスライオンが年老いている場合は、戦う前に尻尾を巻いて逃げてしまうようなケースもあるようですが、互いに引かない場合は、一方が死に至ることもあるようです。

 

この戦いで、若い放浪ライオンが勝利した場合は、壮絶なドラマが待っています。新たにボスライオンに君臨したオスは、そのプライドにいる全ての子供ライオンを噛み殺してしまうのです。大きな顎と、頑丈な歯を使って、子ライオンの頭蓋骨を噛み砕く。残酷、極まりありません。これは、他のオスライオンの遺伝子を残さないようにするという目的と、そのプライドに属するメスライオンたちを発情させることが目的だそうです。ちなみに、同様の現象はゴリラやチンパンジーでも観察されているようです。

 

子供を殺された母ライオンたちは、悲嘆に暮れますが、新入りのボスライオンに逆らう訳にもいきません。そこで、彼女たちは、新入りのボスライオンの値踏みを始める。この若いライオンは、本当に力が強いのか。そして、これからも長期に渡って、このプライドを支配し続けるのか。メスライオンたちは、新たなボスに合格点を与えた場合、自ら進んで、新たなボスライオンを誘惑し始める。自分の子供を殺したオスライオンに対し、積極的に交尾を仕掛ける。人間の世界であれば、とんでもない尻軽女ということになりますね。しかし、メスライオンとしても、自らの遺伝子を後世に残したいと願っている訳で、そうするためには他に選択肢がないのだと思います。これは、“遺伝子のエゴ”と言っても良いでしょう。