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文化で遊ぶ

(旧タイトル:文化の誕生)

No. 3 記号としての言葉

フェルディナン・ド・ソシュールというスイス人(1857年~1913年)が、かつて、記号論という考え方を提示しました。

記号の中で最も重要な役割を果たしているのは“言葉”ですが、それ以外にも図形や音などによって意味を伝える媒体があります。これらを総称して、ソシュールは“記号”と呼んだのです。(文献1)

例えば、駅のプラットフォームで、ベルが鳴る。すると私たちは、もうすぐ電車が発車するのだ、という情報を受け取ります。このベルの音が、記号なのです。最近、若い人がメールを打つ際に使っている絵文字なども、記号の一種だということになります。

私たちは多くの場合、記号を通して、現実を理解しています。例えば、日本語にはイヌという言葉と、オオカミという言葉が存在します。日本人はこれらの言葉によって、両者を区別している訳です。しかし、世界には、オオカミという名詞を持たない言語もあるそうです。そういう言語を使っている人々にとって、オオカミは存在しないことになります。オオカミを見た場合、彼らはイヌの一種だと認識するのではないでしょうか。「そんなことを言ったって、オオカミは存在するだろう!」とあなたは思うかも知れません。しかし、他の言語では区別されているのに、日本語では区別されていない場合だって、沢山あるはずです。つまり、外国人には見えていて、私たち日本人には見えていない“何か”が存在することになります。記号、特に“言葉”が私たちにとって重要であることは言うまでもありません。しかし、そんな重要な役割を果たしている言葉というものは、実は、不完全で、曖昧なものなのです。

では、私たちは全ての現実について、記号を通して認識しているのでしょうか。私は、そうではないと思います。交差点を思い浮かべてみましょう。あなたは、信号機を見ています。これは色によって情報を発信する記号です。路面には、白色で横断歩道が描かれています。これも記号です。信号が青になったのを確認したあなたは、本当にクルマが来ないか、左右を確認するでしょう。これは、現実を直接見ている訳です。このように私たちは、現実と記号の双方を認識して行動している、と言えるでしょう。人間って、大変ですね。同時に2つの世界を見ているのですから。だから、時折、人間の意識に混乱が生じるのではないでしょうか。

次に言葉の特質として、人間の集団によって作られてきた、ということが挙げられます。例えば、“ki”という発音があって、それを聞いた誰もが“木”を思い浮かべなければ、言葉は機能しません。だから言葉というものは、誰か一人の天才が発明したのではなく、長い時間を掛けて、人間の集団が少しずつ作り上げてきたのだと思われます。言い換えると、“言葉”は“社会的な産物”である、ということになります。

(参考文献)
文献1: ソシュールのすべて/町田健/研究社/2004