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文化で遊ぶ

(旧タイトル:文化の誕生)

No. 4 変容し続ける言葉

時間の流れの中で、言葉が変わっていくことは良く知られています。理由の一つには、より簡略で発音しやすい表現が採用される、ということがあります。例えば、「インターネット」が「ネット」に変わるなど。

言葉が変化し続ける理由について、私は、次のサイクルを想定しています。

― 個人は、自分が共感している他人や集団との関係性を強化したいと思っている。
― 共感を生む新しい言葉が発明され、小集団の中で使われるようになる。(いわゆる隠語)
― 新しい言葉が広く共感を得た場合、その言葉は大集団の中で使われるようになる。
― 大集団の中で使われるようになると、その言葉の共感を生む力が失われる。
― そしてまた、新しい言葉が生まれ、言葉は永遠に変化し続ける。

上記の仮説が正しければ、原則として、言葉の変化を担っているのは、個人だということになります。また、言葉は人々の共感に支えられているとも言えます。だから、言葉の変化というのは、誰にも止められない。こうしている今も、どこかで、誰かが、共感を求めて新しい言葉を発明しているのです。

さて、地理的な広がりの中で言葉を見てみましょう。まず、ヨーロッパですが、欧州連合(European Union)が認めている公用語だけで、24種類あるそうです。また、世界の中で最も多くの言葉が使用されているのは、パプアニューギニアだと言われています。オーストラリアのちょっと北に位地する国です。同国の人口は600万人ですが、使用されている言語は800に及ぶそうです。130の言語の話者は200人以下で、290の言語の話者は、千人以下だそうです。(Wikipedia

言葉の種類が増える理由についても、考えてみましょう。これは、人間の集団が分裂するからではないでしょうか。Aという母集団があって、これがXとYに分かれる。交通や通信の手段が発達していない場合、XとYで使用される言語が独自の進化を遂げて、2つの言語が生まれる。

ところで、最近、思うのです。

“人類とは、敵と味方に分かれて、集団で戦うのが好きな動物である。”

野球にしてもサッカーにしても、敵と味方に分かれて戦っています。年末の歌合戦は紅白に分かれ、国会では与党と野党が戦っている。

人類が永い間、敵と味方に分かれて戦ってきたのであれば、一体、誰を敵とし、誰を味方とするのか。その識別をする仕組みの原点が、言葉というシステムの中に隠されているような気がしてならないのです。