文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

No. 5 言葉からアニミズムへ

前にも述べましたが、私たちの祖先が言葉を獲得したのは、7万年以上前のことです。では、その頃、言葉はどのような変化を人間にもたらしたのでしょうか。

一般に、言葉によって私たちの祖先は、“昨日”と“明日”を認識するようになったと言われています。すなわち、時間の概念ができたということです。但し、この“昨日”と“明日”の間には、大変な違いがあると思うのです。“昨日”、すなわち過去を認識できるようになったということは、人間に記憶力が備わったということです。一方、“明日”を認識できるようになったということは、人間が想像力を獲得したということではないでしょうか。記憶力と想像力! やはり、言葉って凄いですね。

最初は、「腹が減った」とか、「痛い」などの感覚に直結した言葉が生まれ、次に、動物だとか木の実など、食物に関する名前が生まれた。すると、外界がどんどんクリアに見えてくる。やがて文法が生まれ、言葉は飛躍的な進歩を遂げた。概ね、こんな流れではないでしょうか。

しかし、いいことばかりではありません。私たちの祖先は、親族や仲間たちの遺体と向き合わなければならなかったのです。当初遺体は、人々が生活している場所のあちこちに放置されていたのです。そこら中に、遺体がころがっていた。そしてある時、人間は“死”を認識する。更に、やがては自分が死ぬ運命にあることも・・・。そうです、私たちの祖先は、言葉によって、“自分”という不思議な存在に出会ったのです。

記憶力も想像力も持った私たちの祖先は、現在の私たちと同じように、睡眠中には夢も見たでしょう。そして、夢の中に死んでしまった親族や仲間たちが現れる。夢の中で、彼等と話したりする訳です。これは、何かおかしい。体は死んでしまっているのだが、もしかすると彼等はまだ、どこかで生きているのではないか。そして、人間には霊魂があると彼らが思ったとしても不思議ではありません。

やがて、人の霊魂を慰めるために、また、霊魂が生きている自分たちに災厄をもたらさないように、埋葬が行われるようになりました。では、この埋葬は、いつ頃から行われたのでしょうか。文献によれば、イスラエルのカフゼー洞窟というところで、30の遺体が埋葬されているのが発見されています。9万5千年前のものだと言われています。しかし、これはネアンデルタール人のものです。では、我々ホモ・サピエンスではどうかと言うと、未だ判明していないようです。ただし、私は上記のシナリオを考えており、埋葬の前に言葉があったはずだと思っています。

アニミズムの定義については、若干論議があるようですが、「生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂、もしくは霊が宿っているという考え方。」というWikipediaの表現がシンプルで分かりやすいと思いました。

さて、このブログの説明のところで、私は「最初に、文化が誕生するまでのプロセスについて、概念的なモデルを提示します。」と述べました。でも、ちょっとこの表現だと分かりにくいですね。私は、文化というのは、AからBへ移行するのではなく、あたかも積み木を重ねていくように、いくつかの事項が積み重ねられ、現在に至っているのではないかと思っているのです。つまり、(A + B)とすれば分かりやすいでしょうか。よって、今後は“文化の積み木”と称して、時折、このブログの進捗状況をお示しすることに致します。

(文化の積み木)
言葉 + アニミズム