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文化で遊ぶ

(旧タイトル:文化の誕生)

「文化の積み木」こぼれ話

はじめに、このブログを読んで頂いております皆さまに、衷心より感謝申し上げます。正に“誕生”したばかりのブログですが、今後とも宜しくお願い致します。

さて、現在、このブログの主眼は“文化の積み木”を完成させることにあります。しかし、時にはその本筋を離れて、補足的なお話をさせていただいた方がいいのではないかと思うのです。本筋に関する原稿にはタイトルの冒頭に通し番号を振っておりますが、今後、余談に関しては通し番号なしで掲載することに致します。

例えば、読者の皆様のこんな声なき声が聞こえて来たのです。

「ところでさあ、このブログで扱っている話題って、一体、何なの?」

そうですよね。まだ、この点をご説明していなかったですね。宇宙の話は物理学だし、ソシュール言語学、チンパンジーやゴリラの話は生物学です。よって、いくつかの学問分野にまたがる問題を扱っているとも言えますが、一番近いのは文化人類学です。しかし、仮に私のブログが文化人類学であると主張した場合、次の批判を受けることになります。

文化人類学は、フィールドワークと言って、未開社会など、現地に直接赴いて調査、研究することを基本方針としています。そして、文化人類学は私のように机上で考えている人のことを「安楽椅子の哲学者」(アームチェア・フィロソファ)と呼んで軽蔑するのです。

次に、文化人類学は個別具体的に調査、研究して、証明できることだけを記述する。よって、文化人類学の立場からすれば、私のブログなど学問ですらない、ということになります。

上記の批判について、私は甘んじて受ける覚悟でおります。一方、私の立場からも、文化人類学に対する不満があります。一つには、言葉の定義が曖昧である、もしくは定義が不適切であること。更に、文化人類学は結局、現代の私たちにとって大切なことを言っていない、文化の構造について明らかにしていない、と思うのです。これには、文化人類学の歴史的な背景もあるようです。

過去数百年に及びヨーロッパ諸国では、ヨーロッパ至上主義、植民地主義、白人至上主義がはびこっていました。彼らは、自分たち白人が最も優れており、有色人種は人間ですらないと考え、殺戮、虐待を繰り返していました。しかし、1955年にレヴィ=ストロース(1908~2009)というユダヤ人が“悲しき熱帯”という本をひっさげて登場したのです。彼は同書の中で、「どんな未開の社会だろうと、ヨーロッパ社会に劣らない豊かな精神世界をそなえている」ことを証明してみせたのでした。当時のヨーロッパ人はこれに感銘を受け、考え方を改めたそうです。レヴィ=ストロースって、凄いですね。

それ以来、文化人類学も「文化に優劣なんてない、どんな文化もみんな等しく尊いんだ」という立場を取ります。そして、文化Aが進化すると文化Bになるという“文化進化論”的な発想は、ご法度となったのです。

ある意味、このブログの「文化の積み木」は、文化人類学のタブーへの挑戦であると言えるかも知れません。正直に言って、私はレヴィ=ストロースを尊敬しています。しかし、いつまでも様々な文化を並列に見ているだけでは、文化や人間の本質を理解することはできないと思うのです。

一方、文化人類学の外側で、最近、面白い動きが出て来ています。科学が進展して色々なことが分かってきた現在だからこそ、もう一度、文化や人間の本質について考えてみよう、という人々が現れてきたのです。そして、彼等は版で押したようにその著書の中で、ゴーギャンのある絵画に付けられたタイトルに言及しています。

「私たちはどこから来たのか、私たちは何者か、私たちはどこへ行くのか」

確かに、これが人間にとっての本質的な問いなのではないでしょうか。


お知らせ: 本ブログでは、“アニミズム”に関する検討を終了し、次は、神話、民話、童話などの“物語”をテーマに取り組む予定です。準備期間が必要ですので、次回のブログ更新は、7月20日頃を予定しています。