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文化で遊ぶ

(旧タイトル:文化の誕生)

No. 9 「桃太郎」を読む

最初にあら筋を振り返ってみましょう。

昔々、おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に出かけます。おばあさんが洗濯をしていると、川上から大きな桃が流れて来ます。おばあさんはこれを家に持ち帰り、おじいさんと一緒に食べようとしますが、桃が割れ、中から桃太郎が出てきます。桃太郎は、すくすくと育ちます。ある日、鬼が村人たちに悪さをしていることを知った桃太郎は、鬼が島へ鬼退治に出かけることを決心します。おじいさんは桃太郎のために「日本一」と書かれた幟(のぼり)を作り、おばあさんは日本一のキビ団子を作って、桃太郎に渡します。鬼が島へ向かう途中、桃太郎はイヌ、サル、キジと出会い、それぞれキビ団子を渡して、鬼ヶ島へ同行してもらうことにします。鬼ヶ島では、イヌは鬼の足に噛みつき、サルは鬼の背中を引っ掻き、キジは鬼の目を突きます。鬼を退治した一行は、鬼から財宝をもらって帰宅します。桃太郎は財宝を村人や動物たちと分け合って、おじいさん、おばあさんと末永く幸せに暮らしました。

日本各地に伝わるこの物語には、様々なバージョンが存在します。例えば、桃太郎の性格ですが、実はなまけ者だったとするものもあります。仮にそうであったとしても、この物語は成り立ちます。逆に言えば、この物語が成立するために必要最小限の要素を見ていくと、本質が見えてくるように思うのです。

私が最初に注目したのは、3匹の動物たちです。いくら力持ちだと言っても、桃太郎はまだ子供です。動物たちの協力なくして、鬼ヶ島まで往復することは困難です。それに桃太郎一人で沢山の鬼を退治することはできません。仮に、桃太郎が一人で鬼を退治したという筋書きにすると、物語は一挙にリアリティーを失います。だから、3匹の動物たちの存在は、この物語にとって、必要不可欠な要素であると思うのです。そして、桃太郎と動物たちの関係ですが、ほぼ対等なのではないでしょうか。動物たちは、桃太郎の家来だったと説明されていますが、桃太郎は日本一のキビ団子を動物たちにプレゼントしています。そして、鬼ヶ島から帰ってくると、鬼からもらった財宝を動物たちにも分け与えているのです。ここら辺の感覚が、「人間様が一番偉いんだ」と思っている現代人とは違うのではないでしょうか。物語の中で、動物たちは尊重され、優しい眼差しで見つめられている。

仮に3匹の動物たちが、同じ種類だったらどうでしょうか。例えば、3匹ともサルだったとしたら、ということです。これでは、3匹の区別がつきません。物語の登場人物(動物ですが、“登場人物”という表現でご容赦ください)には、個性が必要なんです。個性がなければ、人間は個人を認識できない。物語の中では、この個性というものが動物の属性によって、説明されている訳です。例えば、桃太郎という登場人物に個性を付与するためには、桃から生まれたとか、力持ちだとか、幟を持っているとか、様々な描写が必要になります。一方、イヌだ、サルだ、と言えば、何の説明もなく個性が付与される。

そうしてみると、私たちの祖先にとって動物たちは、あたかも記号のような存在だったのではないか、と思えてきます。現在も私たちは、記号を通して現実を認識しています。そして、昔の人々は、記号としての動物を通して、世界を認識していたのではないか、と思えてならないのです。

話を戻します。次に、必要不可欠な要素として挙げられるのは、鬼ヶ島という場所と、そこに住んでいる鬼だと思います。まず、鬼ヶ島という場所ですが、これは現実の世界とはかけ離れている。言わば、「想像上の世界」ですよね。では、人々は、どのようにして、「想像上の世界」を想定してきたのでしょう。これも、実は、動物の世界がベースにあるのではないかと思うのです。空を飛ぶ渡り鳥の一群を見て、ああ、鳥たちにも世界があるんだなあ、と思う。そこから、「想像上の世界」という発想が生まれて、様々な物語の中で語られるようになったのではないでしょうか。

最後になりますが、“鬼”とは一体、何でしょうか。インターネットで調べてみると、実は、そのモデルも動物なんです。牛の角と体を持ち、虎の牙と爪をまとっているのが、すなわち“鬼”だそうです。