文化で遊ぶ

(旧タイトル:文化の誕生)

No. 15 救済手段としての呪術

未開人には、ある共通した心理状態が見られるようです。

まず、マレー人の例ですが、“ラター状態”と呼ばれるものがあるそうです。「この状態は感情が高ぶったり、あるいはただ何かに驚いただけでも、それに続いて発生するのであるが、この状態に陥るとその人物はどんな暗示をも受け入れる。ラター状態にある人物は、風に揺れる小枝の振動に注意が引き付けられると、その小枝の動きを受動的に模倣する」そうです。これは「現在意識(自分がここにこうして世界に対峙して存在しているという意識)の補償なき自己放棄がそこに生じているのが確認される」と言われています。(文献1)

同じくマレー人で、“アモク状態”と呼ばれるものがあります。こちらは「不意に感情が刺激されたり、激しい驚きにおそわれたり、死などに直面して深い不安に見舞われると、その者は嵐のように激しい動作と衝動の激発のとりことなる。かれは、休みなく跳びはね、武器を取り、狂ったように走り出し、出会った人々に見境なしになぐりかかっては殺してしまう」とのことです。(文献1)

イワム族でも同様の現象が確認されています。但し、殺人にまで至るものとそうでないものとの区別はされておらず、総称して“アムック”と呼ばれています。その発生頻度は、決して低くなく、ある人類学者は、6か月の滞在期間中に3回のアムックに遭遇したそうです。

現代日本に生きる我々同様、未開の人々も強烈なストレスを抱えているのが分かります。そして、このように“何かの拍子に壊れてしまう心”と“呪術”の間に、何らかの関係があるのではないかと思うのです。

病気を治す“白呪術”の具体的な方法については、残念ながら手元の文献に見つけることができませんでした。ただ、私の記憶によれば、米国のアリゾナ州などに居住するナバホ・インディアンの例があります。彼等は、仲間が病気になると、夜間に砂絵を描く。砂絵というのは、様々な色彩の砂を上から落とすことによって描く絵画のことです。そして、この呪術の効力を確保するために、夜が明ける前には砂絵を掻き消してしまう。砂絵の図柄は長い間秘密にされていたようですが、最近は観光客などに公開されているようです。

さて、このように考えますと“呪術”の本当の目的は、壊れやすい人々の心を救済することにあったのではないかと思えてきます。黒呪術の方も、近親者や仲間の死に直面したときに、やり場のない憤りや悲しみを“呪術”が救済しているのではないか。たとえ犯人が自分たちよりも強いグループに所属していたとしても、それどころか犯人が分からない場合であっても、“呪術”によって復讐することができる。そう信ずることによって、人々は癒されてきたのだと思います。

また、病気を治す白呪術は、失われた魂を取り戻す、言い換えれば、失われた現在意識を取り戻すということであって、そのために病人が本来生きるべき世界、病人が何とか現実世界と折り合っていける結節点を見出すことをその目的としてきたのではないでしょうか。だから、ナバホ・インディアンが描くのは、彼らの始祖であったり、彼らのアイデンティティーを支える物語の登場人物だったりするのではないかと思うのです(これは私の想像です)。正にそういう世界こそが、病人が折り合っていける現実世界との結節点なのではないかと思うのです。ちょっと、図にしてみましょう。

病人 - 砂絵/結節点 - 現実世界

このような構造は、画家のゴッホの例にも当てはめることができると思うのです。ご案内の通り、ゴッホゴーギャンとの共同生活が破綻すると自らの耳を切り落としてしまう。そして、カラスの飛び交う不吉な麦畑の絵を描いて、正にその麦畑の中でピストル自殺を図る。全てにおいて過剰であったゴッホの精神は、錯乱していたのです。

ゴッホ - 絵画/結節点 - 現実世界

更に、心理療法の方策で“箱庭療法”というのがあります。箱で囲った中に砂が敷かれている。そこに患者が自由にミニチュアなどを置いて、患者自身の世界を作り上げていくというものです。ユング派の心理療法士によって、現在も用いられています。

患者 - 箱庭/結節点 - 現実世界

呪術によって人を呪い殺すことなどできません。それは、迷信だと思います。しかし、壊れかかった人々の心を救済するという点において、メカニズムとしての“呪術”は、今日でも有効なのだと思うのです。

(参考文献)
文献1: 呪術的世界/E・デ・マルティーノ/平凡社/1988