文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

No. 21 必然的に生まれた宗教

“文化の積み木”、最後のブロックが“宗教”だと言うと、少し違和感をお持ちになった方もおられることと思います。宗教の後には“国家”ができて、国家間の戦争が始まります。そして、科学が生まれる。但し、科学というのは、あくまでも現実を直視する訳で、人間の想像力によって構成される文化とは、決定的に異なると思うのです。

さて、今までの原稿を概観してみると、文化というのは本当に世界共通なんだということを痛感します。どの民族にも必ず言葉があって、アニミズムがあって、物語がある。あえて違いを指摘すれば、文字を持たない民族は、宗教も持たないということでしょうか。もちろん、だからと言って、無文字社会が我々の社会より劣っているという意味ではありません。もう1点指摘すると「ヨーロッパとアジアの大文明地域には、トーテミズムにつながるようなものは、痕跡の状態においてさえも、きれいさっぱり存在しない」(文献1)ということです。トーテミズムとは、民族内の特定のグループを特定の動植物などに関連づけるというシステムで、イワム族のオオトカゲ・グループを例にご説明した件です。日本にこういう文化はなく、皆さん、少し理解しづらかったかも知れませんね。これらの差異はあるものの、大筋では、どの民族の文化もその構造はほとんど変わらない。

日本の文化も例外ではありません。時折、「やおろずの神は、日本に固有である」という話を聞きますが、その本質は精霊であって、世界共通のものだと思います。また、日本にはトランスを目指す初期型の祭祀は存在しないのではないか、と思われるかも知れません。確かに、そういうものは見たことがありませんね。しかし、「日本のシャーマンも、古代においては躍動的な舞踏・旋舞をこころみ巫楽もまた喧噪をきわめたのではないかと予想させる証拠がのこっている」とする説があります。(文献2)

約7万年~6万年前にアフリカを出発した私たちの祖先は、世界中に拡散して行きました。ベーリング海峡を渡って、アメリカ大陸まで行った。船を使って、オーストラリア大陸にも行きました。そして、互いに連絡を取ることもなく、それぞれの文化を築いてきた訳です。言葉も違う。肌の色も違う。でも、文化の底にある構造は、ほとんど同じなのです。不思議と言えば不思議ですが、これは必然だったとも思えます。

例えば、遠くの山を眺める。ああ、あそこにも誰かがいるはずだ。きっと、精霊が住んでいるに違いないと思う。それがアニミズムの原点だろう。このブログを書き始める前、私はそう考えていました。しかし、最初にアニミズムが発生したアフリカ大陸の状況というのは、今ならYou Tubeで簡単に見られる。そこには、弱肉強食の壮絶な世界があります。そして私は、上記の考えを訂正せざるを得なかった訳です。

日本の物語を辿っていくと、間引きなど、現代の私たちには想像もできないような貧困が見えてきました。シャーマニズムのところで紹介いたしました、既婚女性がゴミソになる経緯などもショッキングでした。

こうしてみると人間の文化というのは、人間が好き好んで恣意的に構築してきたのではなく、必然的に生まれてきたのだろうと思うのです。人間は、言葉を獲得した時点で、その後、宗教に至る文化というものを築いていく運命にあったのではないでしょうか。そうであれば、私たちの祖先が懸命に築いてきた文化、特に宗教について、現代に生きる私たちが、論評する立場にはないのかも知れません。しかし、私たちは先輩方から受け取ったバトンを次の世代につないでいく必要があるのも事実です。従って、過去は問わないけれども、未来のために、今一度、宗教について検証してみたいと思うのです。

(参考文献)
文献1: 野生の思考/レヴィ=ストロースみすず書房/1976
文献2: シャーマニズムの世界/桜井徳太郎 編/春秋社/1978