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文化で遊ぶ

(旧タイトル:文化の誕生)

No. 24 ジョン・レノン

宗教の人間観というのは、どうしてネガティブなのでしょうか。キリスト教には、原罪という考え方があって、人は生まれながらにして罪を背負っているというのです。何故でしょう。それは、アダムとイブがリンゴを食べて、自分たちが裸であることに気づいてしまったからだそうです。しかし、何故、それが罪なのでしょう。仏教では、人間は前世の業(カルマ)を背負って生まれてくることになっています。輪廻転生です。しかし、生まれたての赤ん坊を想像してみましょう。無垢な彼らに、一体どんな罪や業があるというのでしょうか。

宗教の本質について語っているエドワード・O・ウィルソンの言葉を引用しましょう。「宗教的信仰は、人類の生物学的歴史のなかで避けられなかった見えざる罠と解釈するほうがいい。そしてこれが正しければ、服従や隷属をしなくても精神的な充足を得る方法がきっとあるはずだ。人類には、もっとよい待遇がふさわしい」。「ではなぜ、組織化された宗教の神話や神々に公然と疑問を抱くことが賢明なのか?(中略)それらは無知を助長し、現実世界の問題に気づかないように人々の注意をそらせ、しばしば人間を誤った方向へ導いて破滅的な行動をもたらすからという理由もある」。(文献1)

“人類には、もっとよい待遇がふさわしい”。なかなかの名文ですね! では、私なりに考え方をまとめてみます。

宗教は必然的に生まれたのであって、過去の人々を責めることはできない。また、宗教は苦難に遭遇した人々に希望を与え、救ってきた実績がある。特に、人間にとっては極めて困難な“死者との別れ”に関する儀式、すなわち葬儀に秩序を付与するという重大な役割を果たしてきた。反面、宗教は論理と対話を拒絶し、時として、人間を平和的な紛争解決から遠ざけてきた。また、宗教は人々の内面を拘束し、結果として、“敵と味方を識別し、集団で闘うシステム”として機能してきた側面がある。確かに、多神教一神教に比べれば平和的である。しかし日本の仏教が、オウム真理教を生んだことも忘れてはならない。宇宙の真理を解き明かすのは物理学、人の病を治すのは医学であって、現代人が守るべきものは宗教上の戒律ではなく、法律である。宗教は、あたかも出口のない迷路のようなものだ。科学の進展した今日、私たちは宗教に代わる新たな文化体系の構築を目指すべきである。

いかがでしょうか。

余談ではありますが、宗教を論理的な立場から批判しているリチャード・ドーキンスも、上記のエドワード・O・ウィルソンも進化生物学の学者だという共通点があります。哲学者でも文学者でもない理系の彼らが、宗教を分析している。宗教の次に来る8つめの積み木は、科学と無関係ではありえないのかも知れませんね。

ところで、進化生物学者たちよりずっと前に、宗教についての批判的な意見を公表した重大な人物がいたことを忘れる訳にはいきません。そう、ジョン・レノンです。

ジョン・レノンが初めて無神論を唱えたのは、ビートルズの解散後に発表した“Plastic Ono Band”というタイトルのアルバムです。発売当時(1970年)の邦題は“ジョンの魂”というものでした。ちなみに、Plastic Ono Bandというのは、ジョンとヨーコ以外のメンバーはプラスチックのように変化するバンド、という意味だったと記憶しています。このアルバムの中に“GOD”という曲があって、ジョンは明確に“神とは概念に過ぎない”と言い放ち、曲の後半では“聖書もジーザスも信じない”と歌っています。今から、46年も前のことですから、当時は相当ショッキングなものでした。しかし、残念ながらこのアルバムの売れ行きは芳しくなかったようです。後日ジョンは、「あのアルバムは、思っていることをストレートに表現し過ぎた」と言っています。

そして翌年(1971年)、ジョンの気持ちを普遍化したアルバムが発売されます。それが“Imagine”なのです。

「想像してごらん、国家なんてものがない世界を。難しいことじゃないさ。想像してごらん。誰かを殺す必要も、何かのために死ぬ必要も、そして宗教さえもない世界を」。

ジョンは、そう歌っているのです。

(参考文献)
文献1: 人類はどこから来て、どこへ行くのか/エドワード・O・ウィルソン/化学同人/2013