文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

No. 25 文化は科学に敗北したのか

約2か月にわたって連載してきました“文化の積み木”シリーズは、前回の記事をもちまして、完了とさせていただきます。今どき、写真もないブログにお付き合い頂き、本当に有難うございました。

仮に文化をコップとその中の水に例えますと、“文化の積み木”はコップに該当するような気がします。パソコンに例えますと、“文化の積み木”はOperation Systemのようなもので、その上に乗ったApplicationについては、未だほとんど何も述べていないような気がするのです。例えば、“物語”はその後の小説を生み出した訳で、“呪術”は絵画の起源となっている。更に、祭祀は、音楽、ファッション、舞踏、演劇などを開花させたのだと思うのです。一言で言えば、“芸術”を育んできたベースが、“文化の積み木”なのではないかと思います。では、一覧にしてみましょう。

1.言葉
2.アニミズム
3.物語・・・・・・・文学
4.呪術・・・・・・・絵画
5.祭祀・・・・・・・音楽、ファッション、舞踏、演劇
6.シャーマニズム
7.宗教

文化にはその他にも食文化、建築、伝統工芸など、重要なものがありますが、基本的な構造は、上記の通りだと思います。

少し、個人的な話をさせてください。

私が小学生だった頃、朝日新聞の地方欄に“小さな目”という子供の書いた詩を掲載する欄がありました。そこへ投稿したら、運よく私の詩が掲載されたのです。これに気を良くした私は、その後、短歌を詠んで、小学生時代新聞社主催の賞を取りました。たわいもないものでしたが、それで腕時計をもらったのです。嬉しかったですね。中学に入ると、ロックに目覚めると共に、ゴッホに共感し、美術部へ入りました。高校では、三島由紀夫の影響で剣道部に入りましたが1年で挫折し、ロックバンドを作りました。また、小説を書いて、ガリ版刷りの同人誌を発行し、再び美術部へ入部したのです。大学は法学部へ進みましたが、相変わらずロックバンドでギターを弾くと共に、文学サークルにも加入しました。簡単に言うと、支離滅裂な青春時代を過ごした訳です。何も分からないまま、ただ、情熱だけが空回りしていた。

その後も、サラリーマン生活を続ける傍ら、自分が情熱を傾けていた対象は、一体何だったのだろうと考え続けていたのです。そしてある日、“文化”だったのだと気づいた訳です。絵画も、文学も、ロックも、みんな“文化”なんです。

言わば、闇雲に走り回っていたあの頃の自分に、地図とコンパスを渡したい。そんな願いが、このブログの背景にありました。

長年の問いに対する回答が、“文化の積み木”な訳で、これが完成したのですから相当喜んでも良さそうなものですが、実は、あまり嬉しくない。何故かと言うと、あれだけ私が情熱を傾けてきた“文化”そのものが、実は、今、やせ細っているのではないか、という懸念にぶつかってしまったからなのです。

時代は、文化ではなく、テクノロジーに向かっているのでしょうか。

文化は、科学に敗北したのでしょうか。

ここで、写真を一枚紹介させていただきます。このブログで、何度か引用させていただきました「性と呪術の民族誌」という文献の裏表紙に掲載されている写真です。パプアニューギニアのメイ川に一艘のカヌーが浮かんでいます。川面には、陽光がキラキラと反射しています。カヌーには、イワム族の少女たち4人が乗っています。彼女たちは、一生懸命カヌーを漕いでいます。何やら急いでいるようです。どこへ行くのでしょうか。もし、尋ねることができたなら、きっと彼女たちは、現代のどんな小説よりも魅力的な、物語の序章を語ってくれるに違いありません。

きっと彼女たちが必要としているのは科学ではなく、文化なのだと、私は思うのです。

補足: このブログでは、今後、音楽(ロック、ジャズ)、絵画、小説、その他文化論などについて、記事を掲載していく予定です。ご興味がありましたら、是非、お付き合いください。

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