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文化で遊ぶ

(旧タイトル:文化の誕生)

No. 31 ジョン・レノンが見た夢(その6)

ホワイト・アルバムについて、一つ注意を喚起しておきたいのは、アルバムを締め括る最後の“グッド・ナイト”という曲のことです。皆様は、この曲の作者がジョンだということをご存じだったでしょうか。美しいストリングスとメロディーからして、私は長年ポールの曲だと誤解していました。実際には、ジョンが息子のジュリアン(前妻シンシアとの間に生まれた子供)に捧げて作ったそうです。正に子守歌なんですね。超前衛的な“レボリューション 9”の直後が保守的な子守歌で、しかもそのどちらもジョンが作曲したという事実には驚かされます。

ホワイト・アルバムの発売からわずか1週間後、すなわち1968年11月29日にジョンとヨーコのアルバム“「未完成」作品第1番~トゥ・ヴァージンズ”が発売されます。しかし、このアルバムのジャケットには、二人の全裸写真が使われていました。困った配給会社はジョンとヨーコの頭部以外は茶色の紙で覆って販売したそうですが、各地で猥褻物として押収され、その後販売禁止となったようです。この頃になるとジョンとヨーコ、とりわけヨーコに対する世間の批判は強まっていたようです。

その後もジョンとヨーコの奇妙な行動は続きます。何故、彼らはそうなっていったのか。この点を論評する記事はなかなか見当たりません。しかし私は、ジョン・レノンという人間を理解する上で、重要なポイントがここに隠されていると思うのです。きっと、ジョンは自分の精神を拘束している様々な制約から、自らを解放する作業に取り組んでいたのだと思うのです。例えば、世間体だとか、羞恥心だとか、固定観念など、ジョンが取り払おうとしたのは、それら全ての社会が個人に押し付けてくる目には見えない制約だった。それらを全て捨て去り、ジョンは自分の心の核心と向き合おうとしていた。別の言い方をすると、それらの制約から自らを解き放った後で、最後に残る本当に大切なものは何か、それを追い求めていたのだと思うのです。そして、ジョンのこの姿勢に、嘘はなかった。

前述のホワイト・アルバムにおいてもそうです。普通、ビートルズのレコードを作る訳ですから、その時点で、大体こんな曲で、こんな手順で作ろうという固定観念があるはずです。それが普通です。しかし、ジョンは違った。その結果が、“レボリューション 9”であり、同時に、子守歌である“グッド・ナイト”だったのだろうと思うのです。芸術として成功しているかどうかというのは、別次元の話ではありますが、ここが分からないと、その後のジョンの行動の意味が見えてこないと思うのです。

そして、ジョンのこのような姿勢と、ヨーコの前衛芸術に向かう姿勢は、完全に一致していた。例えばヨーコは、初期の頃、ステージに座った自分の衣服を、観客一人ひとりにハサミで切らせるというパフォーマンスをしています。彼女もまた、社会が個人を縛っている見えない鎖を断ち切ろうとしていた。

もう一つ、二人の共通点を挙げるとすれば、それは彼らが徹頭徹尾、社会の側ではなく、個人の側に立っていたということです。

話を戻しましょう。

1968年12月11日、ジョンとヨーコは、ローリング・ストーンズのテレビ映画、“ロックンロール・サーカス”に参加しています。これは私の想像ですが、映像作品に多数取り組んでいるビートルズへの対抗心から、ストーンズとしても何かやろうということだったのではないでしょうか。この作品は、収録されてから長い間、お蔵入りになっていました。その理由は、“ジェスロ・タル”など、ゲストとして参加したグループの演奏に比べ、ストーンズの調子が悪かったからだと言われています。ジョンは、以下のメンバーを携えて、ホワイト・アルバムに収録されているナンバーから“ヤー・ブルース”を熱唱しています。

エリック・クラプトン/ギター/クリームから参加
キース・リチャーズ/ベース/ストーンズから参加
ミッチ・ミッチェル/ドラム/エクスペリエンスから参加

この演奏の模様は、You Tubeで見ることができますが、バージョンは2つ以上あるようです。ヨーコは演奏中、黒い布を被るというパフォーマンスをしています。

本来のギターではなくベースを担当しているキースも好演しています。目の周りが黒いのは化粧をしているからでしょうか、それともドラッグの影響でしょうか。そして、細い弦のギタリスト、クラプトンがソロを取ります。これは、カッコイイとしか言いようがありません。当時、これ以上はないという位のスーパー・グループですが、ジョンの自信が感じられます。「ビートルズでなくたって、俺は最高のロック・バンドを作れるんだぜ!」。ジョンのそんな声が聞こえてきそうです。