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文化で遊ぶ

(旧タイトル:文化の誕生)

No. 34 ジョン・レノンが見た夢(その9)

“ゲット・バック・セッション”を終えたビートルズですが、この時の映像と録音は、なかなか日の目を見ません。彼らが作ったアップルというレコード会社の経営が混迷していたことと、映像の編集作業に手間取ったことが原因だと思われます。そして、ポールはビートルズ最後のアルバムとしては、“ゲット・バック・セッション”(レコードタイトルは、“レット・イット・ビー”)の出来に満足していなかった。そこでポールは1969年5月、「もう1枚レコードを作りたい」と発言しています。そして、疲れ果てていた彼らは最後の力を振り絞って、“アビー・ロード”の制作に着手します。

“アビー・ロード”の制作期間は、1969年7月初旬から同年8月20日だと言われています。その期間は、わずか1か月半ということになります。私は、ビートルズのアルバムとしては、この“アビー・ロード”が最高だと思っていますが、そんな厳しい状況の中で、しかも短期間で作られたということには、驚く他ありません。このアルバム、特に組曲のようになっているレコードのB面(“ヒア・カムズ・ザ・サン”以降)の素晴らしさは、既に語り尽くされているかも知れません。ただ私としては、このアルバムでポールの弾くベースについて、述べておきたいのです。ジョージの曲“サムシング”でもポールのベースは光っていますが、それはジョンの曲“アイ・ウォント・ユー”でも躍動しています。この曲の歌詞は、ほとんど“I want you”と“She is so heavy”しかない。ほとんど、意味がないというか、意味の分からない曲なのです。言わばジョンの前衛的な試みがなされた曲だと思います。特に曲の後半では、単調なコード進行とリズムが続きます。しかし、その陰でポールのベース・ラインが弾けるのです。ポールとしては、スタジオにヨーコを連れてくるジョンに嫌気が差していた。ましてやレコードのジャケットに全裸の写真を使うなど、ビートルズのイメージダウンにつながるようなことばかりやっているジョンには、うんざりしていたに違いありません。しかし、そんなジョンのことを、ポールは心の底では許していたのだろうという気がしてなりません。この曲のベースを聞くと、そう思えてきます。私を含めジョンを贔屓にしている人は、とかくポールのことを悪く言う傾向があります。しかし最近になって私は、ポールって本当はいい奴だったんだ、と思うようになりました。

ビートルズとしての音楽活動は、上記の“アビー・ロード”の制作をもって、終了します。

アメリカでは、1969年8月15日から18日まで、ウッド・ストック・フェスティバルが開催されています。ビートルズも出演の依頼を受けたそうですが、彼らはこれを断ったと言われています。ビートルズは“アビー・ロード”の録音を終えた直後だったんですね。

1969年9月13日、ジョンとヨーコは、カナダのトロントで開催されたロック・フェスティバルに“プラスティック・オノ・バンド”として出演しています。レコードにもなっていますが、A面ではジョンがロック・ナンバーを披露しています。リード・ギターはエリック・クラプトンで、これは最高にカッコいい。ヨーコは、ステージ上で黒の布を被るというパフォーマンスをしています。そこまではいいのですが、B面になるとヨーコの前衛的な歌が延々と続く。ご本人には申し訳ないのですが、神経に触るような甲高い声で、ちょっとまいります。このステージの模様はYou Tubeで見ることができますが、ヨーコのボーカル部分はカットされているようです。なお、このステージでジョンは“コールド・ターキー”という曲を演奏しています。直訳すると“冷たい七面鳥”となりますが、これは麻薬の禁断症状を現す隠語だそうです。禁断症状が現れると鳥肌が立つそうで、そこから、この隠語が生まれたようです。この頃、ジョンは実際に麻薬の禁断症状で苦しんでいたのでしょう。

1969年9月20日、ジョンが他のメンバー3人に対し、ビートルズを脱退すると伝えたそうです。その直後、アルバム“アビー・ロード”が発売されます。

1969年9月26日 “アビー・ロード”発売 (11枚目/“イエロー・サブマリン”は除く)

ジョンとヨーコの1969年は、例の看板と共に幕を閉じます。

WAR IS OVER! IF YOU WANT IT
Happy Christmas from John & Yoko

上記の看板は、12月16日以降、世界の11都市に掲げられたそうです。