文化で遊ぶ

(旧タイトル:文化の誕生)

No. 35 ジョン・レノンが見た夢(その10)

1970年4月23日、ジョンとヨーコは原初療法を受けるために、ロサンジェルスに渡ります。“ベッド・イン”を敢行するなど、自由に生きていたジョンですが、それはそれで精神的にはかなりきつい面もあったんですね。無理もないかも知れません。自由を体現すればするほど、自由に生きていないマジョリティの人々との摩擦が高まる。後年ジョンは、「やがて袋小路に突き当たり、ドラッグもやり尽くしてしまった。さあどうする? ただ朽ち果てるのを待つだけなんてイヤだと思っているうちに、僕はついに精神的に参ってしまった。だからヨーコと2人で4か月間、原初療法を受けて来た」と述べています。原初療法というのは、いわゆる心理療法の一種のようです。「泣くんだよ。やってごらん。それでいいんだ。2時間ほどで涙が枯れて、4時間もすれば体は赤ん坊のようにくたびれる。泣く。それで全て済む」とジョンは述べています。

そして、ジョンとヨーコが心理療法を受けている最中に、ビートルズ最後のアルバムが発売されます。

1970年5月8日 “レット・イット・ビー” (12枚目)

このアルバムには、どうしても痛々しいイメージがつきまとってしまいますね。

1970年11月30日、ジョージは3枚組のアルバム“オール・シングス・マスト・パス”を発売します。「諸行無常」ということでしょうか。ジョージはそれ程、インドの宗教に傾倒していた。ちなみにジョージは、セクハラ疑惑のあったマハリシはもう止めにして、この頃にはクリシュナ教に傾倒していたと言われています。確かに“マイ・スウィート・ロード”という曲のコーラス部分では、“クリシュナ”という言葉が繰り返されています。宗教については既に述べましたので、ここでは先に進みましょう。

1970年12月11日、アルバム“ジョンの魂”が発売されます。心理療法を受けた後で録音されたこともあって、ジョンの心情がストレートに表現されています。例えば、“ウェル・ウェル・ウェル”という曲で、ジョンは喉が張り裂けんばかりに叫んでいるのです。しかし、こうしてジョンの足跡を辿ってみると、ジョンがこのアルバムで何を表現しようとしていたのか、分かるような気がしてきます。ジョンはビートルズに失望し、宗教に裏切られ、そして自ら信ずる道をヨーコと共に突き進んでいた。目標は、ラヴ&ピースだった。そして自らヌード写真を公開し、“ベッド・イン”を敢行したが、世間は彼らに冷たかった。誰も分かってくれようとはしなかった。このアルバムに収められている“イソレーション(孤独)”という曲に、こんな歌詞があります。ちょっと、意訳してみます。“ただの少年と小さな女の子(Just a boy and a little girl)が、世界を変えようとしている。世界はただの小さな街なのに。皆が僕らをやり込めようとする”。こう訳してみると、この少年と少女とは、ジョンとヨーコのことなんですね。一見、大胆なように見えるジョンも、実は深く傷ついていた。なんともやり切れない孤独感と絶望感が溢れるこのアルバムは、ジョン・レノン30歳の作品です。

1971年7月、ジョンはアルバム“イマジン”を録音し、同アルバムは同年10月8日に発売されます。そしてアルバムのタイトルとなった“イマジン”というわずか3分2秒の曲が、ジョン・レノンの代表作として後世に語り継がれることになったのです。曲の美しさもさることながら、やはり「国境も宗教もなく、人々が世界を分かち合っているところを想像してごらん」という詩が、人々に感動を与え続けているのではないでしょうか。

こうして、港町リバプールで船員の息子として生まれたジョン・レノンは、音楽的にも思想的にも成熟し、不朽の名作“イマジン”を歌うに至った訳です。しかし、ジョンの物語はまだ続きます。1972年になると、ジョンとヨーコの間に亀裂が生じます。あるパーティーで、ジョンが別の女性とイチャつき出した。相手の女性はこともあろうにヨーコに対して「あなたは分かっていないけど、彼は最高に素敵な人なのよ」と言ったそうです。そして、彼らは別室に行ってmake loveを始めてしまった。音が漏れ聞こえてくるパーティー会場で、ヨーコはうなだれて座っていたそうです。ジョン、いくらなんでもそれはないだろう、と言いたくなってしまいます。

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