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文化で遊ぶ

(旧タイトル:文化の誕生)

No. 43 芸術を生み出す心のメカニズム(その1)

前回まで、クジラの話などを織り交ぜながら、ユングのタイプ論を中心に述べてまいりました。私としては少し軽い気持ちで原稿を書いていたのですが、ちょっと待てよ、この話には重大な問題を解くカギが隠されているのではないか、と思い始めたのです。もちろん、ユングが提唱した4つの心の機能という概念は、人間の性格付けのみならず、例えば捕鯨を推進する側の心理が“思考”に依存しており、反捕鯨の側が“感情”に依存するなど、人間社会を読み解くカギであるとは考えていたのですが、実は、それ以上に重大な問題を孕んでいるのではないか、と思い始めたのです。結論から言えば、これらのキーワードを使えば、神話とか、小説や絵画などの芸術、それに宗教などが生み出される仕組みを解明できるのではないか、ということなのです。まずは、図をご覧ください。

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ここから先は私見であり、ユング派の考え方とは異なる部分がありますので、予めご了承ください。

感覚: 人間がオギャーと言って生まれて来た瞬間、彼ら赤ん坊の心というのは、白紙の状態ではないかと思います。やがて、赤ん坊は心地良さを感じた時に、笑い始める。これは“感覚”という心の機能を獲得した証拠ではないでしょうか。“感覚”は、本能や五感と密接に結びついている。心地良さから始まって、美味しさ、楽しさ、気持ち良さなどの感覚が発達していく訳です。これらの言葉によって表される状態というのは人間が安全な状態にあることを意味しており、人間が生き延びるためにこれらを追求することには合理性があります。このように考えますと、“感覚”というのは最も基本的な機能であることが分かります。また、大人より子供の方が、感覚に依存する傾向が強いのではないでしょうか。

思考: 人間が最初にロジックで物事を考えたのは、狩りをするための道具をどう作るか、という課題に直面した時ではないでしょうか。ヤリや弓矢を作るには、ロジックが必要だった。どういう素材を使うか、それらをどう加工して、どういう手順で組み立てるか。また、獲物を倒すための戦法などについても、思いを巡らせたはずです。農耕や牧畜が始まると、更に複雑な論理的思考が求められた。どうすれば良いのか、何故、そうなるのか。ロジックを使わなければ解決できない課題に取り組み続けた結果、いつか人間には“思考”という心の機能が芽生えたものと思われます。科学が生まれた後、その傾向が強まったことは言うまでもありません。

感情: かつて私は、“感情”は本能に近いと思っていたのですが、そうでもなさそうです。前にも述べたように、本能に近いのは“感覚”であって、“感情”という心の働きは、後天的に育まれるのではないかと思います。もちろん、それは恋愛、結婚、子育てへと続く種族保存行為と共に発達する。また、“感情”を持つためには、他人の立場なり、心理を推測する能力が必要なのではないかと思います。その能力を高めるためには、多くの物語に接する必要がある。童話、小説、映画などに接することによって、様々なシチュエーションを理解し、それぞれの場面で他人がどう感じているのか、それを推測する能力を身に着ける。近年、イジメが問題になっていますが、子供たちがこの“感情”という心の機能を十分に発達させていないことが、原因の一つになっているように思います。大人も同じでしょうけれども。

直観: 前の原稿で引用しました「ユングの性格分析」には、この“直観”という漢字のみが使われています。しかし私は、“直感”と“直観”は分けて考えるべきだと思うのです。“直感”というのは、正に感覚的なヒラメキのことで、これは“感覚”と同じだと思います。条件反射というのは本能だと思いますが、“直感”はこれに近い。ある外的な要因があって、それに自動的に反応する。アイディアが浮かぶ。それが“直感”だと言いたいのです。一方、“直観”の方は、例えば、熟慮を重ねた上で、夢の中にその解決策を見出すような、そんな現象だと言いたいのです。皆様も、そんな経験はおありではないでしょうか。仕事で行き詰まる。答えが見つからない。夜、床に入ってもなかなか寝付けない。ウトウトとしていると、夢を見る。そして、その夢の中に考えるヒントがあって、はっと目覚める。夢というのは、無意識の産物です。従って、この“直観”という機能の相当な部分は、無意識が支えていることになります。良く新興宗教の教祖が、「夢の中で神様のお告げを聞いた」などと言いますが、それもこの“直観”のなせる業だと思います。思い通りにならない現実、叶わない夢、そんな課題で心が引き裂けそうになった時、人の心はその全体を使って、なんとか修復しようと試みる。それが、“直観”だと思います。未開人の心に関して、「融即律」というのがあるというお話をしましたが、その理由もここにある。あちらを立てれば、こちらが立たない。大概、現実というのはそういうものなんですね。そのどちらも立てようとすれば、それはロジックを超えて、非合理の領域に踏み込むしかない。それが“直観”だと思うのです。