文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

No. 47 芸術を生み出す心のメカニズム(その5)

何故か、この芸術メカニズムのチャート図を使うと、様々な文化形態の位置を特定できるような気がします。例えば、ピコ太郎のPPAPは、感覚だけ。テレビのサスペンスドラマは感覚+思考、男はつらいよ(フーテンの寅さん)は感覚+感情といった具合に。

我らがジョン・レノンの人生についても、説明が可能です。まずジョンは、ロックンロールとモータウンサウンドに惹かれた。これは感覚。そして、初期のビートルズでそれらをベースにしたポップスを作った。これも感覚。やがて、ヨーコと出会い、豊かな感情の世界を獲得する。そして、ビートルズに対する疑問、ポールとの相克などを経て、ベトナム戦争という現実に向き合う。これが思考。そして、ジョンは心に課題を持つ。人々は何故、平和に暮らせないのか。ジョンは、この心の課題を打破するため、直観に基づきベッドインを敢行し、ドングリを世界の指導者たちに送った。しかし、メディアをはじめ、ほとんど誰からも理解されない。そしてジョンは、再び、心の課題と向き合う。それは、世界から孤立しているという絶望にも似た孤独感だった。ジョンは再び、直観を働かせ“イマジン”という傑作を制作する。これが、ジョン・レノンが人生をかけて紡いだ物語の本質ではないかと思います。このように考えますと、このブログで連載した“ジョン・レノンが見た夢”というシリーズですが、このタイトルは“ジョン・レノンがイマジンを歌うまで”とした方が良かったですね。後悔先に立たず!

最近は、「悩む」という言葉は嫌われているように感じます。しかし、解決しがたい心の課題を抱えなければ、言い換えれば、悩まなければ、芸術は生まれない。芸術メカニズムに基づき、心の課題を抱え、それを打破するために無意識とも向き合い作品を生み出す。そうやって生み出された作品こそが、本物の芸術だと思います。

しかし、最近では、ちょっと曖昧な作品も少なくありません。例えば、村上春樹の作品は芸術と言うか、純文学でしょうか。ノーベル文学賞の時期になると、毎年のようにこの話題が出てきます。一つ言えるのは、村上春樹の場合、芸術メカニズムに照らして考えれば“心の課題”が見えにくい。この人、心の中に一体どのような課題を抱えているのだろう? そんな疑問を感じるのは私だけではないと思います。最近では、村上春樹ノーベル文学賞を取れないのは、彼が政治的な発言をしないからだ、などという説もあるようです。まあ、必ずしも政治的な発言をしなくても良いとは思いますが、この説が指摘したいことは、多分、同じでしょう。“心の課題”が見えて来ない。例えば、以前、ノーベル文学賞を受賞した大江健三郎の場合は、外国人の目からしても、作家の抱える“心の課題”が見えやすかった。唯一の原爆被爆国である日本の作家が核兵器に反対し、また、個人的にも障害のあるお子さんを抱えていた。読者というのは、作品を通じて、その先にある作者の抱えている“心の課題”を読み解こうとする。

さて、このブログでは“文化の積み木”シリーズで、言葉から始まり宗教に至るプロセスについて述べてきました。これは、人間を集団として見た場合の文化の誕生プロセスでした。そして今回の芸術メカニズムは、人間を個人として見た場合に芸術が生み出される仕組みについて述べたものです。この2つをセットにして、一応、私としてはこのブログタイトルである“文化の誕生”について、ご説明申し上げることができたように感じております。何か、宿題をやり終えたような、ほっとする気持ちがあります。一方、まだ気持ちは晴れないのです。もう一つ、取り組むべき、重大な課題が残っている。それは、芸術メカニズムのチャート図にもチラッと出てきましたが、“無意識”ということなのです。この問題を解明しない限り、芸術作品が何故、それを見た人、読んだ人の心に響くのか、その理由を説明することができない。

無意識の構造について、ユングもしくはユング派の人々は、次のように説明しています。

1. 表層意識
2. 個人的無意識
3. 集合的無意識
4. 類心的レベル

問題は、3番の集合的無意識です。普遍的無意識と訳される場合もあります。果たして、そんなものがあるのでしょうか。私たちの心は、つながっているのでしょうか。私は心理学の専門家ではありませんので、この問題に深く立ち入ることはできません。しかし、芸術という文化の構造を考える上で、参考にしたいとは思っています。

このブログの今後の予定ですが、簡単にユング集合的無意識について述べた後、新シリーズとして、“孤高の前衛、ジャクソン・ポロック”を連載したいと思っております。ご興味のある方は、引き続き宜しくお願い致します。