文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

No. 50 ユングと集合的無意識(その2)

集合的無意識とは何か、これを理解するには、ユングの考えていた意識と無意識の構造を1つずつ見ていくのが良いと思います。

第1に、意識というものがあります。これは、我々が眠っていない時に現実を知覚する心の機能のことであろうかと思います。但し、こういう簡単な言葉を説明するのは、結構、難しいんですね。ユングは意識について、次のように述べています。「意識は膨大な未知の無意識領域の表層ないしは皮膚のようなものです」。「意識とはまさに知覚の産物であり、外的な世界に由来しています」。(文献1)従って、意識とは、我々の心が外界と接するその表面に位置するものであることが分かります。その意味で、“表層意識”と言った方が分かりやすいと思うのですが、一般的な例にならって、このブログでも単に意識と呼ぶことにしましょう。

第2が、個人的無意識です。文献2では次のように説明されています。「これは第一に、意識内容が強度を失って忘れられたか、あるいは意識がそれを回避した(抑圧した)内容、および、第二に意識に達するほどの強さを持っていないが、何らかの方法で心のうちに残された感覚的な痕跡の内容から成り立っている」。またユングは、個人的無意識はほとんど、コンプレックスから成り立っている、とも言っています。(文献3)

第3が、集合的無意識です。これは、個人的無意識よりも更に深い所に位置づけられています。ちょっと、ユングがその存在を想定するようになった経緯をご説明します。当時、フロイトは主に神経症患者の治療にあたっていたのに対して、ユングは主に分裂病の患者を治療していたそうです。そして、分裂病患者の述べる妄想や幻覚は、その人の幼児期における経験に関連するコンプレックス(フロイトの理論)では説明できないことに気付いた。むしろ、分裂病患者の述べる妄想や幻覚は、神話との間に類似性がある。そこでユングは、人類に共通する普遍的な無意識が存在することを確信するに至った訳です。(文献4)では、ユング自身の言葉を引いてみましょう。「集合的無意識とは心全体の中で、個人的体験に由来するのでなくしたがって個人的に獲得されたものではないという否定の形で、個人的無意識から区別されうる部分のことである。個人的無意識が、一度は意識されながら、忘れられたり抑圧されたために意識から消え去った内容から成り立っているのに対して、集合的無意識の内容は一度も意識されたことがなく、それゆえ決して個人的に獲得されたものではなく、もっぱら遺伝によって存在している」。そして、ユング集合的無意識の内容として“太古から存在している普遍的なイメージ”を「元型」と呼んだのです。(文献3)

多くの文献で、ユングが唱えた意識と無意識の構造は、前述の通り3層であると説明されています。但し、共時性に関する文献には、以下の通り更に深い層のあることが指摘されています。念のため、ご紹介しておきましょう。

第4が、類心的領域です。「部分的心理水準の低下によって、意識が下降するとき、それが極めて低いところに達するときは、心の領域を超える領域と接することになる。それは、もはや「心」と呼べず、「身体」とも呼べない領域であり、ユングはそれを類心的領域と呼ぶのである」。(文献5)また、この文献の著者であるプロゴフは次のように述べています。「無意識の類心的レベルは動物の世界に非常に近いので、まだそれから分化していない点を表わす。それはまた、その作用の仕方において自然界と直接に関係している」。最後の“自然界と直接に関係している”という部分は、“量子もつれ”とかテレパシーの原理について言及しているようにも見えますね。しかし、この部分の検証は、専門の科学者にお任せすることに致しましょう。

ちょっと、復習してみます。

1. 意識(表層意識)
2. 個人的無意識・・・コンプレックス
3. 集合的無意識・・・太古から存在している普遍的なイメージ、元型
4. 類心的領域

 

(参考文献)
文献1: 分析心理学/ユングみすず書房
文献2: ユング心理学入門/河合隼雄培風館
文献3: 元型論/ユング紀伊國屋書店
文献4: 無意識の構造/河合隼雄中公新書
文献5: ユング共時性/イラ・プロゴフ/創元社