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文化で遊ぶ

(旧タイトル:文化の誕生)

No. 55 孤高の前衛 ージャクソン・ポロックー(その4)

1950年当時のジャクソンの精神状態はどうだったでしょうか。多分、猛烈なプレッシャーと凍えるような孤独感にさいなまされていた。私には、そう思えます。

かつては、遠くの方ではあっても、ピカソの背中が見えていた。しかし、ポアリングという技法を完成させたジャクソンの前には、誰の背中も見えていなかった。ジャクソンがピカソを超えたかどうかという問題は別にして、ジャクソンが進み始めた道の先には、誰もいない。何しろ、あのような絵を描いた人は、人類史上、ジャクソンが最初だった訳です。参考にすべき前例も、頼りにすべき理論も、ジャクソンには何もなくなってしまったのです。

また、世間のジャクソンに対する期待も高まる一方だったと思います。新しいものを生み出し続ける。それが、前衛芸術家の宿命です。周囲はジャクソンに、より新しい刺激的な作品を期待した。それは、ジャクソン本人も重々承知していたことでしょう。しかし、ポアリングという技法が完成の域に達し、例えば“One”のような作品を描いた後、一体、ジャクソンに何ができたでしょうか。

その後、ジャクソンは“ブラック・ペインティング”と呼ばれる時代に突入します。そして、主に東洋の書道のような、墨絵のような、黒を基調とした作品を発表します。また、ポアリングに加え、絵の具をチューブからキャンバスに直接押し付けるような技法も用い始めます。しかし、結論から言ってしまえば、世間の評価はさんざんだった。そこには、全盛期の絵画に見られたスピード感も、エネルギーも感じられません。評論家は、前衛芸術家であるはずのジャクソンが後退したと言って非難しました。

何故、そんなことになってしまったのでしょうか。ジャクソンの妻、クラスナーは次のように述べています。「1950年の個展の後、あなたならどうしますか。同じことをやりながらそれ以上進むことは彼にはできなかったのです」。

アルコール中毒と闘いながら、進んだり戻ったりしながら、それでもジャクソンは自らの無意識と向かい合い続けたのです。と言うよりも、むしろ、命を削りながら、自らの無意識と対決し続けたのだろうと思います。そして、1952年、ジャクソンは傑作“ブルー・ポールズ”を発表します。

 

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ジャクソンが生涯を通じて描いた作品の中で、最高傑作は何かと尋ねた場合、この“ブルー・ポールズ”を挙げる人も少なくないでしょう。そうかも知れませんね。ブルーとは言うものの、ここに描かれている8本の柱は、実質、黒で描かれています。すなわち、この絵によって、ポアリングとブラック・ペインティングが融合されているとも言えるように思います。

ちなみにこの絵は、私にはこう見えます。

エネルギーだけが充満している宇宙というカオスがある。まだ、そこには形というものが存在していない。そこに、邪悪な何かが生まれようとしている。それが、8本の柱上の物体である。それらは、人類に他ならない。

また、ゴッホが最後に描いた麦畑の絵には、不吉なカラスが描かれていました。この8本の柱とカラスの間に、共通する何かを感じてしまいます。

結局、ジャクソンのアルコール中毒が癒えることはありませんでした。

1956年8月11日夜、おそらくは泥酔していたであろうジャクソンは、無謀にもクルマを運転し、木立に激突しました。即死だったそうです。享年44歳。