文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

No. 57 心のメカニズム(その1)

さあ、クリスマスだ。君はどうしてる?
So this is Xmas and what have you done?

我らがジョン・レノンの“Happy Xmas (War is Over)”は、このようにさり気ない歌詞から始まります。私は、クリスマスとは関係のない人生を送っていますが、例えば街の雑踏やレストランなどで不意にこの曲が流れてくると、ああ、今年もこの曲が流れているんだなと思って、嬉しくなります。

“イマジン”が発売されたのが1971年10月8日で、“Happy Xmas (War is Over)”はその直後の1971年10月28日、29日に録音されています。今から実に45年も前のことなんですね。この曲を聞いていると、ジョンが次のように語りかけて来るような気がします。

“君、本当は、文化は科学に敗北したと思っているんじゃないのかい? 例えば、ジャクソン・ポロックが死んだ1956年に君は生まれた。しかし、それから60年の間、絵画の世界でさしたる成果はなかった。そう、思っているんだろう? しかし、人類の歴史を考えれば、60年なんてあっという間さ。心配することはない。科学というのは、どんなに発達しても、傷ついた人の心を癒したり、感動させたりすることはできないんだ。それができるのは、文化なんだよ。そして、優れた文化は必ず継承されていく。ほら、今年だって、俺の歌が世界の街角で流れているじゃないか!”

では、気を取り直して本題に入りましょう。

これから記そうと思っていることは、このブログNo.44に掲載しました“芸術を生み出す心のメカニズム(チャート図)”をバージョンアップさせた内容です。「おいおい、その問題をまだやるのか!」とお思いの方がおられることは、重々承知しております。しかし、これは本当に大切な問題だと思うのです。文化というのは、人間の心が生み出すものです。従って、心の地図を書くことができれば、文化の地図も見えてくるに違いありません。また、人生において、喜びやトラブルの原因となりがちな人間関係についても、その理解が進むはずなんです。

バージョンアップの経緯を少し。ユングのタイプ論は、心が持っている感覚、感情、思考、直観の4つの機能を平面に置いて、検討するものでした。しかし、その後の分析心理学において、ユングは心の深さについて述べています。すなわち、意識、個人的無意識、集合的無意識などのことです。こちらは、立体的になっているんですね。しかし、この平面と立体の2つの概念は、融合させるべきではないかという疑問がありました。

次に、思考というのはロジックのことだと述べてまいりましたが、ロジックとは何か。それは言葉のことではないかと思うのです。言葉はすなわち、記号です。記号によって、世界を認識しようとする。これが、思考の本質ではないか。一方、感情というのは、他者に共感を求める心の働きと、個人的なコンプレックスによって構成されている。そして、この感情こそが、個人的無意識の本質ではないかと思うのです。そう考えると、私の人生経験において、理解不能であったいくつかの事象の説明がつく。ある時、突然、感情、すなわち個人的無意識がむっくりと首を持ち上げる。その時、人は、通常では考えられないような行動を取る。しかし、それは無意識のなせる業なので、何故そんなことをしたのか、本人にも説明ができない。極端な例で言えば、あのゴッホは、ゴーギャンとの相克に傷つき、自分の耳を切り落として売春婦の元へ届けたそうですが、何故、そんなことをしたのか。多分、本人も説明できなかったのだろうと思います。そこまで極端ではないにしても、個人的無意識に突き動かされる人々というのは、決して少なくない。そして、直観を働かせると集合的無意識に至る。概ね、そんな内容となります。では、バージョン3のチャート図をご覧ください。

 

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申し遅れました。私と致しましては、ジャクソン・ポロックを検討した経緯から、集合的無意識、もしくはそのようなものが存在すると結論づけました。従って、私はレヴィ=ストロースは支持せず、ユングの側に立たせていただく所存です。