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文化で遊ぶ

(旧タイトル:文化の誕生)

No. 58 心のメカニズム(その2)

まず、前回掲載致しましたチャート図の概要をご説明致します。

一つの前提として、人間の心というものは、経験などの外的要因に伴って、少しずつ発達していくのではないか、ということがあります。赤ん坊の状態を考えると、まず、感覚から出発する訳です。次に赤ん坊が何をするかと言うと、少しずつではありますが、言葉を覚える。この言葉によって状況を認識し、“思考”するという機能が、すなわち、意識ではないかと思うのです。更に、経験を積むに従って、他者とのつながりを求めると共に、心の中にわだかまりのようなものが生まれて来る。この、何か引っ掛かるもの、それがコンプレックスだと思います。コンプレックスとは、必ずしも劣等感だけを指す言葉ではありません。これら、すなわち共感を求める作用とコンプレックスによって、“感情”という機能が構成される訳ですが、これがすなわち、個人的無意識であろうと思うのです。誰しも、“思考”と“感情”という機能は有していますが、常に“思考”が優先して機能する人(チャート図の左側のルート)と、特定の場合において“感情”が“思考”を凌駕する人(チャート図の右側のルート)がいます。そして、解決することの困難な心の課題に直面する、別の言い方をすると心に圧力や衝撃が加えられると、人間の心的レベルは更に下降し、若しくは全体的に機能し、“直観”という作用に至る。このレベルが、集合的無意識だと思うのです。こう考えてみますと、ユングのタイプ論と分析心理学の双方を矛盾なく合体させることができると思うのです。

“感覚”と“直観”については、既にこのブログのNo. 43からNo. 48で述べましたので、今回は、“思考”と“感情”についてのみ考えてみます。

ところで、覚醒している間、すなわち眠っていない間、皆様の意識はどうなっているでしょうか。私の場合は、音楽が鳴っているか、そうでない時には言葉で何かを考えています。何故か、そうせざるを得ないんです。よく、座禅を組む時には心を無にしろと言いますが、ちょっと私にはできそうもありません。で、何を考えているかと言うと、大体、このブログに書いているようなことを考えている訳です。改めてそう考えてみますと、ちょっと異常な気もします。

このブログのNo. 3でもちょっと紹介致しましたが、記号論というのがある。人間は記号を通じて世界を認識し、思考しているという考え方です。そうだと思いますが、横断歩道を渡る時のことを例に、私は、人間は記号と現実の双方を見ている、と述べました。すなわち、路面に白色で描かれた横断歩道は記号ですし、信号機の色も記号です。しかし、記号だけでは心配なので、横断する前には実際に車が来ないか、左右を確認しますよね。これは、現実を直接見ていることになります。しかし、私のように四六時中、言葉で、しかもある程度抽象的なことばかりを考えているようなタイプの人間は、実はあまり現実を見ていないのかも知れない。そんなことを思っていると、最近、ショッキングな事例が2つありました。

数か月に1回、若い人との飲み会があります。私はいつも生ビールから始めて、日本酒に移行します。大体、それで終わるのですが、前回は飲み放題のお店だったのです。いい加減飲んだところでお店の人がやって来て、ラストオーダーの時間だと告げました。それじゃあ最後に何かもう一杯飲もうということになって、焼酎系のメニューを覗いていた時のことです。その時、隣に座っていた女性がこう言ったのです。「ウーロン杯ですか?」。その瞬間、私の意識は個人的無意識まで低下し、記憶を辿ったのですが、そう言えば数か月前にも同じような状況があって、その時、私は確かにウーロン杯を飲んだ。彼女は、そのことを覚えていたとしか、考えられない。これって、凄くないですか?

もう一つ。現役のサラリーマンだった頃、よく通ったクリーニングのお店がありますが、引退後はその必要もなくなり、かれこれ1年程、遠ざかっていました。しかし、オープンシャツが溜まってしまったので、先日、そのクリーニング店に行ったのです。お店の人は、多分、パートタイムで、曜日や時間帯によって代わります。お店に入るなり私は、1年もたってるので顔見知りの人はいなくなったんだなと思ったのですが、受付の女性が「ああ、山川さんですね」と言うのです。私の方は顔も覚えていなかったのに、その女性は私の名前まで憶えていた。これも、凄くないですか?

こんな話をして、私と同じように「それは凄いな」と思われる方は、もしかすると私と同じタイプなのかも知れません。一方、「そんなことは、往々にしてあり得る」と思う方は、多分、きちんと現実に向き合われているのではないか。

実は、ここに“思考”という機能の正体があるのではないでしょうか。言葉やその他の記号の世界に生きてる人は、現実をあまりよく見ていない。他人に対する感心が薄い。ロジックなどと言うと少し、偉そうに聞こえるかも知れませんが、ロジックとは、言葉そのもののことではないでしょうか。自分の知識や経験の中から一定の事柄を引っ張り出し、つなぎ合わせて、言葉で考える。これが、“思考”だと思うのです。ただ、“思考”と言うと偉そうに聞こえるかも知れませんので、このブログでは、このタイプの人を“観念タイプ”と呼ぶことに致しましょう。