文化で遊ぶ

(旧タイトル:文化の誕生)

No. 63 横光利一の短編小説/時間

人間社会の息苦しさの正体は、実は個人的無意識にあるのではないでしょうか。共感を求める。それが強く作用する場合には同調圧力となる。そして、圧力を受ける人間は、息苦しさを感じる。昼間のファミレスでは、リラックスした女性たちが延々と「だからどうということのない話」をしています。そして夜には、日本中の居酒屋でほろ酔い気分の男たちが、起承転結のない経験談を繰り広げている。そんなことを考えていると、なんだか人間嫌いになってきます。

今回は、そんな私が自戒の念を込めて、横光利一(1898~1947)の短編小説「時間」を紹介させていただきます。

<あらすじ>
旅芸人の一座が、安い旅館に長期宿泊している。しかし、一座の財布を握っていた座長が姿をくらましてしまう。その後も、故郷から送金を受けた者が、一人また一人と、旅館から逃げて行ってしまう。最後に男8人と女4人が残る。宿泊代は、日に日に膨らんでいくが、誰にもそれを払えるだけの資力はない。

一同相談し、これはもう夜逃げをする以外に手はない、との結論に至る。しかし、女の中の一人は重病人で寝たきりである。彼女を置いて逃げようとも考えるが、当の本人はどうしても連れて行ってくれと言う。

ある激しい雨の晩、一同は夜逃げを決行する。病人の女は、男が100歩ごとに交代で背負うことになる。背負われていない女が後ろについて、歩数を数える。傘は3本しかないので、皆がびしょ濡れになる。もともと、満足に食事をしていない彼らを空腹が襲う。やがて、男たちが口論を始める。そして、ある男が「お前はあの女が好きなのだろうが、彼女は既に別の男とできている」などと口走ってしまう。それを発端に、グループ内の恋愛関係が、次々に暴露される。男たちは、殴り合いの喧嘩を始める。女たちも、誰が誰の男を取ったと言い争いになるが、事実が明らかになるにつれ、関係があまりに複雑過ぎて、誰に対して何を怒ればいいのか分からなくなり、口論を止める。男たちも、体力を温存すべきことに気づき、喧嘩を止める。

やがて、崖の中腹に打ち捨てられた水車小屋を発見する。雨をしのぐために水車小屋に入るが、今度は寒さが一同を苦しめる。体を寄せ合って座るが、睡魔が襲ってくる。こんな時に眠ったら死ぬぞ、と誰かが言い、眠りそうになった者を他の者が叩き始める。しかし、叩いた本人も眠りそうになり、半分眠りに落ちた男女12人が、水車小屋の中で殴り合うという奇妙な光景が繰り広げられる。

やがて雨も止み、屋根の隙間から月明かりが差してくる。ある男が「ここは水車小屋だから、どこかに水があるはずだ」と言って、探しに出る。間もなく、崖を下ったところに湧き水を発見する。一同水を飲んで一息入れるが、未だ水車小屋の中に横たわっている病人がいることに気づく。男たちが被っていた帽子を重ねて、そこに水を入れ、病人の元に運ぶことにする。しかし、病人の元に到着するときには、水はほとんど漏れてしまっていて、チョロチョロと落ちるばかりである。11人の男女は、湧き水から水車小屋の間に並んで、バケツリレーのようにして、病人の元へと帽子の水を運び続ける。

ここで、小説は終わっています。

ここには滑稽で、浅はかで、わがままな人たちが描かれています。しかし最後には、そんな彼らに対して作者の優しい眼差しが注がれる。それにしても、横光利一、こんな作品がよく書けたものだなあと感心してしまいます。この作品には、ロジックでは決して説明し得ない何かが、表現されていると思うのです。