文化で遊ぶ

(旧タイトル:文化の誕生)

No. 68 小川国夫/葦の言葉(その2)

ある日、文芸サークルの先輩がこう言ったのです。
「昔さあ、うちのサークルで小説家の講演会を主催したことがあるんだ。早稲田祭の時なんだけど。そう言えば、君、秋山さんと面識があるんだっけ?」
どことなく先輩の口調が、他人事のような感じなんです。それが気にはなったのですが、私としては小川氏の顔が瞼に浮かんだんです。
「小川国夫さんとか、呼べますかね?」
「大丈夫なんじゃない」
軽い感じで、先輩がそう答えます。文芸評論家としての秋山さん、小説家の小川氏、この2人の講演会を早稲田祭(大学祭)で開催する。荒唐無稽なアイディアに思えたのですが、小川氏に会うことができれば、聞いてみたい話は山ほどある。サークルメンバーの間でも、なんとなく期待感のようなものが高まってくる。考えても埒があかないので、とにもかくにも秋山さんに相談してみよう。私は、そう決心したのでした。

ちょっと記憶が曖昧なのですが、その時は、秋山さんのご自宅にお邪魔したように思います。
「次の早稲田祭で、秋山さんとどなたか小説家の方をお呼びして、講演会を開催できないかという話をサークルの中でしているのですが・・・」
私がそう切り出すと、秋山さんは軽く頷きました。
「で、小説家は誰を呼びたいと思っているの?」
「小川国夫さんなんかは、どうかと思っているのですが・・・」
もちろん、私は緊張していました。秋山さんと小川氏がどういう関係なのか、私には全く知識がなかったのです。
「いいんじゃない」
秋山さんは、ちょっと嬉しそうにそう言いました。後から分かったのですが、秋山さんは小川氏と仲が良かったのです。そして、私としては、秋山さんが小川氏に話を通してくれるかと期待していたのですが、秋山さんは要領を得ない私に、ちょっと強い口調でこう言いました。
「君が電話すればいいんだよ。小川さんの電話番号は、筑摩書房に聞いてごらん」
当時、小川氏の本は主に筑摩書房から出版されていたのです。
「筑摩書房、教えてくれますかね」
ちょっと尻込みしている私に、秋山さんはたたみかけるように言いました。
「大丈夫さ。ちゃんと事情を説明すれば、教えてくれるよ。それから、小川さんに話す時には僕の名前を出してもらっていいから」
そういう経緯で、なんとなく私が前面に出ることになってしまったのです。もう後戻りはできない。なんとかするしかない。大学2年、丁度20歳になったばかりの私は、そういう立場になってしまったのです。しかし、私のバックには秋山さんという強い味方がいる。

秋山さんの言う通り、筑摩書房は小川氏の電話番号を教えてくれました。そして、私は意を決して、ある日の昼下がり、小川氏に電話したのです。
「申し訳ありませんが、主人はちょっと休んでおります」
電話口には奥様が出られて、そう言います。プロの小説家というのは、凄いもんだな。きっと、昼間は寝ていて、夜、仕事をしているのだろう。そう思った私は、別の日に、今度は夕方の時間帯を狙って電話をしました。しかし、再び、奥様が出られて同じように言うのです。これはもう、小川氏は、昼夜反対の生活をしているに違いない。そう確信した私は、別の日の夜、電話をしたのです。今度は、小川氏が電話口に出てくれました。私は、懸命に依頼事項を説明しました。もちろん、水戸黄門が印籠を示すがごとく、「秋山さんにはご了解をいただいております」とその点を強調したことは言うまでもありません。すると、小川氏は了解してくれたのでした。

早稲田祭の当日、私たちのサークルでは、二手に分かれて秋山さんと小川氏を迎えに行きました。私は小川氏を担当し、東京駅から早稲田までお連れしたのです。そして、喫茶店に腰を落ち着けるなり、小川氏は不機嫌そうな表情で、私を見ながらこう言ったのでした。
「あなたの情熱には、負けました」
小川氏は昼間寝ていたのではなく、居留守を使っていた! 私はやっと、そのことに気づかされたのでした。