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文化で遊ぶ

(旧タイトル:文化の誕生)

No. 69 小川国夫/葦の言葉(その3)

講演は、秋山さんが先でした。結構な人数が集まり、秋山さんって流石だなと思ったことを記憶しています。秋山さんの講演が終わると、聴衆がぞろぞろと会場を出て行ってしまい、小川氏に失礼があってはいけないと私は大変焦ったのですが、入れ替わりで、同じ位の人数が入ってきたのでした。お二方とも、話は大変難しかった。しかし、その時の私は、それどころではありませんでした。講演終了後に懇親会を予定していて、その段取りのことで頭が一杯だったのです。

いつの間にか小柄で口ひげをたくわえた男性がいて、小川氏の傍らを離れないんです。後で分かったのですが、その方は筑摩書房の編集者だった。秋山さんの傍にも、同じように男性が付き添っている。こちらはちょっと大柄の人で、小沢書店の方ということでした。

懇親会は、「神田川」という小料理屋の2階でした。階段を上がると、料理の用意が整った会場の片隅で、2人の1年生がなんと弁当を食べているんです。
「お前ら、失礼だぞ!」
私は、そう怒鳴りつけたのですが、それでも彼らは、昼間に食べる時間がなかったのだから仕方がない、と言って食べるのを止めない。私は、近くの小部屋に彼らを追いやったのでした。

そして懇親会が始まり、お酒が回ってくる。私は、小川氏にいくつかの質問を試みました。良く言えば、それは小川氏から何かを吸収したい、学びたい、という情熱の現われでもあったのですが、今にして思えば、私は単に頭でっかちで世間知らずの若造だったんですね。そして、遂に、こう尋ねたのです。
「先生は、神の存在を信じておられるということでしょうか?」
小川氏は、困ったような顔をして、ちょっと虚空を見つめるような目になりました。
「そういうことじゃなくて」
そう言ってから、少しの間があって、こう言ったのです。
「内的要請があるんです」
小川氏の厳しい表情は、それ以上の会話を拒否しているように見えました。私も、それ以上は尋ねませんでした。これが、私が小川氏と交わした最後の言葉なんです。
この言葉の意味を補足するような小川氏の文章が、残っています。引用してみましょう。
「先ほど私は二十歳のころのノイローゼの話をしましたけれども、ノイローゼで人間性というのは得体が知れない、先行きどうなってしまうのか解らないというような恐れといいますか不安を私は味わったんで、その不安の中で、福音書というものが私を支えてくれたことを、今思いだすんです。おそらくそういうところから発想が起こったんでしょうけれども、どうも私は楽観論をとれないんです。不安は尽きない、混乱がある、闇がある。しかし、だからこそそこにますます値打ちを現わす一つの教えがあると、それがキリスト教であると、そういう風に私は今のところ理解しているんです」。

やはり、極限状態まで行ってしまうと、人間というのは弱いものだ、何か頼れる存在が必要なんだ、それが神であり宗教なんだ、ということだと思います。しかし、それと同時に、今私が思うのは、信仰を持つか否かという問題は、個人的な体験に依存する部分が大きいのではないか、ということです。小川氏には小川氏の経験があって、「内的要請がある」と思うに至った。一方、私は私なりにつらいことも経験してきましたが、内的要請があるとは思わないのです。その違いは、個人的な経験の相違に由来しているのであって、互いに相手を非難することはできない。

やがて懇親会も終わり、小川氏を見送ったのですが、その際にも、筑摩書房の方が付き添っておられた。結局彼は、私の前では一言も発することがありませんでした。小川氏は、その晩、藤枝まで帰ると言っていましたが、筑摩書房がどこかに宿を手配していたのかどうか、それは分かりません。

その場は散会となったのですが、小沢書店の方からお誘いいただき、秋山さんと一緒に新宿へ繰り出すことになりました。小さなお店で、私たちは肩を寄せ合うように座って、朝まで飲んだのです。途中、別の席で飲んでいた人が、秋山さんに挨拶に来られました。見ると、当時は新進気鋭の芥川賞作家、高橋三千綱氏だったのです。秋山さんがいて、出版社の方がいて、芥川賞作家がいる。それが、二十歳の私が垣間見た、文壇という輝かしくも魅惑的な世界だったのです。新宿で見た朝日が、やけに眩しかったのを覚えています。

ということで、この話は終わりそうなもんですが、続きがあるのです。その時の小川氏の講演内容が、翌年出版された小川氏の講演集「葦の言葉」に収録されたのです。出版元は、もちろん筑摩書房なんです。

 

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