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文化で遊ぶ

(旧タイトル:文化の誕生)

No. 72 物語を解体する

先日、明け方に目が覚めてしまいました。ぼんやりしながら、少し水を飲み、ベッドに腰かけて煙草に火をつけました。何故か、「鶴の恩返し」のことを考えているのです。それに関連した夢でも見たのでしょうか。そこは、はっきりしません。結局、あの物語は何を語っているのだろうか。子供だったら、どうだろう。可哀想な鶴の物語ということでしょうか。多分、今でも絵本の読み聞かせでこの物語に接し、泣き出してしまう子供もいるのではないでしょうか。それだけ、この物語にはインパクトがあると思うのです。

物語の原型では、老夫婦ではなく、青年の元に鶴がやって来て結婚することになっています。このパターンの物語は、通常、“鶴女房”と呼ばれています。このように、人間と人間以外の存在が結婚するという話は、異類婚姻譚と言います。この話については、このブログのNo. 11でも検討しました。その際の私の結論は、妻と死に別れた男性が、自らを慰めるために作った物語である、ということでしたが、何か、釈然としない。

翌朝、それとはなしにネットで調べていると、偶然、面白い記事を見つけました。Wikipediaの“異類婚姻譚”という項目を見ると、関敬吾という人の説が記載されています。すなわち、異類婚姻譚は世界中に存在し、その共通する構成は次の通りであると。ここでは、例示の方を引用させていただきます。

1.動物を助ける。
2.動物が人間に化けて訪れる。
3.守るべき契約や規則がある。
4.富をもたらす。
5.正体を知ってしまう。
6.別離

なるほど。“鶴女房”もまさにこの通りだなあ、と私は感心したのです。

しかし、ここには6つの項目が記載されているので、いわゆる起承転結ではありません。例えば、“桃太郎”であれば、起承転結で説明がつきます。

起・・・桃から桃太郎が生まれる。
承・・・桃太郎が、丈夫で力持ちの少年に成長する。
転・・・鬼が村人に悪さをする。
結・・・桃太郎が鬼をやっつける。

一体、何が違うのでしょうか。そこで、もう一度、異類婚姻譚の6項目を眺めてみる。すると、これらの項目は、物事の原因に関わる項目(以下“原因系”といいます)と、その結果に関わる項目(以下“結果系”といいます)に分類することができるように思ったのです。例えば、動物を助けるのは良いことですね。だから、その結果として富を得る。動物が人間に化けて現れる訳ですが、いずれ正体がばれてしまう。守るべき規則を破ってしまうから、別離が訪れる。原因系をアルファベットの大文字で、結果系を小文字で表わして、6項目を並べてみると次のようになります。

A → B → C → a → b → c

なんと原因系と結果系が、アルファベットの順番通りに並ぶではありませんか! ちょっと、“鶴女房”に置き換えて、記載してみます。

A 青年が鶴を助ける。
B 鶴が人間の女性に化けて、青年を訪れ、二人は結婚する。
C 鶴は、機織りをする場を決して覗かないでくれと頼み、青年は承諾する。
a. 鶴が織った反物を売り、青年は裕福になる。
b. 青年は、鶴が機織りをしているところを覗き、鶴の正体を知ってしまう。
c. 鶴は大空へ飛び立ち、二人に別離が訪れる。

確かに、アルファベット順なんです。そして、この物語には、3つのストーリー・ラインがあることが分かります。例えば、A → a. だけを見れば、動物を助けると、いいことがありますよ、という教訓めいた話であると解釈することも可能です。3つのストーリー・ラインがあるので、少なくとも3種類の解釈が成り立つんですね。

桃太郎の場合は、ストーリー・ラインが一つしかありません。だから、起承転結が成り立つ。しかし、“鶴女房”には3つのストーリー・ラインがあるので、起承転結とは異なる構成になっている。また、複数のストーリー・ラインを持たせることによって、話が立体的になっているんだと思います。例えば、円錐の物体がある。真上から見ると、それは円形です。真横から見ると、三角形に見える。このように、“鶴女房”という物語は、見る角度によって、異なる解釈が可能となるように構成されているのです。

もう一度、上記“鶴女房”の6項目を眺めてみましょう。何か、足りないと思いませんか? これだけでは、絶対に子供は泣きません。この物語の中核的なイメージを構成する、鶴が自らの羽を抜いて機を織るという行為が抜けているのです。この自傷行為があるから、感動が生まれる。何故、抜けているのか。それは、関敬吾という人が説明した構成は異類婚姻譚の一般論で、“鶴女房”の自傷行為は、この物語に固有のものだからではないでしょうか。そして、この自傷行為は、物語の作者の直観によるものだと思うのです。もちろん、“鶴女房”は、永年語り継がれた物語であって、その作者は複数人いることと思います。しかし、いつか、誰かの直観が働き、この自傷行為が生まれたのではないでしょうか。では、自傷行為を上記の6項目に挿入してみます。

A 青年が鶴を助ける。
B 鶴が人間の女性に化けて青年を訪れ、二人は結婚する。
C 鶴は、機織りをする場を決して覗かないでくれと頼み、青年は承諾する。
直観・・・鶴は自らの羽を抜き、機を織る。
a. 鶴が織った反物を売り、青年は裕福になる。
b. 青年は、鶴が機織りをしているところを覗き、鶴の正体を知ってしまう。
c. 鶴は大空へ飛び立ち、二人に別離が訪れる。

いかがでしょうか。これでようやく、“鶴女房”の構成をまとめることができたように思います。直観に基づく自傷行為は、丁度、原因系と結果系の中間に位置しており、以降、物語はたたみかけるように、結果系へと進展していくんですね。物語の構成として、いかがでしょうか。私には、ここに究極的な形があるように思えてならないんです。

さて、このブログの前回までの原稿で、芸術を構成する重大な要素として、直観と集合的無意識があるのではないか、ということを述べてまいりました。この原則は、“鶴女房”にも当てはまると思うのです。異類婚姻譚というのは、集合的無意識の現われであって、そこに直観に基づく自傷行為が加わり、この傑作が誕生したのだと思います。この2つの要素を理解すれば、物語や小説の本質を見ることができるのではないでしょうか。例えば、“鶴女房”の本質は、次のように述べることができます。“鶴女房”とは、人間に変身した鶴が自らの体を傷つけることによって、夫に尽くした献身の物語である、と。