文化で遊ぶ

(旧タイトル:文化の誕生)

No. 78 村上春樹の「少し前の作品」を読む(その3)

本件作品のサブのストーリー・ラインは次の通りです。

仲の良い5人のグループから絶縁されてから、1年が経過した頃、多崎つくるには灰田という男の友人ができる。やがて灰田は多崎つくるのマンションに泊まり、2人は深夜まで話し込むほど、親しくなる。ある晩灰田は、彼の父親の経験を語る。1960年代の末期、大学紛争における愚かしい出来事を目の当たりにした父親は、休学届を出して放浪の旅に出る。そして、下働きをしながら大分県山中の温泉で暮らしている時、緑川という男に出会う。緑川は灰田の父親に「このあたりのどこかにピアノが弾ける場所はないだろうか」と尋ねる。父親は緑川を連れて、中学校の音楽室に案内する。緑川は、ショルダーバッグから小さな布の袋を取りだし、それを注意深くピアノの上に置き、「ラウンド・ミッドナイト」を弾いた。優れた演奏だった。父親は、緑川と夕食を共にする。緑川は「実を言うと俺は死期を迎えている。おおよそあと1か月の命しかない」と告げる。但し、病気を患っている訳でも、自殺を考えているのでもないと言う。ある人にそう言われたのだと緑川は説明する。

やがて、灰田は理由も告げず、多崎つくるの前から姿を消す。

それから15年程が経過し、多崎つくるは、緑川がピアノの上に置いていた布袋の中味について想像する。「その中に入っていたのはホルマリン漬けされた彼の6本目の左右の指だったのではあるまいか? 彼は何らかの理由があって、成人したあとにそれを手術で切除し、瓶にいれて持ち歩いていたのだ。(中略)もちろんそれはつくるの勝手な想像に過ぎない」。

以上が、サブのストーリー・ラインです。これらのストーリー・ラインから読み取れることは、限定的です。例えば、この作品の前半は、多崎つくるが5人組から絶縁された理由は何か、ということに焦点が当てられ、その理由は、なかなか明らかにされません。これは、推理小説の手法だと思われます。やっとのことでその理由が明かされると、それは、白根柚木(シロ)が、多崎つくるにレイプされたと嘘をついたからだ、と説明される。しかし、では何故、彼女はそんな嘘をつかざるを得なかったのか。そう考えるのがロジックです。この点、作品の終盤で、申し訳程度の説明がなされます。五人グループにおいては幸福な時期があったが、人はそれぞれに違った速度で成長していくものだ。従って、五人グループがやがて解体されることは必然である。「シロの精神はおそらく、そういう来るべきものの圧迫に耐えられなかったのだろう」とされています。しかし、レイプという凄惨な被害を受けた彼女の気持ちは、まず、犯人に向けられるはずです。それを、仲の良い友人を犯人に仕立てあげるというのは、現実的には、納得できるものではありません。仮に、五人グループの来るべき破たんを怖れていたのであれば、自ら身を引くとか、他に方法はいくらでもあったのではないでしょうか。まして、この作品の中では、柚木(シロ)が何故、レイプされたのか、また、その後、何故絞殺されてしまったのか、その因果関係は説明されていません。唯一の説明は、黒埜恵理(クロ)が「あの子には悪霊がとりついていた」と述べるにとどまります。つまりこの作品は、ロジックではない、因果関係すら説明されない世界を描いている、と言う他はないのです。ましてや、サブのストーリー・ラインでは、緑川というピアニストが6本指だったのではないかという推測が述べられますが、荒唐無稽であるとしか、言いようがありません。

上記の通り、本件作品は、ロジックや因果関係によって、理解することはできないのです。

さて、次のステップに進む前に、ご紹介したい本があるのです。河合俊雄という人が書いた「村上春樹の『物語』 夢テキストとして読み解く」(文献1)という本なんです。本の帯には「ユング研究の第一人者」と書かれています。そう言えば河合俊雄、どこかで聞いたような名前なんです。ネットで確認すると、やはりこの人、河合隼雄の息子さんなんですね。

私が興味を持った点のみを要約してみます。

人間の自己意識というものは、時代と共に変遷している。それは、仮に以下の3時代に区分できる。

・プレモダン(前近代)
・モダン(近代)
ポストモダン(近代後)

プレモダンの意識・・・物や自然の側に主体がある世界観。束縛が強いだけにそこに生きている人は守られてもいたし、何をすべきかが基本的に明らかであった。例えば結婚も、主に家族や部族によって決定される。

モダンの意識・・・個人を束縛してきたものとの戦いとそれからの解放。自由を獲得すると同時に、自分に責任を負う。確立された意識は、他者とのつながりを求めると同時に、自分で自分を見るという自己意識を形成する。道徳心の内在化。

ポストモダンの意識・・・もはや解放されるために闘う相手を必要としない。必然性はなく、全てはいわば恣意的で交換可能である。葛藤や罪悪感がないので内省に乏しく、また主体性が希薄である。

そして、村上春樹の小説に登場する人物は、ポストモダンの意識を持っている、というのがこの本の主張なんです。なるほど!

(参考文献)
文献1: 村上春樹の「物語」 夢テキストとして読み解く/河合俊雄/新潮社/2011