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文化で遊ぶ

(旧タイトル:文化の誕生)

No. 81 村上春樹の「少し前の作品」を読む(その6)

当初の予定に従えば、“文体”について検討することになっていました。しかし、これは具体例を示すまでもないように思えてきました。すなわち、本件作品においては、各登場人物の何に焦点が当てられているかと言えば、服装であったり、髪型であったりする訳です。そして、各人物の喜怒哀楽は、あまり描かれない。それはあたかも、各登場人物が記号として扱われているように見えます。それは、本件作品がポストモダンの人間観を基調としているからだと思います。

次に作品の分解の仕方ですが、他にも方法はあります。例えば、象徴的な事物を抽出して検討するということが考えられます。例えば、高校時代の五人グループ。これは、共同体の象徴であると解釈することが可能かも知れません。共同体と個人の間にある緊張関係。そのようなものが提示されているように思います。また、繰り返し現れるのが“駅”です。多崎つくる自身が、駅の設計に関わる仕事に従事している。新宿駅に関する描写では、人々が切り離されている様子が描かれる。他方、エリは多崎つくるに対し、このように述べる箇所もあります。「まず、駅をこしらえなさい。彼女のための特別な駅を。用事がなくても電車が思わず停まりたくなるような駅を」。この箇所では反対に、人間同士の関係を築く基礎としての“駅”が語れている。

本件作品の特徴を簡単に言えば、論理などモダンの価値観を真っ向から否定した上で、ポストモダンのメンタリティを持った主人公が、プレモダンのメンタリティを持った人物に導かれ、他人や共同体との関係性を取り戻そうとする小説である、ということになります。

では、本件作品と読者との関係を考えてみましょう。まず、本件作品を肯定するであろう読者の特徴について列記してみます。

ポストモダンのメンタリティを持っている人。
・プレモダンのメンタリティを持っている人。
・論理を信じていない人。
・本件作品を多崎つくると沙羅の恋愛小説として読んでいる人。
・本件作品を推理小説だと思っている人。

ちょっと、最後の項目は意外かも知れませんが、ネットを見ていると、実際に推理小説として、本件作品を分析している方がおられました。白根柚木は誰に殺されたのかということがポイントで、真犯人は多崎つくるの父ではないかとの推理でした。面白い読み方ですね。いろんな読み方があっていいと思います。

次に、本件作品に違和感を覚えるであろう人たち。

・モダンのメンタリティを持っている人。
・論理を信じている人。
・裕福で、高学歴で、才能に恵まれた、美男美女の話に違和感を覚える人。

では最後に、私自身の本件作品に対する所感を述べさせていただきましょう。まず、今回の原稿を書いてみて、私自身のメンタリティはモダンだなあと痛感した次第です。古い人間なのかも知れません。そして、モダンのメンタリティなので、本件作品には違和感を覚えました。

本件作品は、言わばポストモダンの風俗を描いた小説ですが、世界的にも評価されているということは、それだけポストモダンのメンタリティを持った人たちが世界中で増えている、ということだと思います。

次に、本件作品は、マジョリティの側に立っているのか、マイノリティの側に立っているのか、という問題があります。結論から言えば、私は、マジョリティの側に立脚していると思うのです。正確な比率は分かりませんが、現代においてもマジョリティは、プレモダンにあると思うのです。そして本件作品は、プレモダンの人たちを受容している。何しろ、他人や共同体との関係性の回復を目指している訳ですから、プレモダンの人たちも異議はないと思うのです。

なお、本件作品を通じては、この作家が抱えている心の課題を読み取ることはできませんでした。

私が一番気になったのは、本件作品がプレモダンの世界を志向しているという点です。作家は、深い意味を与えずに呪術師や、悪霊がとりついているという発言などを記載したのかも知れません。しかし、そういう世界を志向するというのは、かなり問題だと思うのです。このブログでは、当初、文化の積み木シリーズを掲載し、呪術やシャーマニズムについて検討した経緯があります。そこは現代人の我々からしてみると、想像を絶するような出来事が起こり得る世界だった。建物の安全や豊作を祈願して、子供を人柱として埋めてしまう。そういう世界なんです。そういう世界に戻していい訳がありませんよね。更に、このシリーズの冒頭にも記載しましたが、悪霊払いと称して、1歳4か月の女児が殺されるという事件が起こりました。これは、つい最近のことです。

何か、現代人のメンタリティというものが、プレモダンに向かっているような気がしてならないのです。しばらく前のことですが、イギリスだったかドイツだったか忘れましたが、先進国の若い女性3人が、イスラム国の兵士と結婚するために出国したというニュースがありました。自民党憲法改正草案には、家族主義がうたわれています。若い女性タレントが、新興宗教に出家したというニュースもありましたね。世界的に、プレモダンに向かおうとする大きな潮流というものがあって、本件作品も、その流れに乗っているような気がするのです。