文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

No. 84 共同体と個人(その1)

このブログのNo. 82 ~ No. 83におきまして、“プレモダンのメンタリティ”というタイトルで原稿を掲載致しました。実は、これをシリーズ化して、モダン、ポストモダンへ続けようと思っていたのですが、どうもうまく行きません。一つには、時代区分は4つにすべきだと思い始めてしまったことと、どうもメンタリティという漠然とした切り口では、焦点がボケてしまう。

そこで、時代区分は4つにして、共同体と個人の関係にフォーカスしたものに仕切り直しをさせていただくことにしました。行きつ戻りつ、脱線しつつ、というのがこのブログの特徴なので、ご容赦ください。また、今回のシリーズで私が記載したいと思っている時代区分と、各時代における共同体と個人の関係につきましては、以下の通りです。

A. 無文字社会の時代  ・・・ 一体
B. 宗教国家の時代   ・・・ 依存と支配
C. 近代思想の時代   ・・・ 対立
D. ポストモダンの時代 ・・・ 分離

予め、概略を記しましょう。まず、“無文字社会の時代”につきましては、個人の自己意識というものは芽生えておらず、個人は、共同体と自らを区別することなく、一体感が育まれていたものと思います。文字が発明されると宗教が生まれ、それが国家へと発展していく。個人のメンタリティとしては、共同体に依存していたと思います。自由とか、個性という概念自体が、まだ生まれていなかった。しかし、共同体が国家としての形を持ち始めると、そこに納税義務が生じる。国家の権力というものが生じる訳です。そして、特に明治維新以降は、外国との戦争が始まります。この時代は、共同体としての国家が、個人を支配していたと言えると思うのです。敗戦後、日本国憲法が制定されます。私は、この憲法の中に近代思想の骨格が記されていると思うので、主要な条文についても考えてみたいと思っています。日本国憲法は素晴らしいと思いますし、その憲法は幸い、今日においても健在です。しかし、近代思想については、その信頼性が揺らぎ始めた。何がどう揺らいで来たのか、今一度、検証してみたいと思っています。近代思想が揺らいだ結果、ポストモダンというメンタリティが生まれる。これはもう、歴史的な必然だったのでしょう。ポストモダンの時代においては、共同体自体がその結束力を弱めている。共同体の側からの個人への働き掛けというものが弱まり、個人も共同体への依存を最小限に留めようとしている。この現象を“分離”と記した訳ですが、ディタッチメントなどと呼ぶ場合もあるようですね。AとBについては、既にいくつかの原稿で言及していますので、今回は、CとDに力点を置きたいと考えています。多分、皆様が興味を持っているのも、“ポストモダン”ではないでしょうか。但し、ポストモダンのメンタリティというのは、近代思想に対するアンチテーゼとして生まれたものだと思うのです。従って、近代思想とは何だったのか、何故それが衰退したのかというところから考える必要があると思うのです。

ところで、タイトルにも使いました“共同体”という言葉の意味を定義する必要がありそうです。学生時代に読んだ社会学の教科書には、次のような記述があったと記憶しております。人間集団の中には、目的を持ったものがある。その典型は、国家である。このような集団をゲゼルシャフトと言う。他方、特段の目的を持たない集団もある。典型は、社会であり、家族である。このような集団をゲマインシャフトと言う。当時は、なるほどそんなものかなあと思ったのですが、その後の私の実社会における経験において、そんな違いはなかった。会社というのは、利益を追求する集団であり、典型的なゲゼルシャフトであるはずです。また、私としても、そうあって欲しかった。とにかく、休日は、誰にも邪魔をされたくなかったのです。しかし実際には、祭り、スポーツ大会、花見、慰安旅行と、私の休日は潰され続けたんです。あの時の休日を返せ、と叫びたい位です。おっと、また脱線しかかってしまいました。話を戻しますと、このような実体験からして、集団をゲゼルシャフトゲマインシャフトに分けることに、メリットはないと思うのです。よって、このブログでは、双方をひっくるめて、“共同体”と呼ぶことにします。大きなものは国家から、小さなものは家族まで、ということになります。

さて、無文字社会の歴史につきましては、No. 82の原稿に記しましたので、ここでは補足的な事項のみを記します。

初期の無文字社会では、狩猟採集によって人々は暮らしを立てていました。言わば“なわばり”というものがなく、比較的平和に暮らしていたものと思われます。(ゴリラなんかもそうですね。)獲得した獲物も、平等に分配されていたと言われています。そうでないと、弱い者、子供などが生きていけない。そうしてみると、ほぼ、階級などはなく、平等な社会だったと言えそうです。支配、被支配の関係というものも存在しなかったのだろうと思います。また、文化としては、既に物語や呪術が存在したものと思われます。

やがて、農耕・牧畜が行われます。農耕を始めるということは、すなわち“なわばり”を持つこととなり、部族間の衝突が生じます。また、定住することにより、人間集団の規模が、少し拡大したのではないでしょうか。そこで、祭祀の文化が発達し、祭祀を取り仕切る者、お告げを聞く者としてのシャーマンの役割が拡大します。雨乞いの儀式なども、この時期に生まれたのではないでしょうか。日本で言えば、邪馬台国卑弥呼が有名ですね。しかし、この時代においても、支配・被支配の関係は、存在しなかった。仮に存在したとしても、それは緩やかなものだったはずです。また、階級制があったとしてもそれは、シャーマンとその他の人々、という程度の緩やかな区分だったのではないでしょうか。また、シャーマンが祈るのは、共同体やそのメンバーにとって利益となる事柄ですから、他のメンバーにとっても、納得性は高かったものと思います。このような時代において、人々は共同体と自分というものを区別することなく、両者を合一して、認識していたものと思われます。なんだか、それはそれで、幸せな社会だったのかも知れませんね。

無文字社会の時代に生まれ、今日にも生き続けている文化というのは、少なくありません。祭りとか、民芸品などもそうですね。現代のマンガも、実はこの時代に作られた物語に通ずるところがあると思うのです。その中では、奇想天外なことが起こるんです。