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文化で遊ぶ

(旧タイトル:文化の誕生)

No. 86 共同体と個人(その3)

宗教国家としてのメンタリティに劇的な変化を及ぼしたのは、第二次世界大戦だったと思います。ヨーロッパでは、ナチスドイツが無数のユダヤ人を虐殺した。そして、広島と長崎に原子力爆弾が投下された訳です。この2つの出来事は、人類に衝撃を与えたに違いありません。

そして日本では、日本国憲法が1946年に公布され、翌1947年に施行されました。その第1条には、こう記されています。

第1条(天皇の地位、国民主権
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

この第1条をもって、日本において1300年以上も続いた宗教国家の時代は幕を降ろし、近代国家としての新たなスタートが宣言されたんです。そういう思いでこの条文を読み返しますと、私などは、ちょっと感動してしまいます。

ところで、「日本国憲法GHQに押し付けられたものなので、我々日本人の手で作り直すべきだ」、という議論があるようです。文献1によると、経緯はこうだったようです。まず、日本人が草案を作った。しかし、それは天皇に主権があるという大日本帝国憲法と変わらない内容だった。それでは困るということで、GHQが草案を作り、それを日本側が承認した、ということのようです。ただ、私としては、そういう議論には意味がないと思うのです。例えば、料理を食べる。その時、あなたはその料理を誰が作ったということにこだわりますか? 私は、こだわりません。ただ、うまいか不味いか、それだけです。憲法だって、同じではないでしょうか。要は、中味なんです。

次は、問題の第9条です。全文を引用してみましょう。

第9条(戦争の放棄、軍備及び交戦権の否認)
① 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

ここには明確な平和主義が規定されています。素晴らしいですね。理想的です。しかし、理想というものは、必ずしも現実と一致しない。問題は②項です。戦力は保持しないと定められていますが、現実には自衛隊がある。この点、自衛隊は戦力ではないという解釈が定着しているので、問題はなさそうです。では、最後の一文はどうでしょうか。「国の交戦権は、これを認めない」。例えば中国が日本の尖閣諸島に侵略してきたらどうするのか、と心配になってしまいます。しかし、“文献1”によれば、1954年に「自国に対して武力攻撃が加えられた場合に、国土を防衛する手段として武力を行使することは、憲法に違反しない」とする政府見解が出されているということです。更に、2014年に安倍内閣は上記の「自国に対して」という部分を拡大し、集団的自衛権の行使を可能とした訳です。賛否両論あるでしょうが、結論として言えることは、これだけの拡大解釈が既になされているので、9条に関連して言えば、特段、急いでこれを変更する必要はない、ということではないでしょうか。本稿は、憲法論を論じることが主眼ではないので、次に進みます。

第13条(個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重)
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

これはもう、感動ものです。国民は個人として尊重されるんだ、そして個人は自由を追求することができるんだ、ということが明確に謳われています。日本に生まれて本当に良かったですね。

その他にも第19条には「思想及び良心の自由」、第20条には「信教の自由、国の宗教活動の禁止」、第21条には「言論の自由」などが定められています。もう、日本国憲法は、100点満点だと思うのです。しかし、それで全てが解決という訳にはいかなかった。

前の原稿で、宗教国家のシステムについて、「個人に自律的な思考を促さないシステム」であると述べましたが、反対に日本国憲法は「個人に自律的な思考」を促していると思うのです。個人を尊重するということは、それぞれの個人が個性を持つことが推奨されている、とも言えます。私のような変わり者にとっては有難い限りなのですが、必ずしも誰しもがそうという訳にはいかなかった。そこで、宗教国家の時代の方が良かったと思う人たちが、日本国憲法のマインドに違和感を持った。今話題の石原慎太郎とか、森友学園の籠池氏など、未だにそういうマインドを持った人たちがいるんですね。

他方、日本国憲法に飛びついたのは、左翼思想を持った人々だった。思想の自由は保障されているんだろう、我々は社会主義共産主義が正しいと思っているんだ、という動きが出てきます。1949年に中国共産党による一党独裁国家である中華人民共和国(中国)が樹立されるなど、外国においても共産主義が台頭してきた。

こうして近代思想の時代が幕を開ける訳ですが、この時代には様々な対立軸というものが、明確に見えていたのだと思うのです。右翼と左翼。信仰とロジック。そして、共同体と個人が対立し始めた。個人は、共同体と対立し、もしくはそこからの独立を目指すことによって、自らの個性というものを確立しようとしたのだと思います。

このような対立関係というのは、他方では芸術をはじめとする文化にも、強烈なパワーをもたらしたんだと思います。日本では、戦時中の極限状況を題材とした戦後文学が生まれる。1940年台の後半には、アメリカでチャーリー・パーカーマイルス・デイビスがいわゆるモダン・ジャズを始めるんですね。1950年代には、ニューヨークであのジャクソン・ポロックが絵画の革命を起こす。そして、1960年代に入ると、イギリスでビートルズローリング・ストーンズが誕生する。そして、モダンという時代は、そのピークを迎えつつあったのだと思うのです。

(参考文献)
文献1: 新・どうなっている!? 日本国憲法法律文化社