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文化で遊ぶ

(旧タイトル:文化の誕生)

No. 88 共同体と個人(その5)

“近代思想の時代”と“ポストモダンの時代”を明確に区分けすることはできませんが、おおまかに言うと、その移行期は1975年から1990年頃だったような気がします。関連する世界的な出来事を記してみます。

1973年・・・ベトナム戦争終結
1976年・・・文化大革命終結

1989年・・・ベルリンの壁崩壊
1991年・・・ソビエト連邦崩壊

1975年に10歳だった人は、今年で52歳ですか。概ね、ここら辺の年齢以下の人たちは、ポストモダンの世代であると言えるかも知れませんね。

では、ポストモダンのメンタリティについて、考えてみましょう。キーワードは、ディタッチメントです。英和辞書で調べてみると、次のような意味がありました。

detachment
・分離、孤立、距離を置くこと、超然、無関心
・〔論理〕切断。命題の前提条件と結論の間が論理的に一貫しない(欠けている)こと

なるほど。論理的な欠落、という意味もあったんですね。しかし、こう記してみると、随分、寂しげな意味なんですね。共同体との関係が分離され、孤立し、無関心で、非論理的な精神のあり様、それがポストモダンのメンタリティなんです。一つの典型例を考えてみましょう。

A君は、1990年に生まれました。父親はサラリーマンで、スポーツに関心があります。家庭で、政治の話などはしません。お友達親子なので、親子間の対立はありません。A君には反抗期というものがありませんでした。高校はそこそこの進学校で、大学にも進みました。A君は、そこそこの企業に就職します。A君は、ポケモンGOが大好きです。幸い、会社ではスポーツ大会などはありませんし、労働組合から選挙活動を強要されることもありません。A君は、会社における自分のポジションに満足しています。唯一の不満は、勤務時間が長いことです。A君は、十分な英語の能力を持っていますが、外国に行きたいと思ったことはありません。A君には、男友達もガールフレンドもいますが、酒を飲んで、腹を割って話し合うようなことはありません。


このようにイメージしてみますと、なんだか、村上春樹の小説に登場しそうな人物像が浮かび上がってきます。これが、ポストモダンのメンタリティということでしょうか。

さて、各時代区分と、現在の支持政党の状況を考えてみましょう。

宗教国家のメンタリティ・・・・・与党(自民党公明党
近代思想のメンタリティ・・・・・左派政党(共産党社民党
ポストモダンのメンタリティ・・・支持政党なし(無党派

現在の日本の状況というのは、このようになっているような気がします。

更に、各時代におけるマジョリティの精神性と、ユングのタイプ論との関連で考えてみましょう。ユングのタイプ論というのは、以前このブログで詳述していますが、人間の心の機能を思考(意識)、直観、感覚、感情(個人的無意識)の4種類に分類するという考え方です。

無文字社会のメンタリティというのは、最も基本的な機能である“感覚”が支配的であったと思うのです。赤ん坊が生まれて、やがて彼らは笑う。これは、人間が最初に獲得する心的機能だと思います。よって、未だ文字を獲得する前の時代、彼らのメンタリティというのも、まずはここから出発したと思うのです。

宗教国家のメンタリティというのは、とにかく人々のつながりと結束を要求する。それは、ほとんど強制的とも言える。その本質は“感情”、中でも共感を求める心のシステムにあるように思います。とにもかくにも、共感を求め、それが得られた場合は味方となり、得られなかった場合には敵となる。

近代思想のメンタリティというのは、“思考”(意識)に依拠している。いくつかの現象を分析し、そこに共通する原則を見出そうとする。又は、仮説を立て、それを立証しようと試みる。

そして、ポストモダンのメンタリティはどうかと言うと、これは“感覚”だと思うのです。近代思想(思考)に対する失望から生まれたポストモダンは、ロジックを拒絶する。かと言って“感情”に依拠するほど、共同体や他人との関係を重視しない。

それでは、“直観”が抜けているじゃないか、ということになりますが、“直観”という機能は、例えば、シャーマンだとか芸術家などの一部の人が発揮する機能であって、いずれの時代においても、この機能がマジョリティになったことはないと思うのです。
では、一覧にしてみましょう。

無文字社会のメンタリティ・・・・・感覚
宗教国家のメンタリティ・・・・・・感情(個人的無意識)
近代思想のメンタリティ・・・・・・思考(意識)
ポストモダンのメンタリティ・・・・感覚

こう並べてみますと、ポストモダンという時代は、無文字社会に似ていることになります。どちらも、“感覚”なんです。少なくとも、この2つの時代のメンタリティには、親和性がある。ポストモダンの時代が無文字社会に類似しているから、例えば、シャーマンが現われる。それが、オウム真理教のような事件を引き起こしたのではないでしょうか。