文化で遊ぶ

(旧タイトル:文化の誕生)

No. 91 ポストモダン/ 遠い現実、近づくエンターテインメント

“希望”というのは、いい言葉ですよね。私の記憶では、ジョン・レノンも希望を失うな、と言っていました。これは近代思想の時代のメンタリティと深い関係があるように思うのです。例えば、ジョンは、世界を平和にするという“希望”を持っていた。その“希望”を実現するために様々な活動をして、結果、アメリカのFBIと移民局を敵に回すことになった。仮に、奴隷のような状況に置かれている人であれば、“希望”を失っては生きていけない。しかし、現代の日本において、“希望”なんていうものは、うっかり持たない方がラクなのかも知れません。

例えば、クルマが欲しいと思う。しかし、クルマを購入して維持していくためには、相当なお金がかかる。それだけのお金を稼ごうと思ったら、大変な仕事量をこなさなければなりません。それは、嫌だ。では、いっそのこと、「自分はクルマを欲しがっていない」ことにしよう。そんな若者が増えているのではないでしょうか。これが、ポストモダンに共通するメンタリティであるような気がします。もう少し普遍的に言えば、ポストモダンの世代というのも、本音では、共同体や他人、現実世界とのつながりを求めているのではないかと思うのです。しかし、それは遠い存在で、なかなか手を伸ばしても届かない。それでは、関係性の構築というのを望まない、あきらめてしまった方がラクだ、という心理状態にあるのではないかと思うのです。

人間は、生まれてきてまず“感覚”という心的機能を獲得する。そして、現実世界における経験を重ねることによって、意識(思考)なり、個人的無意識(感情)という心の領域を獲得していくのだと思うのですが、現実世界との関わりが希薄になると、心の領域も拡大していかないのではないでしょうか。だとすると、ポストモダンのメンタリティというのは成熟せず、“心の課題”に辿り着かないと思うのです。これらの前提が正しければ、ポストモダンのメンタリティは、近代的な意味での“芸術”を産み出さない。

以前、村上春樹の小説を取り上げて、「作家が直面している“心の課題”が見えない」というようなことを申し上げましたが、その理由がここにあるように思います。すなわち、ポストモダン世代の村上春樹という作家は、近代の芸術家が抱えていた“心の課題”というものを持っていない。

このように考えますと、ジョン・レノンも、ジミ・ヘンドリックスも、ジャニス・ジョップリンも、私が愛したロック・ミュージシャンたちは、皆、近代のメンタリティを持った人たちだったことが分かります。しかし、時代は変わった。時代のメンタリティが変わった。だからもう、あの頃のロック・ミュージックというのは、出て来ないんですね。

ところで、北朝鮮がミサイルを発射し続けています。在日米軍がターゲットだ、などと主張していますので、もしかすると日本の国土に着弾する危険もあります。その場合の被害規模について、シミュレーション結果に関する記事がありました。これが、現実だと思うのです。しかし、そのような現実に対して、私たちにできることはあるでしょうか。多分、ないんです。現実世界というのは、どんどん私たちから遠ざかっていて、もう、ほとんど手の届かない所へ行ってしまったように感じます。一方、エンターテインメントは、どんどん私たちに近づいている。最近は、You Tubeのコンテンツも充実しています。スマホのゲームアプリというのも、相当数にのぼるのではないでしょうか。エンターテインメントというのは、大体、仮想現実だと思うのですが、そちらの方がリアリティを持って私たちに近づいてくる。

こんな時代に、どう対処すれば良いのでしょうか。そんなことを考えます。

結論を言えば、以下の3つの条件を守ること。あとは、エンターテインメントで遊んでいれば良い、というものです。

第1条件は、日本国憲法に記された基本的な理念については、その理解に努めるということ。前にも述べたかも知れませんが、近代思想というのは、音楽や文学の世界で結実した訳ではないと思うのです。その最大の成果物は法律、とりわけ最高法規である日本国憲法にあるのではないかと思うのです。憲法と言うとすぐに9条の論議になり、左翼思想と結びつけて考えられがちですが、日本国憲法には個人の尊重(13条)や思想及び良心の自由(19条)などの重要な規定があります。私が呑気にこんなブログを運営していられるのも、それは憲法によって、言論の自由が保障されているからだと思うのです。

第2条件は、国政選挙には行くということ。選挙で投票したからと言って、すぐに現実世界が変わる訳ではありません。しかし、選挙で投票するということは、すなわち現実世界に手を差し伸べようとすることだと思うのです。最近は、ポピュリズム大衆迎合主義)などと言って、民主主義の正当性を疑うような論議もありますが、それでも独裁政治よりは民主主義の方が何倍も素晴らしいと思うのです。

第3条件は、原発の問題から目をそらさないということ。原発から生み出される汚染廃棄物の処分方法は、未だに確立されていないようです。あの福島で起こった事故を見るにつけ、これは人類の手には負えないなと率直に思うのです。先般、アメリカの政治家が「日本がその気になれば、すぐにでも原爆を作ることができる」というようなことを言っていました。日本は原発の技術を持っているので、それを転用すれば原爆も作れる、という意味だと思います。しかし、日本は原爆なんて持たなくても良い、と私は思うのです。積極的に反原発の活動をしている訳ではありませんが、この問題からは目を離さない、問われれば「私は原発には反対です」と答える。そういう気持ちだけは、明確に持っていたいと思うのです。

いかがでしょうか。私の場合、上記の3条件をクリアすれば、あとはエンターテインメントで遊んでいれば良い、と思っているのです。