文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

No. 106 遊びとは何か(その6)/遊びの起源は古代にあり

いくつか視点を変えながら、“遊び”について考えてきましたが、やっとその輪郭が見えてきたように感じています。

 

結局、遊びの起源というのは、古代にある。我々ホモサピエンスの歴史を概観しますと、20万年前にアフリカで始まり、農耕と牧畜が開始されたのが1万年ほど前ですので、19万年、すなわち95%は、狩猟、採集を生業としてきた訳です。従って、多くの遊びや文化の起源も、この時代にあるんだと思います。日本に限って考えた場合でも、縄文人が日本列島に渡ってきたのは4~3万年前で、農耕文化を持ち込んだ弥生人の渡来は、わずか2300年前だと言われています。

 

ここでは大雑把に、狩猟、採集を生業としていた時代を“古代”と呼ぶことにします。

 

人間が何か、未知なるものと出会う。古代において、それは主に自然だった。そして、好奇心が触発された人間は、その未知なるものに対し、能動的に働きかけてみる。創意工夫を凝らして、なんとかそれを役立てる方法を探す。そして、遊びが始まったのだと思います。例えば、一本の木と出会う。なんとなく、蹴とばしてみる。枝を折ってみたりする。登ってみると、実がなっている。その実をちょっと齧ってみる。そういう生活態度は、狩猟、採集民が生きていく上で、必要不可欠だったように思うのです。

 

狩猟採集民は、部族同士で争わなかったので、人間という存在は、恐怖の対象にはならなかったのだと思うのです。だから、狩猟採集民は人間に興味を持たず、もっぱら動植物に興味を持っていた。第一に、動植物は彼らにとって、貴重な食料だった。また、彼らは動植物になぞらえて、様々な仮説を立て、世界を理解しようと努めていた。それは、民族の起源であったり、火の起源であったり、あらゆる自然現象に対して仮説をたてた。すなわち物語を作って、理解しようとしていた。彼らは、動物の所作や鳴き声を真似てみた。次に、動物の毛皮や鳥の羽を使って、みずからを飾り立ててみた。そうやって、動物にまつわる物語を演じていたのだと思われます。それが、体系化されると“祭祀”となり、宗教色を帯びてくる。

 

狩猟採集民は、ヤリ、吹矢、弓矢などの武器を作り出した他、船を発明し、貝殻などを用いた装飾品も作り出しています。それらの産物を作り出す原点には、遊びがあったことでしょう。

 

では、No. 102の原稿で列記致しました遊びの種類のうち、古代に誕生したと思われるものを挙げてみます。

 

自然享受系・・・自然の恵みを享受するタイプの遊びは、この時代に生まれたに違いありません。

 

物語系・・・前述の通り、民族の起源等に関する神話、民話が無数に存在します。

 

演劇系・・・祭祀において、動物に扮した古代人が、演劇のようなものを行っていたものと思われます。

 

美術系・・・1万5千年前に描かれた洞窟画が、フランスのラスコー洞窟で発見されています。

 

音楽系・・・様々な民族が独自のリズムと独自の音階を用いた民族音楽を発明しています。これは私の想像ですが、鳥の鳴き声などを真似るところから、歌が発生したのかも知れませんね。

 

トランス系・・・長時間踊り続ける、極度の苦痛を受ける、麻薬を使用するなどの方法により、古代人はトランス状態になっていたようです。

 

但し、古代人が良く遊んでいたかどうか、という点については、議論がありそうです。そもそも、狩猟、採集という行為は、それ自体が遊びの要素を持っている。例えば、弓矢で動物を射止める。私はやったことがありませんが、動物が可哀想だという点を除けば、これは随分楽しそうです。また、山野に分け入り、果実を採集する。これも楽しそうです。よって、この時代においては、仕事と遊びとが、まだ、遊離していなかったと言えるのではないでしょうか。従って、彼らの生業自体を遊びだと定義すれば、古代人程、遊んだ人類はいないと思うのです。いやいや、それは食料を確保するための仕事であって遊びではない、と理解すれば、古代人はあまり遊ばなかったことになります。そもそも、狩猟、採集自体が楽しいので、他に遊びを見つける必要が少なかったものと思われます。