文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

No. 107 遊びとは何か(その7)/戦い始めた中世の遊び

厳密には、大型動物を追いかけて日々移動していた時代と、農耕を始めて定住し始めた時代の間に、中間的な生活形態があったようです。生活の糧は相変わらず狩猟、採集にありましたが、簡単な住居を構えてキャンプのような生活をし、必要に応じて移動する、というのがそのパターンです。

 

ここでは簡単に、農耕、牧畜を生業とし、定住し始めた時代を中世と呼ぶことにしましょう。

 

考えてみますと、“定住”するということは、人々の暮らしに劇的な変化をもたらしたはずです。まず、住居を作る技術が発達する。農作物は保存が可能だったので、食料に対する所有という概念が生まれる。ちなみに、日本の弥生時代には高床式の住居が作られましたが、これは床が地面から浮いているので、湿気を避けることができ、食料の保存に適していたと言われています。

 

保存されている食料や家畜という資産が生まれますと、その取り合いによって、部族間の争いが生じる。武力衝突を起こしますと、味方の側にも相当な被害が生じますので、好んで戦っていた訳ではないと思うのですが、飢饉のような状況が生じますと、武力による食料の争奪戦は不可避だったように思われます。こうなってきますと、他の部族、すなわち人間集団というものが、人々にとって、恐怖の対象となる。別の言い方をしますと、自然や動植物を興味の対象としていた古代に対し、人間が人間に興味を持ち始めたのが中世だと言えないでしょうか。

 

このような変化は、“遊び”の世界を一変させたのだと思います。では、個々の類型に従って、考えてみます。

 

競争系・・・人間同士で、競争する遊びが生まれた。その典型は、現代にも残っているスポーツです。競争するためには、ルールが必要で、この競争系の遊びと共にルールというものが生まれた。例えば、ヨーイドンと言ってから走り始めなければ、競争にならない。法律の原点は、遊びにあるという説まであります。また、多くのスポーツは、狩猟の際に要求された身体能力にルールを持たせて成立しているように思います。やり投げ、アーチェリー(弓道)などは、狩猟のための基本動作にルールを加えて、成り立っている。走る、投げる、跳ぶ、泳ぐなどの人間の基本的な身体能力は、農耕ではなく、狩猟において要求されたものだと思います。そして、これらの動作というのは、どう考えても単調な農作業よりも楽しい。そうしてみると、古代の仕事が、中世の遊びに変化したとも言えます。

 

ギャンブル系・・・ギャンブルが成り立つためには、負けた者が何らかの対価を支払う必要があります。従って、ギャンブルという遊びは、所有という概念が発生した後に生まれたものと思われます。

 

技能習熟系・・・家を作る、農機具を作るというところから、人々は技術を磨いていったものと思われます。そして、簡単な遊び道具を作るようになる。独楽やけん玉が生まれ、技能習熟系の遊びというものが発達したものと思われます。(但し、けん玉については、狩猟採集民が動物の骨で作ったのが最初だと言われているようです。)

 

ここまで見て来ますと、遊びというのも、その時々の社会環境に影響されながら、今日まで続いてきたことが分かります。ただし、そこに遊びの本質がある訳ではないように思うのです。歴史や政治や経済に影響を受けつつ、しかし、遊びを発明してきたのは、時の権力者ではなく、常に庶民の側だった。だから、遊びの世界というのは、平等なのかも知れませんね。中世という時代区分を考えますと、例えば士農工商などという階級制度があった。宗教の世界でも、神様に近い人が上で、遠い人が下の階級に置かれる。これらの階級制度に反して、遊びの世界というのは、開かれていて平等だと思うのです。確かに、何らかの財貨を持っていなければ、ギャンブルには参加できません。ルールを知らなければ、ゲームに加わることはできない。しかし、それらのハードルは、決して高くない。お殿様でも、商人でも、スゴロクをする時には、同じサイコロを振らなければならない。そこに、遊びの本質があるような気がします。誰でも、同じ条件で参加できる。それが遊びの本質ではないでしょうか。遊びを生み出してきた庶民の素朴さと優しさ。それが人々を惹きつけて止まない、遊びの魅力ではないかと思うのです。