文化で遊ぶ

(旧タイトル:文化の誕生)

No. 114 文化のダイナミズム(その4)

伝統文化の究極の形は、宗教ではないでしょうか。そこには、祈祷の方法、食事の作法、衣服、建築物の様式、葬送の執行方法など、あらゆる秩序が定められています。遊びから始まって、伝統文化に至るプロセスの詳細につきましては、このブログの冒頭で述べましたステップによるものと考えています。繰り返しは避けますが、項目だけ列記してみます。

 

1.遊び

2.言葉

3.アニミズム

4.物語

5.呪術

6.祭祀

7.シャーマニズム

8.宗教

 

こう並べてみますと、言葉の起源も遊びにあったことになります。私は、多分そうなのだろうと思います。ただ、それは痛いとか、腹が減ったというものではなく、古代人の好奇心を解放するリリーサーが動物であったことに鑑み、動物に関わる何らかの言葉が生まれたのが最初だという気が致します。また、分類としては、言葉から祭祀までを大衆文化として、シャーマニズムと宗教を伝統文化の区分に入れるのがすっきりすると思います。

 

ところで、深沢七郎の小説を読んでおりますと、遊びから宗教に至る一連の流れとは異なる、もう一つの秩序を形成する流れが見えてきます。まず、山奥の農村で間引きをする時には、かならず屏風を逆さまに立てて、その中で出産するという風習がありました。この屏風を逆さまに立てるということには、何か、呪術的な意味合いがあると思うのです。それと同時に、特定の屏風を逆さに立てなければならない、というルールにもなっていて、このルールは長年、その村では守られ続けていた。すなわち、慣習になっていたということですね。

 

また、他の農村では、長男が田畑を相続し、次男、三男は結婚することも許されず、下男のように働くという例(東北の神武たち)もありました。また、この例では、生まれてきた娘は、所定の年齢になると売り飛ばしてしまう。老婆を姥捨て山に捨てて、口減らしをするという風習もあります。このように深沢七郎の小説に出て来る慣習というのを見て行きますと、どうやらその目的は、一族が生き延びるため、食いつないでいくことが目的になっている。

 

その他にどんな慣習があるだろうかと考えてみますと、例えば農村で、田植えとか稲刈りなどを行う時には、互いに協力し合うということもありそうです。また、現在でも続いていると思うのですが、市場で取引をする時に、売主と買主が筒状になっている布に手を入れ、その中で値段を決める、というのもあります。

 

お盆や命日に墓参りをするという宗教上の慣習というのも少なくありませんが、明らかに宗教とは離れた、別の目的を持った慣習というものが存在する。慣習というのは、それを守ることに何らかの利益がある訳、これに価値を見出そうとするのは、自然の成り行きだと思うのです。

 

また、紛争解決の手段としての慣習というものも存在したのだと思います。アメリカでは、ピストルによる決闘という方法もあったようです。また、紛争が生じると街の住民が集まって、そこで当事者が意見を主張する。そして、皆で相談して結論を出すという仕組みもあったようです。この方法が、アメリカの陪審員制裁判の起源だという説もあります。このような文化的な背景があるので、アメリカ人は子供の頃からディベートの訓練を受けているんですね。

 

すなわち、宗教へ向かう一連の流れでは解決できない問題というのがあって、それを慣習が補完してきたのではないでしょうか。やがて国家が生まれ、慣習が法律となった。この慣習の成立時期は相当古いとは思うのですが、人間が農耕を開始し、定住してから発生したのではないかと思います。

 

この慣習から法律へとつながる流れも、文化の枠組みに含めて考えた方が良いと思うのです。そうでないと、なんとか飢餓から逃れよう、生き延びようとしてきた先人たちの知恵や、現代という時代が抱えている様々な法律上の課題を見落としてしまう。

 

さて、これにて私の考える文化の構造についてのご説明は、一応、完成したことになります。

 

次回は、この“文化の構造”をベースに、現代に生きる私たちが置かれている状況について、述べてみたいと思います。