文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

No. 119 深まらない論議

No. 117の原稿にootkysnrさんからコメントをいただきました。有り難うございました。コメントのご趣旨としては、国民の無関心が今日の国会の堕落を招いたのではないか、とのことですが、全くもってその通りだと思います。現政権を批判することは、ある意味、簡単だと思うのですが、それでも国会議員は、国民の選挙によって選ばれている。現政権を支持した人は、野党を支持した人よりも多い訳です。投票したくなるような野党がない、との声が聞こえてきそうですね。それも一理あるように思います。そこら辺から、国民の無関心につながっているのかも知れませんね。しかし、国民の無関心には、どうやら他にも理由がありそうです。この点は、長くなりますので別の機会に述べます。

 

さて、森友学園の件も、未だに決着していません。何故、学校として認可されたのか、何故、国有地が8億円も値引きされたのか。そして、加計学園の件では、萩生田氏の関与をうかがわせる新たな文書が出てきました。しかし問題は、国会でも、テレビの討論番組でも、一向に議論が深まらないことではないでしょうか。一例を挙げますと、内閣府から文科省に宛てたメールが出てきた。そこには、萩生田氏の関与が記されていた。論議の本質は、当然、萩生田氏(官邸)の関与があったのか否かという点にある訳ですが、そのメールの差出人が文科省からの出向者であり信用できない、という大臣の答弁がありました。そのメールの作成者がどこからの出向者かということは、論議の本質に関係がありません。テレビの討論番組でも、自民党側の人は、そもそも文科省は、規制する側で、規制を打破する官邸とはぶつかっていた、ということをしきりに主張しますが、これも本質とは掛け離れています。本質は、安部総理や萩生田氏によって、文科省の行政プロセスが歪められたのか否か。閣議決定された一般に石破4条件と呼ばれている条件を加計学園はクリアしていたのか、その点にあるはずです。

 

何故、このようなことが起こるのでしょうか。この人たちって、論理的に物事を考える習慣がないのだろうか。そう思ったりしていたのですが、実は、私と同じような疑問とか、それに対する裏の事情というものが、週刊誌に載っていたりします。ということは、論議が深まらない理由は、意図的に論議を深めたくない、と思っている人たちがいるからに他なりません。

 

このように考えますと、ちょっとお先真っ暗な感じも致しますが、それでも日本の政治状況には、まだ、希望がある。

 

第1に、一連の国会中継などを見ておりますと、野党の方々はこれらの問題に真剣に向き合っている。事案の性質上、真実を明らかにするところまでは行っていませんが、それでも問題の本質に取り組もうという姿勢が見えます。例えば、民進党は「加計学園疑惑調査チーム」というのを作っていて、定期的に関係官庁の職員を呼び出し、ヒアリングを行っています。その様子は、同党のホームページにおいて、動画が配信されている。

 

第2に、反政権寄りと言われております朝日新聞毎日新聞は、真相を伝えようと努力しているように思われます。だから、私たち国民の知る権利は、最低限のところでは、守られている。

 

第3に、内部告発です。文科省が資料の調査を実施せざるを得なかったのは、そうしなければ内部告発によって、メディアに情報が漏れるリスクがあったからに他なりません。前川前次官の情報発信ということもあります。想像ですが、自分の立場と良心の狭間に立って悩んでいる方々は、文科省のみならず、メディアの中にもおられることと思います。

 

第4に、YouTubeをはじめとするインターネット技術の進展ということがあります。

 

以上の理由によりまして、日本の民主主義、諦めるのはまだ早いと思うのです。