文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

No. 125 政治を読み解く7つの対立軸(その4)

4つ目の対立軸は、弱者保護 vs 格差容認 です。

 

現在の日本における格差問題については、今さら私が述べる必要もないと思います。ワーキング・プア、シングルマザー、非正規従業員、奨学金の返済。全て、貧困を表わす言葉ですね。他方、昨年度日本で1億円以上の役員報酬を受け取った人は457人いるそうです。社会の持続可能性を考えますと、普通の人が普通に暮らしていけるレベルの経済水準は不可欠だと思うのですが、今の日本のセイフティ・ネットは、その水準に達していない。

 

ただこの問題は、経済的弱者の方々のみの問題ではなく、日本の民主主義を深めるという観点からも、重要な意味を持っているのではないか。例えば、次の給料日までどう食いつないでいくか、そういう差し迫った問題に直面している人たちが選挙の投票に行くか、ということがある。政治のことなんか、考えている場合ではない。そういう方々は、決して少なくないと思うのです。

 

安倍一強とも言われる現在の日本の政治状況は、長い物には巻かれろ、寄らば大樹の陰、という主体性の欠如したメンタリティが生み出したものです。このような状況を回避するためには、個々人が自律的に考えて行動する必要がある。そして、そのためには、まず、個々人が自尊心を回復する必要があるのではないか。

 

Yahooニュースへの書き込みなどを見ておりますと、安倍総理礼賛、韓国人に対する誹謗中傷などがとても多い。このような書き込みをする人たちのことを俗に、ネトウヨと呼びますが、他にも自民党支持者とか、自民党からお金をもらって書き込みをしている人がいるとか、いろんな噂があります。実態はなかなか分かりませんが、少なくとも、相当数の書き込みがあるのは、事実です。ここでは、便宜上、そのような書き込みを行っている人たちを総称して、ネトウヨと呼ぶことにします。

 

ここから先は、私の想像ではありますが、ネトウヨの人たちというのも、実は必ずしも経済的な余裕のない方が多いのではないか。そう思えてならないのです。なかなか、自尊心が持てない。政治上の複雑なリクツも分からない。そのため、とりあえず右翼的なコメントを発して、世間の注目を集めたい。また、ネトウヨ同士での連帯感を共有したい。そういう心理状態なのではないか。彼らのコメントというのは、概して短いもので、ロジックが語られることはあまりないように思います。何か、反論のような書き込みがあると、「お前は左翼か」とか「お前は在日だろう」と言って、反撃するのです。こういうのを見ますと、彼らの中で、次の3段論法が成立しているような気がします。

 

1.       日本人は、韓国人よりも偉い。

2.       自分は、日本人である。

3.       だから、自分は偉い。

 

そんなことを考えていますと、ネトウヨの書き込みというのは、彼らが発しているSOSのシグナルのようにも思えてきます。

 

次に、政治的な主張には、それぞれが重視している範囲というものがある。範囲の広いものから、列記してみます。

 

1.       グローバリズム

2.       国家主義

3.       民族主義

4.       スモール・ユニット(後述)

5.       個人主義

 

こう並べてみますと、例えば、トランプ大統領が“米国第一主義”を標榜したのは、グローバリズムを主導してきたアメリカが行き詰まって、国家主義に戻ろうとしていることが分かります。一方、安倍総理の政治的信条というのは、そのバックボーンとして日本会議国家神道)などが取り沙汰されており、国家主義にあるようにも見えるのですが、実は、グローバリズムにあることが分かります。集団的自衛権で、地球の反対側まで自衛隊を派遣しようとする。TPPを推進する。海外から労働者を受け入れようとする。これらは、国家の範疇を超えていますね。このような立場を、新自由主義と呼ぶようで、これは小泉総理の時代から、自民党の基本姿勢となっているようです。伝統的な保守というのは、国家主義であったはずで、保守の方々はもっと安倍総理に文句を言ってもいいと思うのですが・・・。

 

4番目に記載しましたスモール・ユニットというのは、最近の政治学で使われている用語のようです。私は、まだそこまで勉強していませんが、この言葉を拝借することにしました。これは、例えば家族よりは大きく、民族よりは小さな集団という位置づけです。イメージとしては、農村、漁村などの村落共同体、中小企業などがこれに当たる。これらをもっと、大切にするべきではないか。

 

例えば、日本における強固な国家主義というのは、50年戦争の時代に確立されたと思うのですが、まず、その時代にこのスモール・ユニットというのは破壊されたんです。例えば、それ以前であれば、様々な宗派を持つ仏教というものがあった。もっと、土着的な信仰もあったと思うのです。しかし、それらは弾圧され、または排除され、天皇陛下を頂点にいただく神道に統一された。ラジオが普及し、標準語が推奨された。

 

そして、グローバリズム新自由主義の進展に伴って、スモール・ユニットは更に破壊された。例えば、かつての日本の会社というのは終身雇用制であって、行けば知っている人ばかりで、それはあたかも村落共同体のような存在だった。それが、非正規という働き方が広まり、人材の流動化も進んだ。これによって、会社と従業員のウェットな関係というのは、断ち切られたのです。

 

自ら自律的に思考しろと言っても、誰もがそうできる訳ではありません。特に、知識や人生経験の少ない若年層の人たちにとって、それは無理なことかも知れません。若年層の人たちには、相談相手が必要だ。何を、どう考えるべきなのか。そういった先人たちの知恵と相談相手を提供してきたのが、スモール・ユニットだったのではないでしょうか。

 

スモール・ユニットが機能していて、その一部のリーダー層の人たちだけでも、自律的に思考する習慣を持っていたならば、現在の安倍一強と言われるような政治状況は生まれなかったのではないか。

 

従って、私と致しましては、弱者を保護しようとする政策、グローバリズムではなく、スモール・ユニットや地方分権を尊重する政党を支持したいと思うのです。