文化で遊ぶ

(旧タイトル:文化の誕生)

民主主義の限界と2大政党制

安倍総理がモリ・カケ問題を隠蔽するために衆議院を解散しました。挙句の果てに、消費税を10%に上げた場合の使い道を変更するので、国民に信を問うと言うのです。それって、再来年のことですよね? これはもうロジックを否定しているか、国民をバカにしているか、まともな嘘も考えられなかったのか、いずれか又はその全部だとしか言いようがありません。

全くもって腹立たしい限りだったのですが、ここに来て、衆院選が俄然面白くなって来ました。希望の党を立ち上げた小池氏が、民進党との連携に乗り出すとのニュースが入って来たからです。これはもう、小沢一郎氏の念願であった“オリーブの木構想”が現実味を帯びて来るということではないでしょうか。バラバラだった野党がまとまる。それは集団スケールを大きくするということです。そして政権を担うことになれば、これはもうアウフヘーベンと言えるのではないでしょうか。

小沢氏の率いる自由党民進党が合流するという話もあります。希望の党日本維新の会と連携するという話もあります。どんどんまとまればいい。非自民、反共産でいい。そして私は、日本に2大政党制が生まれることを望んでいます。

誤解を恐れずに申し上げますと、実は私、小沢一郎という政治家に注目しているんです。田中角栄の秘蔵っ子として自民党で剛腕をふるい、確か45歳で幹事長になった時には、総理大臣候補の3人を呼びつけた。その後も、政界のフィクサーとして暗躍した。めっぽう選挙に強く、一度は総理の職に就く寸前まで行ったのですが、陸山会事件という不名誉な事件をでっち上げられ、検察とマスコミが徹底して小沢氏を叩いた。結局、小沢氏は無罪だったのですが、政治家として被ったダメージは相当なものだった。しかし、小沢氏はそれでも政治家を辞めなかった。生活の党を立ち上げたが、政党要件を維持することが難しくなり、親子ほども年齢の離れた山本太郎氏を党に迎えた。当時、山本氏は党名について「一郎と太郎」というのを提案したそうです。小沢氏は嫌な顔もせず「他のメンバーに相談してみる」と言ったそうです。その時党名は「生活の党と山本太郎と仲間たち」に落ち着いたのですが・・・。

結局、自民党の安全保障政策というのは、アメリカ追従なんです。現在でも、安倍総理がトランプ大統領にへつらっている姿を見れば、分かります。これに対して、小沢氏は国連中心主義を掲げた。それが、陸山会事件をねつ造された理由だと言われているようです。ヘーゲルの時代には、国家が最大の集団スケールだった。しかし、その後、国家を超える規模での問題が生じ、国際連盟が、そして国際連合が組織される。だから、日本も暴れん坊のアメリカに追従するのは止めて、国際秩序に従うべきだ。国連中心主義で行こう。それが小沢氏の考えだったはずです。そして自民党の逆鱗に触れた、というストーリーが容易に推定されます。

そう言えば、ヘーゲルアウフヘーベンとか弁証法について述べている文献は「法の哲学」というもののようです。そして、法哲学井上達夫氏は国連中心主義を支持すると共に、小沢氏の政治理念を絶賛している。どうも、こういう流れなんですね。

ちなみに、2大政党制の基礎となるのが小選挙区制ですが、これを作ったのも小沢氏だと言われています。

ここから先は、私の想像です。それだけの大政治家である小沢氏も、自分や仲間の選挙となれば辻説法をします。聴衆は、30人程度しかいないこともあるようです。それでも小沢氏は、精一杯、語りかける。彼の凄いところは、同じことを2度は言わないんです。それだけ、良く考えて演説をしている。聞いている人たちは、一般の国民です。大半の人は、憲法なんて読んだことはない。本当は、政治の仕組みなんて、良くは分からない。小沢氏に比べれば、経験も少なく、視野も狭い。でも、小沢氏は熱弁をふるう。何故か。それはそんな一般国民が、この国の主権者だからです。

さて、民主主義の限界とは、国民が浅はかだった場合、誠実ではない人を政治家に選んでしまうリスクがある、ということではないでしょうか。いわゆるポピュリズムということです。不誠実な政治家は、選挙が近づく度に、国民に甘い政策を掲げます。そして、当選する。挙句の果てに国の財政赤字が膨らんでいく。しかし、なかなか一般国民に多くを期待することはできない。やはり、政治家を律するのは、政治のプロ、すなわち政治家でなくては難しい。だから、2大政党制がいい。小沢氏は、こういうことも考えていたのではないか。

さて、念願の“オリーブの木構想”が現実味を帯びて来て、老政治家は秋の夜長に何を思っているのでしょうか。