文化領域論

(No.196 ~ No.    )

No. 147 憲法とは、文化の結晶である

 

未だホモサピエンスが言語すら持っていなかった頃、誰かが、動物の真似をしてみた。例えば、鳥のさえずりを真似てみた。その瞬間、文化の歴史が始まったに違いありません。やがて人類は、遊びながら意味を発見し、ルールを作った。ルールは言葉となり、呪術となり、宗教となった。宗教の発展と共に、人間集団の規模も大きくなっていった。

 

憲法学者長谷部恭男氏は、宗教改革以降の歴史を次のように説明しています。

 

宗教改革があって、宗派が別れ、宗教戦争が始まった。対立する宗派が、血で血を洗う殺し合いを続けた。やがて人々は、そんな殺し合いが嫌になった。そこで、死んだ後に天国に行けるかどうかという宗教上の問題と、生きている間の現世を分けて考えることにした。そして、現世を更に公私に区分けした。私的な空間、例えば自宅にいる間は自由に暮らして良い。一方、公の空間にいる間は、一定のルールに従うのが良いだろう。人々は、そう考えた。これが法治主義、ひいては立憲主義の起源である。

 

宗教上の集団は、更に進化し、国家となる。では、日本という国があるから、日本国憲法があるのでしょうか。私は、違うと思います。日本国憲法があるから、民主国家としての日本が存在していると思うのです。仮に日本国憲法がなかったとしても、日本の領土とそこに暮らす人々は存在するでしょう。しかし、その国家としての特質は、例えば戦前の国家神道なり、現在の北朝鮮のようなものになるのではないでしょうか。

 

文化は、集団によって所有されています。そして、多くの場合、文化とは目に見えない。手で触れることができない。そのため、私たちは時として、文化の重要性を忘れてしまいます。憲法も同じです。それは、目に見えない。触れることができない。しかし、現代日本の私たちは、憲法という文化に抱かれて、日々の暮らしを営んでいます。

 

日本国憲法のことをGHQに押し付けられたものだ、と言って批判する人がいます。私の意見は違います。GHQはただ、ペンを走らせ、文字を刻んだに過ぎません。日本国憲法に定められている3大原則、すなわち、国民主権基本的人権の尊重、平和主義という考え方の根底には「宗教、民族、イデオロギーの違いを乗り超えて共に生きよ」とする歴史が育んだ人類の英知がある。

 

権力者が憲法違反の法律を作るなどもっての他ですが、だからと言って、憲法というのは神棚に飾っておけば良い、というものでもありません。全ての文化が今日まで進化を続けてきたように、憲法もこれをより良いものへと進化させなければなりません。簡単なことではありませんが、それは主権者である国民のみがなしえることです。

 

さて、上に記したことを理解している日本人は、どれだけいるでしょうか。3割程度ではないでしょうか。そうであれば、その3割の人たちが、憲法の意味を他の人に説明する必要がある。特に大人には、人生経験や知識が不足しがちな若者に対して、これを説明する責任があるのではないでしょうか。そして、このことを理解する人の割合が5割を超えた時に、日本という国家が保有する文化において、コペルニクス的な転回が生じるのではないか、と思うのです。既に3割の人たちは気づいている。あと、少しなんです。

 

文化進化論の立場から、今後の日本の政治は、次のように進化していくものと推測しております。

 

1. 国民の過半数が、立憲主義、民主主義の重要性を理解する。
2. 日本に健全な2大政党制が生まれる。
3. 数年に渡り、国民の間で憲法論議が交わされる。
4. 国民投票により、憲法が改正される。
5. 日本は、対米追従を止め、本当の意味での独立国となる。
6. 民主主義が深まり、日本は他国からも尊敬される国家となる。

 

さて、明日は衆院選挙の投票日です。明日が、上記のシナリオを踏み出す記念すべき1日となることを願って止みません。