文化で遊ぶ

(旧タイトル:文化の誕生)

No. 148 ”私”から、”私たち”へ(その1)

 

雨の日が続きますが、皆様はいかがお過ごしでしょうか。今日、吉野家へ行ったところ、メニューに季節限定の「牛すき鍋膳」が追加されていました。もう、冬はすぐそこです。

 

さて、衆院選も終わり、少しこのブログを振り返ってみました。非公式なものを含めますと全部で165の記事を掲載したことになり、これを原稿用紙に換算しますと千枚を超えることが分かりました。チリも積もれば山となると言いますが、ちょっとした感慨があります。また、このブログの特徴は“ひたすら文化について考える”という点にある訳ですが、そんなことをやっているブログというのは、極めて稀だと思います。もしかすると、他にそんな例はないのかも知れませんね。そこで、私が何故こんなことをしているのか、振り返ってみることにしました。

 

遡ること半世紀、私は小学校の5年でした。担任の先生は国語が専門だったのですが、ある日、クラスの生徒全員に文庫本が配布されたのです。有島武郎の“一房の葡萄”だったように記憶しています。先生曰く、「これが文庫本というものである。字は小さいが、大人はこういうものを読んでいる。皆さんも、文庫本に慣れ親しむように。また、読み終わったら文庫本の裏表紙の内側に読み終わった日付と感想を書くと良い」。そうか、大人はこういう本を読んでいるのだ、と感動した私は、自分も少し大人になったような気分で、先生の指示を忠実に実行したのでした。最初は童話のようなものを読んでいました。アンデルセンとかグリムも読んだ記憶があります。ただ、文庫本で子供向けのものというのは、当時、そう多くはありませんでした。一通り読み終えてしまうと、少し大人向けの本にも手を出しました。

 

やがて、川端康成ノーベル賞を受賞し、私が14歳の時、三島由紀夫が自決しました。そんな社会的な出来事もあって、私は、文学に興味を抱くようになったのです。しかし、途中で、文学に違和感を抱くようになります。例えば川端康成ですが、当時でも、既に伊豆には旅芸人の一座はいませんでした。「トンネルを抜けると」から始まる“雪国”には、確か駒子という芸者が登場しますが、待てど暮らせど、私はそのように魅力的な芸者さんに出会うことはできませんでした。三島由紀夫の小説は「美しきものは滅びなければならない」というテーゼに貫かれているようですが、では、何故、そうなのか。その答えは書いていない。その後、三島の背景を調べるため武士道に関する本も数冊読みましたが、そこにも納得のできる答えは見つからなかった。結局、右翼というのはメンタリティの問題であって、ロジックに基づく思想はないという結論に至った訳です。その詳細は既にこのブログに記載した通りです。大江健三郎の小説も読みました。ある時、私は大江のこんな言葉に出会ったのです。「私は、息子のことを離れて小説を書いたことはない」。ご案内の通り、彼の息子さんは障害を持たれている。ご苦労があったことは、理解できます。しかし、私はこう思ったのです。それは作家の個人的な体験であり、読者である私がそれを共有することはできない。加えて、日本文学には私小説の系譜というものがあって、作品の中で述べることは個人的な体験であるべきだ、という既成概念まであった。対する私の考え方というのは、個人的な体験をそのまま描いても、それは読者に共有されない。読者に何かを伝えるためには、書きたいと思っていることを普遍化する、若しくは抽象化する必要がある、ということでした。

 

日本で言えば、第二次世界大戦まで、個人とか自由という概念はほとんど語られて来なかった。(板垣退助自由民権運動などの例外はあります。)そして戦後、日本国憲法が制定され、一気に個人主義的な発想が台頭したのではないでしょうか。そこで、近代の思想だとか文学は、個人、すなわち“私とは何か”という問いから出発したのだと思うのです。しかし、端的に言えば、私はこの問いの設定自体に違和感を持ったのです。

 

例えば、私が江戸時代に生まれていたとすれば、私はチョンマゲを結っていたに違いありません。(それは、あなたも同じです!)もっと昔、例えば3千年前の日本に生まれていたならば、多分、私は今頃、ヤリを持ってイノシシを追いかけていたでしょう。個人というのは、時間的、空間的制約の中で生きている。換言すれば、個人というのは、ある背景となる条件があって、その条件の中で生きているに過ぎないのではないか。そして、その背景となる条件は、時として、大きく動く。例えば、私が愛して止まなかったロックミュージックは、1975年頃を境に、急速に衰退していった。(この頃、モダンからポストモダンへと時代のメンタリティが動いたことは、既に述べた通りです。)何か、集団に共通する心理的な状態というものがあるのではないか。

 

そう思い始めた私は、例えば、ユング集合的無意識という考え方に惹かれたのでした。その後、トランスパーソナルにも興味を持ちました。すなわち個人というのは、どこか深い所で、実はつながっているのではないか、という考え方です。ここに至って、私は“私たちとは何か”という問いを設定したのです。

 

ダーウィンの進化論にも興味を持ちました。これは、突然変異と適者生存をベースに生物の進化を説明するものですが、本当にそうでしょうか。例えば、生物の中には保護色を持つものがいます。しかし、自分の体がその背景となる地面などと同じ色になっているのかどうか、それをその個体が自分で確認することはできない。そうしてみると、やはり、個体を見ている別の個体というものを設定し、個体同士が何らかのコミュニケーションを取っていると考えないと、ある個体が自らの体を保護色に染めることはできないはずだ、などと考えた訳です。しかし、今日ではダーウィニズム分子生物学のレベルまで発展していて、極度に文科系(理数系がまるでダメという意味)の私には手に負えない問題だということが分かってきます。

 

八方塞がりになってしまった私は、それでも、個人(個体)に多大な影響を与えているある条件とは何か、すなわち“私たちとは何か”ということをどうしても知りたいと願っていました。そしてある日私は、文化人類学に出会ったのです。