文化認識論

(世界を記述する。Since Oct. 2019)

No. 151 記号化する若者たち

前回の原稿で、文化には精神文化、物質文化、そしてその中間に位置する中間文化があるのではないか、と述べました。(「中間文化」というのは、私がそう言っているだけで、学術用語ではありません。)このように考えますと、私たちは朝起きてから、夜、眠るまで常に文化の中にいることが分かります。人間というのは、自らが作り出した文化の中で生きて、文化の中で死んでいく。そういう動物なんですね。

 

さて、文化を3種類に分けて考えますと、見えてくることがあります。まず精神文化ですが、これは中世の宗教において一つの頂点を迎え、それが近代に入って哲学や自然科学によって否定され、遂には民主主義に至る。その要諦は、日本国憲法に書いてある。言ってみれば、もう70年も前に、完成してしまったんですね。その後も思想だとか文学の世界で、色々な人たちが様々な意見をのべたり、作品を作ってきた訳ですが、日本国憲法の3原則を超えるような価値観というのは、未だに生み出されていないのではないか。若い人たちは、そのことに気付いているのかも知れません。

 

次に物質文化ですが、その発展にも、一定の限度があるような気がします。例えば、冷蔵庫は家に1台あればいい。電子レンジだって同じですね。確かに現代のスーパーマーケットには、食品が溢れていますが、そうは言っても我々日本人が食べる量には、限度がある。そして、私たちは既に必要なモノを概ね、手に入れてしまった。

 

このように考えますと、今、最もエキサイティングに発展しているのは、中間文化なのではないか。典型例として、絵画というものがある。現実に存在する自然だとか、動物や人間の姿を表したものが絵画な訳ですが、やがて物質文化の産物としてカメラができる。ひとたび、飽きられてしまったような気がしますが、デジカメなるものが登場し、ネット上のインスタグラムにアップするという楽しみ方が生まれる。更に、これが動画に発展し、こちらもYouTubeにアップできる。昔の人物画は、漫画やイラストとなり、大量に創作される。このブログのように文字による情報も、今やネットに溢れています。1975年頃、近代という時代が終わり、ポストモダン、すなわち現代という時代が幕を開けたものと思われますが、現代という時代が育んでいる中間文化は、ネットに依存している比率がとても大きい。

 

現代の若者たちは、既に、中世に生まれた宗教を信仰していない。近代思想も持たない。モノに執着しない。極端に言えば、彼らは最早、人間にすら興味を持っていないのではないでしょうか。彼らは、多分、インターネットに象徴される中間文化の中で、その居場所を探している。そんな気がします。そして、そのためには、自らを記号化し、記号化された自分を演じているのではないか。例えばTwitterを始めるためには、自らのハンドルネームとアイコンと呼ばれる象徴的な写真が必要です。もちろん、これらも記号です。ハロウィンに参加して楽しむためには、ゾンビとかピエロの格好をして、他の人たちとは区別され、目立つようにしなければなりません。これが、記号化だと思います。例えば、体にタトゥーを入れる。これも自らの身体を他人のそれとは区別する、すなわち記号化が目的なのではないでしょうか。

 

信仰も思想も持たない、モノにもあまり興味のない彼らが、自らのアイデンティティーを確立する最も手っ取り早い方法が、記号化だと思うのです。そう言えば、Lineのスタンプなんてものも流行っていますね。

 

この自らを記号化するというメンタリティは、古代人に通ずるものです。狩猟、採集を生業としていた古代人も、今風に言えばコスプレをしていました。装飾品を身にまとい、入れ墨も好んでやっていたようです。

 

私は、ゾンビの格好をしてハロウィンを楽しんでいる若者たちを批判するつもりはありません。遊んだらいいと思います。遊びの中からこそ、新しい文化は生まれるのです。彼らだって、翌日には真面目に学校や職場に行っているのでしょう。ただ、古代人のメンタリティ、その本質は「感覚」にあると思うのですが、それだけというのは、ちょっと寂しい気が致します。