文化で遊ぶ

(旧タイトル:文化の誕生)

No. 155 記号論の基礎知識(その2)

前回の原稿で述べましたラングについて、ソシュールは、次のように述べています。

ラングは「言語能力の社会的所産であると同時に, 個々人におけるこのような能力の行使を可能にするために社会集団によって採用された, 不可欠な慣例の総体でもある」。(文献1)

 

また、ソシュールはラングの他にも個人的な声の質とか、個人的な言葉の選び方の傾向なども言語を考える上での重要な要素だと考え、これをパロールと名付けました。そして、ラングとパロールを合わせて考えることによって浮かび上がってくる言葉の全体的な姿をランガージュと呼んだのです。(文献2)

 

ランガージュ(全体的な姿)= ラング + パロール

 

以上の検討結果から、ソシュールは言語について、2つの原則を導き出しました。1つ目は、「言語記号の恣意性」ということです。これは、ある果物のことをリンゴと呼ぼうがアップルと呼ぼうが、その果物と呼び名の間には特段の原則はない。つまり、あるものをどう名付けようが勝手である、という意味です。2つ目は、「線状性」です。これは、言語を文字で表記した場合には、必ず一本の線のように並ぶ、という意味です。話し言葉にしても、人間は同時に2つの音素を発音することができませんので、それを文字にした場合には、必ず線状になります。なんだか、難しそうなことを色々述べて来た割に、これらの原則は、当たり前のことのように感じます。但し、ソシュールが評価されている理由は、言葉や言葉が意味する内容がいかに曖昧であるか、それを証明した点にあるものと思われます。

 

(余談にはなりますが、この線状性の問題については、次のような説もあります。「近代文明全体は活字の書体の線状モデルに支配されており、そして、われわれの現代世界が新しい形の感性の出現を体験しているのは, 多くの新しい(電子的, 視覚的)記号がもはや線状的にではなくて, 空間的・包括的にわれわれに到達しているからなのだ」。やはり、私たち人類は、新たな時代を迎えつつあるのかも知れませんね。)(文献1)

 

こうして振り返ってみますとソシュールは、コミュニケーションが成立するための条件など、言語学に興味を抱いていたことが分かります。しかし、私たちは言語によって、考えたりもします。必ずしも、言語はコミュニケーションだけを目的としたツールではありません。更に、私たちが生活していく上で、例えば横断歩道があり、信号機がある訳で、これらも記号として機能していることは明らかです。そこで、ソシュール以後の学者は、記号というものをもっと広い範囲で考え始めたようです。例えば、記号をその発信源別に考えてみますと、人間の他にも自然現象や動物も記号を発信している。このように記号を広く解釈するのが最近の傾向だと言われています。(文献1)このような発想を発展させますと、遺伝子の研究、動物記号論、動物の体内でのコミュニケーションを研究する内部記号論などに繋がっていくようです。

 

ところで、記号が表わすその“意味”とは、何でしょうか。この問題に関しましては、言葉が、特に文章となった場合、その意味は無限大に拡大します。よって、その意味がどういう体系になっているのか、これを万人が納得するような説明はなされていない、ということになっています。但し、単語の発音をその最小限の単位である音素に分解できたように、意味を最小限の構成要素(意味素)に分解することができれば、いずれは説明が可能ではないか、という説もあるようです。

 

現代の記号論におきましては、“機能としての記号”という問題も研究対象となっています。例えば、椅子がある。これは座ることができるという意味を持っている記号であるとも言えます。ファッションも、見方によっては、記号であると解釈できます。

 

例えば、あなたが気になる異性とバーで飲んでいたとしましょう。仮にその異性が、あなたの膝に手を置いたとします。この異性の行為をあなたの膝は、感知しています。このような異性の行為は、あなたにとって記号でしょうか。もし、あなたがそこに何らかの意味を読み取るのであれば、この異性の行為は記号である、ということになります。

 

チャールズ・モリス(1903~1979)という人の言葉を引用させていただきます。

 

「何かが記号であるのは, それがある解釈者によって何かの記号として解釈されるからである」。

 

(参考文献)
文献1: 記号論入門/ウンベルト・エコ/而立書房/1997
文献2: ソシュールのすべて/町田健/研究者/2004