文化で遊ぶ

(旧タイトル:文化の誕生)

No. 156 記号に関する試論

前2回の原稿(~基礎知識)では、極力私の意見は抑えて、一般に言われていることを忠実に記載したつもりです。しかし、どうもこれでは良く分からない。そこで今回は、私なりの記号についての考え方を記載させていただきます。

 

まず、ソシュールの理論の基礎は言語学、コミュニケーション体系にあるのであって、記号全般について検討するには適さないのではないか、ということです。例えば、言語学を野球に例えてみますと、いくら野球の研究をしたとしても、スポーツ全般のことは分からない。それと同じではないか。すなわち、“記号”というのは言語よりも範囲が広い。“意味”となると、更に対象範囲は拡大すると思うのです。だから、言語学をベースにいくら記号や意味について考えても、結論には至らないのではないでしょうか。

 

まず、No. 154の記事で紹介致しましたソシュールが前提とした“記号”の定義について、振り返ってみます。

 

記号   =  知覚される図形や音  +  意味
シーニュ =  シニフィアン     +  シニフィエ

 

そもそも、これが違っているのではないでしょうか。記号とは、上の図式でシニフィアンとして記載されている「知覚される図形や音」そのものであると考えた方が良い。何故ならば、“意味”という概念は、記号よりも広いからです。よって、シニフィアンこそが記号である、というところから出発してみたいと思います。(実際、学者の中にも、シニフィアンを記号と呼んだ人もいるようです。)私が、提示したいモデルは、次の通りです。

 

実体・・・記号が指し示す事柄
 ↓
記号・・・物の機能、人の意図
 ↓
意味・・・価値判断。自分と記号、対象との関わり
 ↓
反応・・・行動、思考、心理的作用

 

一目見て分かる通り、これは人間同士のコミュニケーションのみを対象とする概念モデルではありません。むしろ、人間が環境を認知し、行動に移すまでのプロセスを示していると言えます。少し、具体例を挙げてご説明致します。

 

私が歩いていて、交差点に差し掛かったとします。信号機が赤い色を表示しています。物理的に存在しているこの信号機が “実体”です。私は、「赤信号だ」という言葉を胸の中で呟きます。この赤信号という言葉が“記号”です。この記号は、対象である信号機の機能を意味しています。すなわち、「信号機とは、自動車や歩行者の通行を規制することによって、それらの通行の円滑化を図ると共に、安全を確保する」という機能を持っている訳です。そこで私は、今、交差点を横断するのは危険であるという“意味”を抽出します。そして、その意味に従って、私は立ち止まるという“行動”(反応)に出る訳です。

 

もう一つ、時計の例で考えてみましょう。まず、時計という物理的に存在している“実体”があります。時計の針が、夜の8時を指していたとします。これも“記号”ですね。私は、自分の置かれている状況と記号の関係などから“意味”を抽出しようとします。そう言えば、ビールが飲みたいな、飲んでもいい時間だな、と思う訳です。そこで、晩酌という“行動”(反応)を取ることになります。

 

人間同士の例も考えてみましょう。あなたは、バーで飲んでいます。隣に異性が座っています。この異性は、実在する人物という意味で“実体”ということになります。その異性があなたの膝に手を置いたとします。(この例、前にも使いましたね!)あなたは、その異性の行動に何らかの意図を感じます。従って、その異性の行動は、“記号”であることになります。あなたはちょっとドギマギしながら、あなた自身と、実体であるその異性と、異性のとった行動について考えるはずです。それが“意味”だと思うのです。例えば、あなたとその異性との関係が、今後、恋人同士に発展することをあなたが望んでいるような場合、あなたは異性の手の上に自分の掌を重ねるかも知れません。例えばあなたが既婚者で、そういうことは困る、という場合もあり得ます。この場合、あなたはさり気なく席を立つかも知れません。これが、“行動”(反応)ということになります。

 

ソシュール記号論の文献を何冊か読んで、そこから抽出した私にとっての“意味”が、上記の概念モデルであると言えます。現代の記号論というのは、もっと複雑で、記号の分類などを研究し続けていえる人も少なくないのだろうと思います。しかし、文化を考える立場から言えば、上記のモデルで一応の決着がついたような気がします。すなわち記号とは、物の機能や人の意図と深く結びついている。そして、人々は記号を通して、自分と外界とのつながり、すなわち意味を考えて来た。そういう歴史がある。記号なくして、人々は外界を理解することはできないし、外界と自らを結びつける意味を抽出することもできない。現代に生きる我々の場合は、既に、ほぼ100%の外界は記号化されている。他方、古代人の場合には、何か新たな実体に遭遇する度、それに名前を付け記号化すると共に、そこに意味を探してきたのではないでしょうか。例えば、夜空に稲妻が走る。しかし、彼らには意味が分からない。疫病が流行って、人がバタバタと死んで行く。その意味も分からない。イナズマとか、死とか、その現象に名前を付ける、すなわち記号化するところまではできても、その先の意味を見つけることができない。そんなところから、アニミズムが生まれたのではないでしょうか。

 

このように考えますと、前述の実体、記号、意味、反応という人間の認知、行動に関わるシステムは、人間が如何に文化を産み出してきたのか、ミクロで見た場合、その基本構造を示しているようにも思うのです。