文化領域論

(No.196 ~ No.228)

No. 165 記号学のパースが面白い(その2)

パースは、「日常いつでも誰の心にも現われるもの」を現象と呼び、独自の現象学を提示しました。本文献には「現象学はただ、どんな仕方においてであれあるいはどんな意味においてであれわれわれの心に現われるいっさいのものを直接観察し記述し分析し、そこにいっさいの存在の最も普遍的一般的な原理を求めるものである」とあります。そして、パースは現象を3つのカテゴリーに分類したのです。そしてパースはこれらのカテゴリーを「単に論理的関係の概念としてだけではなく、それらを、あらゆる現象の基本的な存在様式として、または普遍的カテゴリーと考え」たのです。今回は、この3つのカテゴリーについて見ていきたいと思います。

 

第1次性
・例: Xは赤い
・例えば「アダムが最初に見た世界」。いかなる区別も立てず、新鮮で、自由で、生き生きしていて、すぐに消えてしまうもの。
・外からの強制もなく、法則にしばられることもなく、理性や思想の制約も受けず、それらのいっさいの関係から解放された自由で自発的な限りない多様性としてのものの在り方。
・記述することのできない未分化なものの在り方。

 

第2次性
・例: XはYを愛する。
・無限定的な第1次性が発展すると分化、2元的な対立が生まれる。
・典型的な概念としては、強制、闘争、衝突、抵抗、作用と反作用、事実、経験など
・現実的な事実の世界。
・例えば、突然の轟音にびっくりするなど、純粋に二極的な関係であるようなものの在り方
・現実性に理性はない

 

第3次性
・例: XはYにZを与える。
・例えば、コミュニケーションは、共通の言語などの媒介がなければ成立しない。このように媒介あるいは中間性の存在様式をパースは第3次性と呼ぶ。
・普遍的、一般的、法則的なものの在り方。
・第3次性とは、二つのものの間の媒介性または中間性を意味する。したがって、第3次性は何よりも記号の表意作用(representation)において、その特徴を顕著に現わす。

 

そして、第1次性、第2次性、第3次性はそれぞれ異なる独自の構造を有しており、第3次性を第2次性に、第2次性を第1次性に、それぞれ還元することはできない、ということになるのです。何か、とてつもない理論のような気がしますが、実はパースの上記の考え方は、ヘーゲル弁証法にヒントを得ています。

 

「パースがカテゴリーを三つに定めたのは多分にヘーゲルの「思想の三段階」 -定立、反定立、総合- から示唆を得ている。」

 

「パースはつまり宇宙におけるいっさいの事象をカオスから秩序へ、偶然から法則へ、対立から統合への弁証法的習慣形成の過程において見る宇宙進化論者であり、その進化論には絶対精神へと止揚されるヘーゲル的な弁証法的精神進化の過程を思わせるものがある。」

 

パースの思想の根底には、人間といえども自然が生んだものだ、だから最終的には自然界、宇宙を支配する法則に従うはずだ、という考え方があるようです。

 

そもそも出発点である“現象”とは、“心の中に現われるもの”だったはずで、そこから私なりに考えてみましょう。

 

まず、第1次性ですが、これは何の拘束も受けない混沌とした心理状態を指していると思います。私たちは“夢”において、このような心理状態を体験していると思います。また、精神病患者の夢と神話に出て来るイメージの関連から、ユングは元型という概念を導きました。そういう、混沌とした心の状態というのは、存在するのだろうと思います。ジャクソン・ポロックがその抽象絵画で表現しようとした世界も、この第一次性に関わるような気がします。

 

第2次性というのは、現実の、物的な世界のことだろうと思います。机の角にぶつかれば痛い。物質というのは、ある空間を独占的に占領しているのであって、そこを侵そうとすると衝突が生まれる。自然界においては、昼と夜、夏と冬などの2項対立があって、それは古代人が強く意識してきたことだろうと思います。現代人もクルマにぶつからないようにとか、無意識のうちにそのようなことには注意を払っている。現実的な2項対立の関係、それが第2次性ということだと思います。

 

第3次性において、初めて記号が登場します。それは媒介的で、中間的なものとして論じられています。この段階において、調和が生まれる。パースはそう考えていたんですね。ということは、記号が調和を生む。そういうロジックの大きな流れをイメージしていたのかも知れません。

 

それにしてもパースは、人間の心の中から自然界の構図まで、たった3つのカテゴリーで説明しようとしたんですね。それが正しいのかどうか、私には分かりません。ただ、その思想のスケールの大きさには感服せざるを得えないのです。