文化領域論

(No.196 ~ No.    )

No. 169 人工知能と文化(その2)

人工知能の発展段階につきまして、シンギュラリティということが論議の的になっているようです。技術というのは、右肩上がりに進歩して行く訳ですが、それは例えば毎年、倍の速度で発展を遂げる。最初は1の倍で2になりますが、その後は4、8、16、32という具合に進歩の速度が上がっていく。そうすると、どこかの段階で爆発的な発展を遂げ、人工知能が人間の知能を凌駕するに違いない。このタイミングがシンギュラリティ、技術的特異点と呼ばれているようです。それは2045年頃だろうという説がありますが、例えばSoftBank孫正義氏は、講演会で2030年頃ではないか、と述べていました。今から12年後ということになります。

 

しかし、コンピューターは既に私たちの暮らしを一変させています。そして、一部の機能におきましてコンピューターは、既に、人間の知能を越えている。例えば、チェス、将棋、囲碁の世界で、人間はコンピューターに勝てなくなった。将棋の例で言えば、24時間、延々とコンピューター同士で戦わせる。そして、そこから得られた情報をコンピューターに記憶させる。学習させると言った方が、正確かも知れません。そんなことをされては、いくら名人でも、人間が勝てるはずがありません。最近、若手の棋士は、コンピューターの指す手を勉強しているそうです。エクセルの表計算にしたって、ちょっと人間では勝ち目がありません。カーナビにしたって、既に私たちはコンピューターの指示に従って、行動しています。

 

既に、いくつかの分野において、シンギュラリティは現実化していると言えるでしょう。

 

SFっぽい話をすれば、やがて人類が人工知能に支配されるとか、いつか人類は滅びるが、人間の知性はデータ化され、ロボットの中で知性だけが生き続けるなんて話まであります。どうなるのか、それは誰にも分かりません。

 

ちょっと話を現実に戻しましょう。最大の問題は、仕事です。人工知能やロボットが普及しても、人間の仕事を奪うことはない、新しい仕事も生まれると主張している人たちもいます。しかし見たところ、このような主張をしているのは、人工知能やロボットで一儲けしようとしている人たちではないでしょうか。私は、人工知能やロボットの進展により、人間の仕事は、確実に減少すると思います。そして、それらに取って代わられる仕事というのは、必ずしも人間にとっての単純労働ばかりではないと思います。人間を中心に考えるのではなく、人工知能やロボットの観点から、考える必要がある。彼らにできる仕事であって、彼らのコストが人間を下回れば、もしくは彼らのパフォーマンスが人間を上回れば、その仕事は、彼らに取って代わられる可能性がある。そして、人工知能やロボットが行い易い仕事というのは、パターン化されていて、イレギュラーな処理、判断を要求されないもの、ということではないでしょうか。

 

この問題をほおっておくと、人工知能やロボットを導入できる大企業だけが、まず、生き残ることになる。しかし、大企業と言えども、消費者の購買力がなければ、成り立たない。しかし、失業者が溢れかえってしまうような社会では、消費も低迷する。従って、大企業と一般の消費者の双方が、共倒れしかねない。問題は、もうここまで来ているのではないでしょうか。そこで、先進諸国では、既にベーシックインカム論議がなされているようです。すなわち、人工知能やロボットに職を奪われて失業した人たちに、必要最小限の金銭を国が支払うということです。しかし、そんな制度を導入して、人々が生きがいを感じるだろうか、という問題もある。

 

いよいよ、資本主義も行き詰まってくるのでしょうか。

 

孫正義氏は、「今後、全ての産業は再定義されなければいけない」

と述べていましたが、私にしてみれば、人間社会のあり方こそ、再定義すべきだと思うのです。