文化領域論

(No.196 ~ No.    )

No. 172 命名、記号原理

対象、記号、意味、行動の4要素で、人間の認知・行動システムと多くの文化的事象を説明することができる。そして、これらの4つの要素は、いずれが欠けても、そのシステムや文化的事象は完結しない。私の知る限り、このような考え方を提唱した最初の人物は、私なのです。従って、私にはこの考え方に名前を付ける権利がある。そこで若干、僭越な気がしないでもありませんが、この考え方を「記号原理」と呼ぶことにしました。もちろん、記号過程という考え方を提唱したパースには、敬意を表しつつ。

 

しつこいようで恐縮ですが、例えば将棋。将棋の駒というのは、記号ですが、それが表している対象は、中世の「戦さ」なんです。歩兵がいて、王将が取られると負けになる。記号に意味を与えるのがルールですね。だから、人々は、将棋を指す。

 

対象・・・戦さ

記号・・・駒

意味・・・ルール

行動・・・将棋を指す

 

私にとっては不得手な分野ではありますが、記号原理によって、恋愛も説明できます。若い人たちは、心の中に恋愛対象についてのイメージを持っている。そして、誰か異性が現れる。異性は、その仕草や服装、アクセサリーや行動など、シグナルを発している。これが記号ですね。それらの記号が自分の心的イメージに合致していた場合、若者はその異性と自分との関係をなどを考える。これは運命の出会いかも知れないなどと考えますと、恋愛が成立する訳です。

 

対象・・・理想のイメージ

記号・・・異性の発するシグナル

意味・・・ドラマチックな出会いなど

行動・・・恋愛関係になる

 

しかし、ここで一つ付け加えておくべきことがあります。それは、生鮮食品などと同じように、記号にも鮮度というものがある。これは、記号鮮度と呼ぶことにしましょう。どんなに若者を惹き付けた異性の記号も、時間がたつにつれ、その鮮度が落ちてくる。飽きてくるんですね。よく、ラブソングの歌詞に、あなたを一生愛し続けるというようなものがありますが、これは幻想だと思います。

 

余談はさておき、実は、以前から書こうかどうしようか迷っていた話があるのですが、今回、書いてみることにしました。

 

もう、数年前の話です。クルマでは走りなれた道なのですが、その日、私は歩いていたのです。その理由は、もう忘れました。十字路があって、その一角にはコンビニがある。横断歩道を渡って、数メートル行くと、電信柱があって、そこに小さな花束が立て掛けてあった。それは、花屋で買ったものではなく、誰かが野原で摘んできたもののように見えました。そして、花束の少し上の方に、張り紙があったのです。その張り紙は、風雨にされされ、もうボロボロでした。マジックで記された文字も霞んでいましたが、何とか読むことはできたのです。そこには、こう書かれていました。

 

「いつも娘のために有り難うございます。」

 

以上の事柄は、私が見た事実です。ここから先は、私の推測です。多分、その十字路で、交通事故があって少女が死んでしまった。その現場に居合わせたかどうかは分かりませんが、そのことをある人が知ることとなった。その人は、少女の霊をなぐさめるため、野の花を摘んでは、その電信柱に立て掛け続けた。ある日、亡くなられた娘さんの両親が、そのことに気付いた。きっと、自分達の娘のために花をたむけてくれているのだ。お礼を言いたいけれども、どこのどなたか知る由もない。そこで、電信柱に張り紙を張った。その人は、張り紙がボロボロになってもなお、花をたむけ続けている。

 

対象・・・少女の霊

記号・・・事故現場となった交差点

行動・・・花をたむける

意味・・・慰霊

 

アニミズムと言ってしまえば、それだけのことかも知れません。しかし、このようなエゴイズムとは無縁の、無為の行為に接し、私はただ電信柱の前に立ち尽くしたのでした。

 

 

以上