文化領域論

(No.196 ~ No.    )

No. 176 人の心の壊れ方(その2)

 

推理小説で言えば、最初に犯人を特定するようなものではありますが、今回のシリーズ原稿でも、最初に結論を述べることに致します。

 

人間の心については、層がいくつかに分かれている。意識の他に無意識があると言って、反対する人は少ないと思います。では、いくつの層に分かれているのか。この点、ユングは表層の方から、意識、個人的無意識、集合的無意識の3つだと述べています。(後年のユングは更に深い所に「類心的レベル」があると言ってはいますが)パースは第1次性から第3次性までの3つだと言っています。このユングとパースの分類は異なるものだと思って来たのですが、よくよく考えてみますと、本質的に大差はないのではないか。そう思うようになりました。別の言い方をしますと、一応、人間の心には3つの層があるという考え方に、私も賛成だということになります。なお、ユングの場合は表層の方から表現され、パースは逆に深層の方からの呼称となります。便宜上、これを対照表にしてみましょう。

 

1次性・・・集合的無意識
2次性・・・個人的無意識
3次性・・・意識

 

以後、パース流の呼称をベースに表記させていただきます。

 

詳細は後述するとして、1次性の心の状態を一言で表現すれば、「カオス」ではないでしょうか。パースはこの心の状態を「未分化で、あたかもアダムが初めて見た世界のよう」と述べています。未だ言葉がないから、何も区別することができない。だから、未分化ということになるのでしょう。ユングに言わせれば、「人種や時代を超えて、人々が持っている共通のイメージ」ということになります。いずれにせよ、混沌としている。こういう心の状態というのは、もちろん現代に生きる私たちの心にも生き続けている。そして、1次性の心は、記号原理を経て、具体化される。そして、文化となり、原始的な「祭祀」を生んだに違いない。この心の状態は、性的であり、暴力的であり、エゴイスティックであり、動物的である。

 

2次性の心というのは、個人的な経験に関係している。とりわけ、外界と親和的な関係を結んだ経験が、心の中にイメージとして蓄積される。それは、景色であったり、象徴的な「物」であったりする。そして、人々はそのイメージを追い求める。この人間と外界との親和的な関係が2次性の本質であって、このような心の状態を一言で表現すれば、「調和」ということになる。この2次性の心は、記号原理を経て、「呪術」という文化を生んだ。

 

3次性の心というのは、パースが言ったように、正に記号の世界である。そこでは心的イメージや1次性の衝動も抑圧される。その抑圧の根拠は、規範であったり、論理性であったりするに違いない。この3次性の心は、外界や論理に服従し、屈服する。3次性の心も記号原理を経て、「神話」という文化を生んだ。

 

このブログで、私は精神文化について種々の検討を加えてきましたが、その本質を考えますと、上記の通り、祭祀、呪術、神話の3要素に還元できるのではないかと考えるに至ったのです。シャーマニズムは、祭祀と呪術の中間的なものであって、これは省略しても良い。祭祀、呪術、神話。この3要素が精神文化を構成する単位であって、宗教はそれらを総合したに過ぎない。

 

更に、1次性の心が暴発すると、人は暴力的になり、最悪の場合は殺人を犯す。

 

心が3次性の領域に寄り過ぎると、人は内省的になり過ぎ、うつ病になったりする。最悪の場合は、自殺に至る。

 

誰の心にも、1次性から3次性までの領域があると思いますが、その比率は人それぞれに異なる。そのバランスが崩れた時、人の心は壊れるに違いない。

 

1次性に寄り過ぎた人と3次性に寄り過ぎた人は、バランスが崩れているので、2次性を目指すべきだと思うのです。2次性とは、すなわち個人的な経験からくる心的イメージであり、象徴的な「物」との関わりであり、そして呪術である。ここにこそ、心の調和がある。これが、本原稿の結論です。では、一覧にしてみましょう。

 

1次性/カオス ・・・ 記号原理 ・・・ 祭祀

2次性/調 和 ・・・ 記号原理 ・・・ 呪術

3次性/受 容 ・・・ 記号原理 ・・・ 神話

 

なお、前回の原稿で、うつ病を患っている方がバイクの免許を取得しようとしている話を書きましたが、バイクというのは「物」であって、これは2次性なんですね。よって、バイクに関わるという行為には、心を癒す働きがある。そう思います。