文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

No. 177 人の心の壊れ方(その3)

 

一昨日、晩酌のビールを飲みながら“イッテQ”という番組を見ておりました。女性芸人の方々がフィンランドを訪ねているのですが、そこで現地の女性たちからダンスを教わる。そのダンスというのは、馬の歩き方、走り方を真似するんです。確かに、熟達したフィンランドの女性たちは、馬が走っている時の足の動きをうまく再現している。本当に馬の足とそっくりだなあ、などと感心しながら、ふと閃いたのです。ダンスというのも、実は動物の動きを真似る所から始まったのではないか。そう言えば、バレエの演目には“白鳥の湖”というのがある。

 

ちょっと違うかも知れませんが、そう言えば盆踊りの炭鉱節というのは、炭鉱での作業の様子を再現している。ドジョウ掬いなんてものもありますし、若い人たちだって、ロボットダンスと言って、ロボットの動きを再現して、踊っている。いずれにせよ、昔から人間は動物の真似をしてきたに違いない。そこに文化の起源がある。動物の鳴き声を真似して、歌ができた。動物の動作を真似して、ダンスが生まれた。

 

では何故、(特に)古代の人たちは、動物の真似をしたのか。暇だったのだろうか。いや、彼らは動物を尊敬していた。だから、動物の真似をしたのだろう。自分たちは空を飛べない。でも、鳥たちは優雅に大空を舞っている。例えばイノシシだって、とても早く走ることができる。だから、彼らは動物を尊敬していたんですね。なんて謙虚な発想でしょうか。現代に生きる私たちも、少し見習いたいものです。

 

さて、1次性の心というのは、歌とダンスによって構成される熱狂的な“祭り”と共に育まれてきたのだと思うのです。祭祀と言うと、“祭り”と“儀式”の総称ですが、秩序立てられた“儀式”が生まれるのはずっと後のことで、それ以前の何万年という間、人々は熱狂的な“祭り”を繰り広げていたはずです。

 

では、人類が最初に“祭り”を始めた頃の状況を想像してみましょう。彼らは、狩猟採集民です。一人で狩りを行うのは困難なので、彼らは集団で移動しながら生活をしています。辞書なんてものはありません。ラジオ放送もありません。従って、彼らの話す言葉は、100%の方言で、通じない場合も少なくなかったことと思います。法律もなければ、モラルもありません。暴力沙汰なんてものは、日常茶飯事だったことでしょう。力の強い男が女たちをレイプする。そんなことも、当たり前だったのではないでしょうか。そんな暮らしの中で、誰かが歌を口ずさむ。誰かが踊り出す。それが、例えば何かの動物に似ていれば、それは人々の共感を生み、他の者も真似をしだす。何しろ、真似をするというのは、1次性の心を構成する基本的な要素だと思うのです。どこかに臨界点があって、例えばその集団の過半数の者が踊り出した場合、残る者も踊らざるを得ない。そうしなければ、仲間外れにされてしまう。そして、全員が踊り始める。全員で同じダンスを踊っていると、そこに連帯感が生まれ、集団の結束が強くなる。

 

そんなことを長時間続けていると、誰かがトランス状態になる。これがなかなか気持ちいいんですね。脳の中にドーパミンが発生するのです。更に人々は、大麻などのドラッグを使い始める。こういう歴史の中から、私たちの心の中に1次性というカテゴリーが生まれた。だから、この1次性という心の状態は、性的であり、暴力的であり、動物的であると言えると思うのです。そこに論理性はありません。力の強いリーダーが支配していて、全てはそのリーダーが決定する。してみると、論理性というのは、むしろ否定される。圧倒的な独裁制であり、集団主義だと思うのです。論理性がない。だから、この1次性は、カオスという一語によって、象徴されると思うのです。

 

では、1次性の心というのは、壊れることがあるのか。当然、あったのだろうと思います。半世紀程前、パプアニューギニアのイワム族で、アムックと呼ばれる一時的な精神錯乱が確認されています。他の民族でも、同様の事例が多数確認されていますが、錯乱状態に陥った人が、最悪、殺人まで犯します。アムックという現象が起こる原因としては、心理的なストレスが原因となっている可能性があるようですが、本当の所は分かりません。

 

そんな昔のことは関係がない、と思われるかも知れません。しかし現代の日本にも、この熱狂的な祭りは、存在します。YouTubeで検索をしますと、日本各地に“喧嘩祭り”とか“男祭り”と呼ばれる習慣が存在します。これらの祭りは熱狂的で、興奮し過ぎた男たちが喧嘩を始めてしまう。喧嘩の表面的な理由というのは、些細なことだろうと思うのです。そして、喧嘩をする本当の理由は、多分、祭りによって興奮し、暴力的な本性が剥き出しになるからではないか。落ち着いてから当の本人に喧嘩の理由を尋ねても、多分、彼らは合理的な理由を説明できないのではないか。これって、イワム族のアムックとそっくりではないでしょうか。こういう祭りで興奮するのは、女性も同じだと思われます。若い女性が、お揃いのハッピを着て、お化粧をして、熱狂的に踊る。そういう動画もあります。

 

非論理的な1次性という心の状態は、バランスが取れていない。むしろ、狂気を孕んでいる。だから、熱狂的な祭りによって、蓄積されたストレスなり狂気を少しだけ解放している。そういう側面もあると思います。

 

また、1次性の心が興味を持っている対象は何かと考えますと、それは人間と動物だろうと思うのです。人間の赤ん坊が心を持つに至るプロセスを考えましても、最初に持つ心の状態というのは、この1次性だと思います。幼児というのは、時に残酷で、エゴイスティックで、非論理的で、人間と動物に興味を持っている。

 

現代に生きる私たちの全員が、この1次性という心の状態を持っている。1次性は、最もポピュラーな心理状態だと思うのです。そしてこの1次性は、身体感覚と不可分であって、感覚的、感情的と表現しても良いと思います。私たちが、プロレスの流血シーンに興奮したり、他人の不倫に興味を持ったりするのも、この1次性のなせる業だと思うのです。