文化で遊ぶ

経験が心を作り、心が文化を誕生させる

No. 183 3次性についての要約書

動物との関係: 人が動物を敬う

 

興味の対象: 概念と論理

 

古代の文化種別: 動物信仰、アニミズム

 

文化の進展プロセス: 古代において人間は、超越的な何者かの存在を信じ始めた。これがアニミズムだが、その契機としては、動物、死体、自然現象の3種類が考えられる。例えば、山中で人は突然、動物と出会う。動物は、人間に何らかのシグナルを発する。すなわち、人間にとって動物は、“記号”として現出する。記号は、それ単体では存在し得ない。記号とは、それが指し示す“対象”を呼ぶ。そこで、対象としての神の存在が信じられた可能性があるのではないか。日本で言えば、人が山中でキツネに出会う。キツネは何かを指し示しているに違いないと、古代の日本人は考えた。そこで、記号が指し示す“対象”としての神という概念が生まれる。すなわち、キツネは神の使いであると考えたのだ。そして、太古の日本人は稲荷神社を創建した。他国においても、動物信仰、特定の動物を食してはいけないとする戒律は、多く存在する。このアニミズムという心的な現象は、人間の想像力に依拠している。

 

太古の時代において、人は死体を埋葬するという習慣を持っていなかった。あちこちに、死体が転がっている。そして、人は生きている自分たちと、動かない死体の相違に思いを馳せたに違いない。そこで、人間は“魂”の存在を想定した。すなわち、生きている自分たちには“魂”があって、死体にはそれがない。このような文化現象もアニミズムの一種だと考えて良いのではないか。(魂が抜けると死ぬという「脱魂型」の考え方と、何かに取り憑かれる「憑依型」がある。)

 

自然現象については、それを説明する神話へと連なっていく。

 

アニミズムの次に、融即律という現象が表われる。これは、例えばある日、突然「自分たちの祖先はバナナである」と述べて、以後、バナナを食べることを禁じたイワム族の村長の例が典型的だ。融即律については、ある事柄を真剣に考え続けた結果、夢の中でその回答を得るという形態が典型ではないか。言わば、夢の中で神のお告げを聞くのである。従って、融即律というのは、個人的な経験に根差していると言えよう。

 

次に、「物語的思考」が表われる。例えば、火山性のガスが排出されている危険な地域がある。近隣の村では、その一帯に魔物が住んでいるという物語を作って、村民がその一帯に近づいてはいけないというタブーを作っている。この例では、多分、火山性のガスを吸い込んで健康を害した村人が、過去に何人か存在したのではないか。そういう経験と、魔物が住んでいるという想像力とが相まって、物語が作られたと考えるのが自然ではないか。ただ、この3次性という心的な領域は、物語を創り出す力を持っているのであって、それを信奉した多くの人々は、1次性の領域を持つ人々ではないか。

 

中世においては、この物語的思考が、中心的役割を果たしていた。それが近代になると、書物も普及し、歴史に関する知識も蓄積される。そして、蓄積された過去の歴史、すなわち経験の中から、人間は原理、原則を学んだ。そして、「論理的思考」に至る。例えば、過去の戦争に関する記録に接し、特に欧米の人々は「もうこれ以上、殺し合いを続けるのは嫌だ」と思った。そこで、平和主義という抽象的な概念が生まれる。複数の概念を組み合わせて考えることにより、論理が生まれる。

 

1. アニミズム・・・想像力
2. 融即律・・・個人的な経験
3. 物語的思考・・・地域的な経験と想像力
4. 論理的思考・・・歴史的な経験に基づく概念と論理

 

現代における文化類型: 論理的思考の典型は、日本国憲法の3原則である。すなわち、基本的人権の尊重、国民主権、平和主義である。近年の思想から言えば、これに環境保全を加えても良い。

 

性的な意味合い: ない

 

思考形態: 想像力、経験、論理性

 

宗教との関係: アニミズム、融即律、物語的思考については、宗教を生み出す原動力となってきた。他方、近代以降の論理的思考は、宗教と対立する。

 

経験と情報: 論理的思考については、個人的な経験ではなく、集団的、歴史的なレベルでの経験が尊重されるため、歴史を学ばなければ、理解することが困難である。現代において論理的思考に関する文献を入手することは簡単だが、難解な文献が多い。

 

心理タイプ: 思考

 

現代社会における人口比率: 3次性は、マイノリティである。

 

現代政治における投票傾向: 3次性は、論理的な主張を行う野党を支持する傾向にある。現代の日本においては、1次性(保守系)と3次性(革新系)が、激しく対立している。