文化領域論

(No.196 ~ No.    )

官邸前の抗議集会

(前)文科省事務次官の前川氏が講演を行った名古屋市の中学校に対し、文科省が政治的圧力を掛けたことが判明しました。これはもう、恐怖政治だと言う他ありません。文科大臣は、前川氏に謝罪すべきではないでしょうか。

 

また、森友学園で工事を請け負った業者は、財務省からごみの量を実際より多く積算するよう圧力を受けたとの報道があります。国会では麻生大臣他、全ての責任を佐川氏に押し付けようとするミエミエの答弁が続いています。日本は、こんなデタラメばかりがまかり通る国になってしまった。安倍政権の支持率が急落したとは言え、まだ39%の国民が支持している。この国は、その程度の国なのか?

 

カッカしながらYouTubeを見ておりますと、連日行われております官邸前の抗議集会が目に止まりました。

 

安倍はヤメロ! 麻生もヤメロ! 公的文書を改ざんするな! 真実話せ!

 

私としては、まったくもってその通りだと共感する訳で、パソコンの前で思わず「安倍はヤメロ!」と叫びたくなってしまいました。主催者は、元シールズ、現「未来のための公共」の若者たちのようです。金曜日には、1万5千人が集まったそうです。抗議集会には、大学教授や野党の国会議員も参加しており、スピーチを行います。そして、コールが延々と続くのです。コールとは、マイクを持ったリーダーの声に合わせて、全員がリズムに合わせて「安倍はヤメロ!」などと声を張り上げることを言います。集会には、ドラム隊が参加しており、リズムを統制しています。このコールには、いくつものパターンがあって、こんなものもありました。

 

リーダー・・・民主主義って何だ!
参加者・・・・これだ!

 

複雑なパターンでは、次のようなものもあります。

 

リーダー・・・I say アベ。You say ヤメロ。アベ!
参加者・・・・ヤメロ!
リーダー・・・アベ!
参加者・・・・ヤメロ!

 

マイクを持つリーダーは、男ばかりではありません。若い女性も髪を振り乱しながら、コールをリードするのです。ドラム隊は、単調なリズムを叩き続ける。次第に集団全体が高揚感に包まれていく。

 

これって、何だろう。昔、同じような高揚感を感じたことがある。そうだ、1969年頃のロック・フェスティバルに似ている。ここには、本物のロック・スピリットがある!

 

簡単に言いますと、1969年のロックは、エゴイズムや民族主義などの古い価値観と戦っていたと思うのです。いがみあうのは止めて、愛し合おう。戦争は止めて、平和を希求しよう。そういうメンタリティだった。アメリカでは、ヒッピーと呼ばれる人たちが大量に誕生した。日本では、70年安保闘争があった。しかし、ヒッピーたちもやがて定職につき、日本の安保闘争は敗北した。音楽の世界では、ビージーズという誠にけしからんバンドがサタデーナイトフィーバーなんてものを流行らせ、お陰でロックは衰退し、ディスコが流行した。音楽は思想を失い、せいぜいファッションとナンパの道具になり下がったのです。その後、パンクというムーヴメントも起こりましたが、これは年上のロック・ミュージシャンを批判するというトンチンカンなもので、すぐに消えた。以来、ほぼ半世紀に渡って、私は本物のロック・スピリットに出会うことがなかった。

 

しかし意外にも、2018年の日本で、しかも官邸前でそれが発見されるとは!

 

ハスキーボイスでコールをリードしていた黒髪の女性に、私は、ジャニス・ジョプリンの面影を感じました。

 

さて、この現象を文化論の立場から、考えてみましょう。

 

コールは、1次性です。これは、大昔から続く“熱狂する祭祀”と同じ類型です。そして、大学教授や野党の議員が行う論理的なスピーチ、これは3次性です。では、2次性はあるのか。それは、首相官邸という巨大な建物によって、象徴されています。官邸の建物は、批判の対象である現政権を象徴している。すなわち、官邸前の抗議集会は、1次性から3次性まで、全ての要素によって構成されている。文化的な現象として見た場合、これは極めて稀なケースだと思います。通常、1次性と3次性は対立する。それが、ここでは見事に調和している。文化のダイナミズムとは、こうやって生まれるのかも知れません。